(7)多次元同時存在の法則
稚日女尊が天照大神の分身であることは先に触れた。神話学では、こうした神格の読み換えを行うことがある。名前は違えども、同一神だという解釈である。神道の神々は、しばしば多くの別名を持つ。神話のストーリーの中では、全く別の存在なのに、神社の祭神としては同じ神として位置づけられているケースがある。それを体系的に今に伝えるのが元伊勢、籠神社の極秘伝「多次元同時存在の法則」である。
神々は人間ではない。神話の中の存在ゆえ、分身を作る。同じ神であるのに、別の名前で活躍する。人間で言えば、他人は勿論、親になったり、兄弟や子供、孫になったりすることも、しばしばある。性別をも超えてドラマチックな展開はあれど、本質は同一神であるというのが次元同時存在の法則である。
例えば、籠神社の主祭神「天火明命」には「天照国照彦天火明櫛ミカ玉ニギ速日尊」と言う正式名称がある。この名前に含まれる「天照」は天照大神、「国照彦」は国照大神=スサノオ命及び猿田彦命、「天火明」は天火明命、「櫛ミカ玉」は櫛ミカ玉神=大物主命=大国主命、「ニギ速日尊」はニギハヤヒ命と解釈できる。これこそが、多次元同時存在の法則である。
極端な話、これを無限に適用していくと、神道におけるすべての神々はたった一つの神様に収斂する。八百万の神々を崇拝する神道は多神教ではなく、一神教になってしまうのだ。
多次元同時存在の法則を無闇に適用することは、本質を見失う恐れがある。しかるべき知見を持って正しく適用してこそ、初めて真理が分かるのである。だから、極秘伝とされた。
しかし、籠神社の極秘伝は恐ろしい。記紀が編纂される奈良時代以前、この国には絶対神と言うべき一神教への信仰が存在していた。つまり、古代神道は、唯一神教だったのである。したがって、多次元同時存在の法則をもってすれば、神道の最高神である天照大神は唯一絶対神だったことになる。
童唄「カゴメ唄」の謎を解くためには、この多次元同時存在の法則が不可欠なのである。
飛鳥氏は籠神社を訪れ海部光彦宮司から極秘伝を教授された。それは「カゴメ唄」は籠神社の隠し歌だという。そこには、日本の国家成立に関わる重大な秘密が暗号として隠されているというのである。
飛鳥氏は「丹後国一宮深秘」と題する資料の中に羽衣伝説のベースになっている文章を発見した。詳細は省略するが、「鳥籠」から光が放っているように輝きながら地上に降臨した天女を祀ったことが「籠」神社の始まりであるというのである。同様の伝承が「籠大明神縁起秘傳」と言う資料にもある。大意は同じながらも、こちらの冒頭は祭神である豊受大神から始まる。これも詳細は省略するが、日本三景の一つ天橋立の松の枝に豊受大神の御神体が光り輝く籠のような姿で現れたというのである。
これらの二つの伝承は、ともに同じ事象を指していることから、先の多次元同時存在の法則を適用すると、羽衣伝説の天女とは豊受大神に他ならない。天女なる豊受大神は「籠の中の鳥」のごとく地上に降臨した。したがって、籠神社の海部宮司の言葉が正しければ、童唄「カゴメ唄」における「籠の中の鳥」とは、「豊受大神」であることが判る。
豊受大神は伊勢神宮の外宮の主祭神である。もともと籠神社で祀られた御魂を雄略天皇の時代、天照大神の託宣により、伊勢神宮へと勧請したものである。外宮の元伊勢は、丹後一宮の籠神社しかない。外宮だけではない。内宮の主祭神である天照大神の御魂も籠神社に祀られていた。当初、大和の皇室で祀られていた天照大神の御魂は神威が強すぎるゆえ、第10代・崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命を御杖代、すなわち巫女として外に出され、同じく大和の笠縫邑で祀られる。しかし、荒ぶる御魂は収まらず、そこから丹後の籠神社へと移され、さらに各地を転々とした後、最終的に今の伊勢に鎮座された。
しかるに内宮と外宮、両方の元伊勢である唯一の神社。すなわち「籠神社」は「本伊勢」とも称している。言い換えれば、籠神社は、伊勢神宮に祀られた天照大神は勿論、外宮の祭神である豊受大神についても、深い秘密を知っている。極秘伝である多次元同時存在の法則を適用すれば、両者は同一神であることが見えてくる。