(41)諏訪湖の仕組みとか何か?
(下つ巻・第27帖 四隅にイウエオの言霊石を置いてくれよ)
天照大神は「祓所」に現れる神である。祓所とは神域で聖所を意味し、神殿を暗示する。そこでは重要な儀式や神事が行われる。祓の意義は、神事の禊や斎戒の後に行われる極めて重要な浄化の儀式である。罪穢れの無い清浄な空間をつくり上げ、個人だけでなく、この世のあらゆる罪穢れを徹底的に祓い清めることにある。「明き浄き正しき直き」の姿勢こそ神道の根本思想とされる。この神は、富士山に象徴される「三位三体」の一柱の神で、渦に象徴される伊勢湾の三重の地に三柱の「伊勢神宮」が建ち揃い、東京にも「一宮・中山・奥山」に暗示される「三位階」の地に神殿が建設される。
木花開耶姫命は天照大神の一族だが、富士山を象徴する女神ではない。不死山はイエス・キリストを象徴する「人類の初穂=復活」になるため、天照大神の山である。しかし、八百万の神々はすべて天照大神の御霊分けなので、「天照大神=木花開耶姫命」となる。一方、「甲斐の仕組み」とは、「諏訪大社」を指している。諏訪大社が4社で四方を示すユダヤの「メルカバー」になっている。また、諏訪大社の脇にある守屋山が、アブラハムとイサクの物語に登場するモリヤを示唆すると知るべきである。次に「石」だが、絶対神を祀るには真ん中に「石鎮」を置かねばならない。つまり、「要石」を神殿に必ずおく必要がある。ほかに、「神籬」を置くが、それは神の御霊が降りる磐座の事で元初三神の第2の高御産巣日神が、天児屋根命太玉命に「天津神籬と天津岩境を起こし樹てて、常にわが天孫のために斎い祭りなさい」と命じたとされる。
神道の元初三神を、イエス・キリストが「父・子・聖霊」と明らかにした以上、神殿も三位三体である。「イウエオの言霊石」とは、神殿の四隅に置かれる「言霊=預言」の石で、「隅石」と呼ばれる。隅石は他の石を正確に据える基準で用いられ、建物を正確に立てるには不可欠で、隅石は建造物の部分と部分をつなぎ合わせる役目を果たしている。隅石をヘブル語では「要石」と使う場合があり、特に救世主に使われる場合が多い。
「それゆえ、主なる神はこういわれる。私は一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない」(「イザヤ書」第28章16節)
ここにある「隅の石」が要石であり、預言されたイエス・キリストの意味である。そこは現人神イエス・キリストの神殿で、「旧約聖書」を象徴する「鳥居」も「注連縄」も無い。鳥居や注連縄は旧約時代の名残であり、イエス・キリストの神殿には必要ない。四隅の数字は聖数「7」の4倍の「7・7・7・7」で「28」になるので、「2+8=10→1」となり、高御産巣日神のイエス・キリストとなる。
「天之日月神(天之益人)」の家とは、神殿の事である。岡本天明が住む「江戸の奥山」には秋立つ「八日」に、「中山」には「九日」、一宮には「十日」に祀ってほしい。この意味は「日月神示」を解き明かせないと分からない。しかし、それでは絶対神の御用は務まらない。正直だけでは神の啓示を受けることはできない。
(解釈資料)
「八日」「九日」「十日」は合計すると、「27」となり、「2+7=9」で数字上の最大数になる。つまり、己の最大の敬意と畏敬の念で絶対神を崇拝せよという意味である。「甲斐の仕組み」を検証すると、「諏訪湖の仕組み」を指していることが読み取れる。諏訪湖はフォッサマグナのど真ん中に位置する湖で、その周囲に4社の「諏訪大社」があり、それぞれの社の4隅に御柱が打ち込まれている。
これは将来、日本列島が天変地異で再び動き始める際、真っ先に諏訪湖の水が抜けることが推測される。東日本の陸塊が離れるからである。