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「波動医学」とは何か(25)

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(25)地球は双頭の悪魔に支配されてきた!

 19世紀以来、世界の医療はある勢力によって独占されてきた。その勢力とは、世界一の大富豪で強欲な独占者ジョン・D・ロックフェラーである。現代の地球は1%にハイジャックされている。人類の歴史は一握りの秘密結社によって闇から支配されてきた。その名はフリーメイソンであり、その中枢を支配するのがイルミナティである。さらにその上に君臨するのが2大ファミリー、ロックフェラーとロスチャイルドである。ロックフェラー一族の資産総額は約1000兆円と言われている。ロスチャイルドに至っては1京円という。世界の巨大企業は、ほとんどすべて、この2大財閥の傘下にある。ちなみに、世界の通信社9割以上を彼らは所有している。さらに、大手新聞社、放送局も彼らの所有物である。だから、世界のメディアは本当のことを流せるわけがない。また、政治家も彼らは完全に掌握してきた。オバマはイルミナティのベルボーイであり、ヒラリーはウェイトレスなのである。ところが、2017年、彼ら闇の勢力の言うことを聞かない暴れん坊が大統領に就任した。世界の天と地が引っ繰り返るほどの台番狂わせであった。世界中のマスコミがこの金髪の下品な男を攻撃している。→つまり、トランプ大統領はイルミナティではないということである。

 日本のメディアはどうか? NHKのディレクターを長く務めた船瀬氏の先輩I氏は「あんなの嘘っぱちよ」と笑う。日経新聞の記者M君は「本当の事は1行1字書けません。言えません」と唇を噛んだ。

 レイモンド・ライフ博士の名前を1回でも耳にしたことがあるか? 一切ないはずである。闇の支配者がライフ博士の名前を出すことを禁じたからである。ライフ博士は末期癌患者を100%の治癒率で救った。その驚愕的な治療の成功のために、辛酸をなめ尽くすことになる。

 悲劇の兆候は、ライフ博士を買収することから始まった。1934年には、米国医師会のモーリス・フィッシュべイン会長が、弁護士を着寄こしてライフ博士の治療法の独占権を渡すよう要求した。当然ライフ博士は断ったが、フィッシュべイン会長は、過去にも癌の薬草治療を開発したハリー・ホークシー博士を押さえ込むために圧力をかけたことがある。つまり、彼は、強力な政治的影響力を行使して、16か月の間に、ホークシー博士を125回も逮捕させたのである。すべての罪状は無免許での医療行為であり、裁判では訴追を免れたが、度重なる嫌がらせのおかげで、ホークシー博士は精神的に追い詰められた。 

 フィッシュべイン会長は、アメリカ医学協力会誌の主任研究員でありながら、生涯一度も患者を診たことが無かった。彼は命を救うことよりも、金銭と権力へのあくなき欲望に意欲を燃やす人物だった。

 フィッシュべイン会長は、ライフ博士に対して、同様な作戦を用いることは裏目に出ると考えた。そのため、無免許の医療行為と称して逮捕させなかった。疑惑を捏造して、逮捕させて、裁判に持ち込むと、ライフ博士を弁護する著名な関係者たちが証言台で癌治療率100%との臨床試験を持ち出してくる。そうなると、医薬品業界が一番恐れていた末期癌を100%完治させてしまう治療法の存在が明るみに出てしまう。だから、ライフ博士の研究所からフイルムや写真や研究書類を盗んだのである。しかし、容疑者が逮捕されることはなかった。そして、ライフ博士の研究を立証するために設立されたニュージャージーのバーネット研究所が放火されたのである。これによって、ライフ博士も窮地に立たされた。さらにライフ博士の重要な顕微鏡も破壊され、5682もの部品が盗まれた。そして最後に止めを刺したのは、警察による礼状なしの捜索と違法な没収だった。これにより50年にわたるライフ博士の研究はすべて処分されてしまったのである。

 1939年、ロックフェラーの代理人は、元ビームレイ・コーポレイション社員Fをそそのかして、同社で長年、ライフ博士のパートナーを務めた人物を相手取って根拠のない訴訟を起こさせた。ビームレイ社は、博士の治療器を製造していた唯一の会社だった。訴えたFは敗訴したが、この訴訟により、ビームレイ社に莫大な訴訟費用の負担をかけ、倒産に追い込んだ。この会社が倒産することはライフ博士の治療器が商業的に生産される道が永遠に閉ざされたことを意味していた。

 同時に、ライフ博士を擁護していた医師たちも研究費の支給が打ち切られ、職場を追われることになった。一方、ライフ博士の治療法を知りながらも、口を閉ざしていた者には、多大な資金援助があてがわれた。闇の勢力はライフ博士の研究所を抹殺することにお金に糸目はつけなかったのである。関係者のすべてが、飴と鞭でつられていく中で、クーチェ博士とM・ジョンソン博士だけは、ライフ博士の研究を続行することを断念し、元の処方薬を用いた薬物療法の医療の世界に戻ってきた。

 製薬企業からの資金で出版され、米国医師会によって牛耳られている医学雑誌は、ライフ博士の治療について、どんな形であれ、掲載することを禁じていた。そのため、医学生は大学でも、就職後も、ライフ博士の医学上の大発見については、全く知る機会も無かったのである。

 ライフ博士の生涯をかけた研究と大発見は、破壊され、潰されただけでなく、埋もれてしまった。ライフ博士の最後の三分の一の人生は、アルコールに溺れたものであった。1971年、ライフ博士は、バリウムとアルコールの過剰摂取により、帰らぬ人となった。83歳であった。


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