(2)童唄「カゴメ唄」に隠された秘密とは何か?
「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つると亀がすうべった 後ろの正面だあれ」
幼少の頃、この遊びをしたことが一度ならずあるだろう。遊戯「かごめかごめ」は地蔵遊びと言われる伝統的な遊戯の一つで、複数の子供が一人の目隠しした子供を囲み、特定の人物の名を当てさせるところに楽しみがある。
目隠しをした状態から、人当てをする遊びは、昔から子供たちの遊戯として一般的であり、地方によってさまざまなバージョンがあった。子供としては何より人当てが遊戯の楽しみであり、「後ろの正面、だあれ」と言う文言が定番になった。この状況から、子供の直観力を高め、霊能者や巫女、シャーマンを育てる儀式がもとになっているという説がある。
遊戯「かごめかごめ」の神秘性を高めているのは、何より唄である。「カゴメ唄」は、何かを象徴しているような謎の歌詞が並ぶ。「カゴメ」とは籠の目なのか。だとすれば、続く「籠の中の鳥」とは何を意味するのか。鳥籠を象徴する「何か」からいずれ出てくることを期待しているとも読める。だが、「夜明けの晩」は夜なのか。それとも朝なのか、はっきりしない。「鶴と亀」が場所を特定する「しるし」ならば、両者が「すべる」とは転がることを意味しているのか。さらに、最後の「後ろの正面」もまた、真後ろなのか、それとも後ろから見て正面なのか、これまた曖昧である。
民俗学の泰斗、柳田國男もまた、著書「子供風土記」の中で「カゴメ唄」に言及している。しかし、それは、最初に遊戯があり、そこから自然発生した言葉が唄となり、子供の連想から次々と歌詞が生み出され、最終的に今日知られるような童唄になったというのが民俗学の定説である。
最も古い資料は「黄表紙」の「かごめ かごめ 籠中鳥」である。「黄表紙」とは安永8年(1779年)に発行された洒落本の一つである。パロディーやカリカチュアが目的で作られた本である。
「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつるはいれ 鍋の底ぬけ」
「黄表紙」は「カゴメ唄」に関しても謎解きに挑戦している。「かごめ」を「籠女」と解釈し、「籠の中の鳥」と同義であるとし、正体は「遊女」とみる。借金のかたに身売りされた女性は、自由を奪われ、遊郭で男性の相手をする。客は遊郭の外から中にいる遊女を品定めする。格子越しにたたずむ籠の中の鳥のようだというわけである。もちろん、遊女とて、借金の分だけ稼げば、やがて解放される。いい旦那が大金をはたいて身請けすることもあった。しかし、それがいつになるのか、つまり、「カゴメ唄」の「いついつ出やる」とは、遊女が自由になる日を思って、彼女の親兄弟が案じているのだというわけである。
続いて「黄表紙」は「夜のうちやりし」と書く。夜になってもそのままの状態だという意味である。結局、見張り番がいて、遊郭から出ることはできない。籠の中の鳥は、所詮は籠の中の鳥のまま、外へ出ることはできないというあきらめにも似た思いが込められている。このあたりのパロディー本らしく、子供の遊戯に大人世界の事情を反映した解釈が胸に響く。
この「遊女説」を踏襲しながら、改めて解釈を試みる人もいる。「夜明けの晩」とは深夜、明け方近く、周りが寝静まった頃を指し、それを見計らって、遊女が脱走を試みる。「鶴」は籠の中である遊女であり、「亀」は客の旦那か、恋仲の彼氏か。「すべった」とは、するりと遊郭を抜け出すことを意味している。
実にドラマチィックな解釈であり、こうした仮説が今日、幾多の小説やドラマのモチーフになっていることは言うまでもない。