(22)対立、口論、仲たがい・・・ロックフェラー一族は不幸だった!
デーヴィッド・ロックフェラーは2017年3月20日に亡くなった。101歳である。ロックフェラー一族は、ロスチャイルド一族と共に、世界の超富裕層のツートップである。さぞかし、裕福にして幸福と思いきや、どうもそうではない。船瀬氏によると、デーヴィッドのまなざしには、心の平安が全く感じられないという。それを証明するエピソードもある。世界的ベストセラー「成功哲学」の著者ナポレオン・ヒルは、知人のカーネギーから依頼され1冊の著作に取り組んだ。それは約500人もの成功者にインタビューし、その成功哲学の秘密を解明するという仕事だった。ヒルは、20年もの歳月をかけて、この歴史的著作を完成する。
ヒルは、デーヴィッドと対談した時の思い出を残している。デーヴィッドはヒルにこう質問している。
「世界的大富豪の私と、君は入れ替わりたいと思うかね?」
ヒルは、この問いかけに、丁重に否定した。その理由を、こう述べている。
「目前のデーヴィッドには、心の平安が無かった。そして、健康も・・・」
ヒルは、著書「成功哲学」にこう記している。
「人生の成功に、最も必要なものは心の平安である」
そして、ロックフェラーには、それらが無かった。
「私(ヒル)は健康と自由を大切にしていたが、彼(ロックフェラー)はその2つとも持っていなかった」
ロックフェラーをよく知る人物に確かめた所、こういう回答が返ってきた。
「金儲けの過程で、逃がしたものー心の平安ーそれを求めていたのではないかね」
つまり、世界一の超大富豪も、心の休まるいとまがなかった。
「ロックフェラーは、それが必要だったのだ。ヘンリー・フォードもそうだったし、自分では100%成功したと思っている多くの人々もそうだ」(ナポレオン・ヒル著(成功哲学」)
世界一の金持ちでありながら、ロックフェラー家は親子、兄弟、家族・・・仲が悪く、対立が絶えなかった。デーヴィッドは正直にその家族の悩みを吐露している。1976年「ロックフェラー、アメリカの名家」が出版され、大ベストセラーとなった。これが、先ずデーヴィッドを憤怒させた。
「この本は、私の一族を、マルクス理論と反体制文化政治観のレンズを通して眺め、中傷的な記述がなされている」「この本は、私たちを、資本家の欲の権化、アメリカと世界中の現代社会における大部分の悪の原因として描き出している」「しかし、親類ー私の子供、甥、姪ーの項は、実に衝撃的で、特に私の悩みの種となった」
このベストセラー本は、一族へのインタビューで構成されていた。
そこで描かれていたのは「葛藤を抱えた不幸な人々の集まりで、彼らの多くは過激な社会運動と革命運動に引きつけられ、保守的で思いやりのない両親と距離を置きたいと切に願っている」「著者の記述には真実も含まれていたので、ペギー(妻)と私は、その本を読んで非常につらい思いをした」
まさに、1960年代から70年代にかけて、ファミリーが経験した親子関係の特徴は「礼節ではなく対立だった」と、父親デーヴィッドは正直に認めている。
それにしても、ロックフェラーの子供たちが、過激な社会運動や革命運動に走っていたとは意外である。
父親は、6人の子供の内2人の娘アビーとペギーが、「1960年代の革命的な思想と運動に深く影響されていた」と認めている。長男デーヴィッドも反抗的だった。ここには反抗的な子供たちに戸惑う父親の心情が正直に語られている。
娘アビーは、父親や一族への反発から、マルクス主義に傾倒していった。キューバ革命のフィデル・カストロに心酔し、熱烈な崇拝者となった。社会主義労働者党にも加わった。娘はさらに女性解放運動にも熱中した。
「当時は、帰省するたび、資本主義体制と、その罪に、私たち一族が連座し続けていることについて、厚い議論を吹っかけてきた」「夕食をともにすれば、最後は口論となった」
過激な娘に辟易して、弱り切っている一人の父親の姿が浮かび、微笑ましい。ロックフェラーも人の子、人の親なのである。
アビーの妹ペギーも学生運動に立ち上がった。ペギーは、アビーの影響を受けて、多数の反戦組織を積極的に支援し出した。ペギーはブラジルで働くうちに、自力で貧困の本質を見出した。また、資本主義制度が、問題の大半を占めていると信じ込んだ。
末息子のリチャードも、ベトナム戦争について、父親に鋭く厳しい質問を浴びせた。リチャードはハーバードを卒業すると、自分の生き方を決めるために数年を費やした。先住民族に奉仕している宣教団の下でも働いた。
末娘アイリーンも、反抗期を経験したが、それは個人レベルの反抗だった。1970年代ごろ、アフリカ長期旅行から帰国後に、親元から離れて暮らすと決心して、しばらくは、疎遠になった。
6人の子供たちが、資本主義の悪に真っ向から向き合い、その象徴の父親に、真正面から議論を挑んだのは、立派である。しかし、やはり血を分けた家族である。最後は静かに和解したとデーヴィッド・ロックフェラーは回顧録で結んでいる。