(10)失われたイスラエル人
ユダヤは世界中に離散した。ユダヤ人の歴史は離散と集合の歴史である。そのために、ユダヤ人と言う言葉も多くの意味で使われている。現在では、ユダヤ人とは血統的な民族名ではなく、ユダヤ教と言う宗教を持って規定される。ユダヤ教に改宗すれば、どんな人種や民族であろうとユダヤ人になるという。現代のイスラエル国では、母親がユダヤ人であるか、ユダヤ教に改宗したものとして定義する。
しかし、これも厳密ではない。歴史的にユダヤ人は血統的な集団として扱われてきたことも事実であり、ユダヤ教徒=ユダヤ人ならば、学術的な用語であるユダヤ人キリスト教徒と言う表現も矛盾をきたすことになる。また、母系を強調する一方で、祭司レビ族、とりわけコーヘンと呼ばれる大祭司の末裔は、れっきとした男系である。母親がユダヤ人だからと言って、コーヘンになることはできない。アダムからノア、そしてアブラハムに至る血統は、全て男系である。ユダヤ教の絶対神ヤハウェが「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれたことからも、それは窺い知ることが出来る。
大預言者アブラハムの孫ヤコブは別名をイスラエルと言った。彼には12人の息子と1人の娘がいた。12人の息子はそれぞれルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンといい、それぞれが独立した支族を形成する。ただし、祭祀を行うレビ族だけは聖別され、代わりにヨセフ族が二人の息子から独立したマナセ族と、エフライム族に分かれて、イスラエル12支族を形成する。
紀元前1700年頃、ヤコブ一家が住んだのは古代エジプト王国である。当時、エジプトはヒクソスが侵入して、異邦人がファラオとして君臨していた。ヤコブの息子ヨセフは、そこで宰相となり、やがてイスラエル12支族が形づくられていく。しかし、時代が下って新王国になると、彼らは奴隷として使役される立場に零落する。この状況を打破すべく立ち上がったのが、大預言者モーセである。
モーセに率いられたイスラエル人は40年間、荒れ野を彷徨った末、パレスチナ地方へとやってきて、そこに定住する。族長時代を経て、紀元前1000年頃、古代イスラエル王国を樹立する。ソロモン王の時代、栄耀栄華を極めるも、息子のレハベアムが即位すると、王国は南北に分裂する。ユダ族とベニヤミン族から成る南朝ユダ王国と、残りの10支族から成る北朝イスラエル王国が誕生する。
離散が始まるのはこれからである。紀元前722年、メソポタミア地方に台頭したアッシリア帝国が北朝イスラエル王国を滅ぼし、住民を連行する。さらに、紀元前612年に、新興国であるメディア、カルディア、さらには騎馬民族のスキタイの攻撃を受けてアッシリア帝国は滅亡する。奴隷として扱われてきたイスラエル10支族は無事に解放されるのだが、この時不思議な現象が起こる。突如、彼らの姿が歴史上から消えてしまうのである。これが世に言う「失われたイスラエル10支族」伝説の始まりである。
一方、南朝ユダ王国も紀元前587年、新バビロニア王国の侵攻を受けて滅亡する。イスラエル2支族はバビロンに連行され、奴隷となった。いわゆる「バビロン捕囚」である。約50年間続き、アケメネス朝ペルシャが新バビロニア王国を滅ぼすと、彼らはパレスチナ地方へと帰還する。再興した後、南朝ユダ王国はユダヤと呼ばれ、イスラエル2支族もユダヤ人と呼ばれるようになる。
だが、古代ローマ帝国が地中海を中心にオリエント地方に勢力を拡大してくると、ユダヤは属国として支配下に置かれ、異邦人のエドム人が統治する。イエス・キリストが誕生するのは、この時代である。古代ローマ帝国にとって、ユダヤ人は頭痛の種であった。ユダヤ教と言う独自の宗教をかたくなに守り、ローマ神話の神々を拝もうともしない。他の民族が自らの信仰する神々を同化させて、政治的にも調和を図ろうとしていく姿勢とは正反対であった。これが最終的にユダヤ人に悲劇をもたらす。
紀元66年、古代ローマ帝国の圧政に対して、ユダヤ人が一斉蜂起する。第1次ユダヤ戦争が勃発する。神聖なるエルサレムの神殿を汚されたユダヤ人が信仰の下に戦ったが、相手は世界帝国である。敗北は明らかだった。かしてユダヤ人は全世界へと散っていく。
紀元132年には第2次ユダヤ戦争が起こるも、あっけなく鎮圧される。かしてパレスチナ地方はローマ帝国軍の直轄統治となり、ユダヤ人たちは徹底的に迫害され、1948年にイスラエル国が樹立されるまで全世界へと離散していく。
現在、イスラエル国では、こうした離散の民、世に言うデイアスポラのユダヤ人たちを捜し出しては、約束の地への帰還を推進している。もちろん、彼らは日本にも同胞がやってきていることを知っており、度々、調査に訪れている。