(3)ナポレオンも間違いなくメイソンだ!
イギリスに続いて、新興国アメリカを手に入れたメイソンが、次に狙ったのがフランスである。彼らはブルボン王朝腐敗に対する不満を焚きつけ、フランス革命を企てる。これは、世界史の授業では市民革命と習うが、正体はメイソン革命である。それで、ルイ16世とその后マリー・アントワネットをことさら民衆の敵意の対象に仕立てる。メイソン会員は、バスチーユ牢獄を密かに解放するなど、革命騒乱に火をつけ、ついにフランス王政を打倒する。
実は、革命直後の1790年、アントワネットは兄の神聖ローマ帝国皇帝レオポルト2世に次のような書簡を送っている。
「あなたもフリーメイソンに注意してください。こちらでは、今、民衆が恐ろしい陰謀に加担させられています。とても恐ろしい出来事が起きようとしています」
彼女の恐怖は、実際にその身に振りかかり、夫のルイ16世と共に断頭台の露と消える。秘密結社メイソンの関与を証明するのが、革命の大義をうたった「人権宣言」である。そこにも、「自由」「平等」「博愛」がうたわれ、それはまさにメイソン大憲章であった。米国独立宣言と見事に重なる。
悲劇は、この革命を市民革命と信じた市民、学生、労働者たちにも及ぶ。フリーメイソンの関与など、全く知らない彼らは、当然、革命政権への参加を求める。しかし、革命を主導したジャコバン党は、まぎれもなくフリーメイソンが潜み、偽装したものである。彼らは反対する市民、学生、労働者、政治家たちを手当たり次第に逮捕し、ギロチン台に送り、戦慄の大量殺戮と恐怖政治を繰り返したのである。
断頭台送りになった犠牲者は1万人近くに達したという。首尾よく、フランス国家を奪取した彼らは、アメリカ同志メイソンに、友好の証として送ったのが自由の女神像である。その台座には愛に満ちた友好メッセージが刻まれている。その後、1804年、一兵士にすぎなかったナポレオンが皇帝となり、フランスを独裁支配する。
「彼がフリーメイソンだったという証拠は残されていないが、妻のジョセフィーヌははフリーメイソンと関わりがあり、ナポレオンの兄弟ジョセフとルイは有名なフリーメイソンだった」という。以上の経緯から、彼が筋金入りのメイソンだったことは間違いない。そうでなければ、小男の一兵卒が、フランス第1帝政の皇帝になど、昇り詰められるはずがない。その軍事独裁の暴走も、世界征服を企むメイソンの意志によるものである。
彼は、非道暴虐なナポレオン戦争を遂行し、英国、ロシアを除く欧州全土を軍事攻撃し、勢力下に置く。1815年、ワーテルローの戦いでは、英国ウエリントン将軍の陣地中枢に無謀な攻撃を仕掛けるなど不可解な作戦で自滅していく。この番狂わせの仏軍敗北もメイソンのシナリオによると考えれば辻褄が合う。ちなみに、メイソン中枢の実力者ロスチャイルドは、この戦いの勝利をいち早く入手することで、資産を2500倍にも増やし、世界最大の財閥になっている。
最大の戦争犯罪人であるナポレオンが英国の温情で助命され、アフリカ沖のセントヘレナ島に流刑となったのも、不可解である。さらに、死亡したとされる遺体が確認されていない。つまり、メイソンの陰の存在を知れば、このようなミステリーも鮮やかに解けていく。
フランスに続いてメイソンは、ロシアも我が物にする。時のロマノフ王朝を打倒する為、ロシア革命を偽装して、レーニンに社会主義革命を達成させる。1917年、レーニンはスイスから封印列車なる物で、革命蜂起したロシアに駆けつけ、ついにロマノフ王朝を打倒する。そこで大きな役割を果たしたのが大量の軍資金である。その出所は、ロスチャイルドなどのフリーメイソン中枢財閥だった。トロツキーはフランス革命に倣って、恐怖政治を開始した。ロシア革命後の3年間でトロツキーは白人系ロシア人の88%を虐殺した。レーニンはロスチャイルドの血を引くと言うので、まぎれもなくメイソン会員である。つまり、一見、共産革命に見えるロシア革命も、その正体は、社会主義を偽装したメイソン革命であった。巨大資本家であるロスチャイルドが共産革命に資金援助したのは事実である。つまり、地球を東西に共産圏と自由権に二分し、対立を煽れば軍拡競争でフリーメイソンによる金融産業、軍事産業は驚異的に潤う。まさに東西冷戦も、彼らの二股作戦シナリオによって仕組まれていたのである。