(40)マリア信仰と12支族
(下つ巻・第26帖 至高の三角形に至る者)
絶対神の国とは「日の輝き」を指し、それ以外の「月の輝き」と「星の輝き」もあり、無数の位階を形成する。日の輝きは、「富士山の形」である「三角形」の三神構造を示すが、同じ富士の暗示から「先小御岳」「小御岳」「古富士」のように「三位階」になっている。つまり、日の輝きも三位階になっている。
「天之日月神」は「天之益人」の事で、「天を治める存在」を示す。「大祓詞」にある「国中爾成出武天之益人等我過犯家牟雑雑罪事波→(くぬちになりいでむあめのますひとらがあやまちおかしけむくさぐさのつみごとは)」を窺えばわかる。「江戸の富士」とは、東京に建つ神殿を意味し、その神殿は三位三体を標榜する「宮」である。「仏=仏教」によるものだけが救われると思ってはならないし、「耶蘇=キリスト教」のみが救われると思ってはならず、「神道」を信じる者のみが救われると思っても間違いである。絶対神はそんな度量の狭い存在ではなく、救いに至る入口は様々でも、最終的には一本に束ねられている。絶対神はすべての神をまとめる存在で、世界の元なる神なので、大喧嘩の宗教戦争など愚の骨頂と知るべきである。
(解釈資料)
世界中の国旗は、「日・月・星」に大別される。古来「日」は日本のみが使用した。戦後はバングラデシュなどが日の丸を真似ているが、神功皇后の時代の日の丸が日本最古のものとされている。「月」はイスラム圏の国が多く使用し、月と星の組み合わせが多い。「星」は共産圏の国々や独裁国家が使用するが、星で階級を示す軍に関わる国ほど星が使われる傾向にある。
アメリカの星条旗は50もの星々で他国と明るさを競うように見え、EUの欧州旗も円環状に12個の金色の星で構成されている。一説では黙示録に出てくるマリアが率いる12の星を表すとされている。
「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた」(「ヨハネの黙示録」第12章1~2節)
マリア信仰はバチカンの専売特許である。そのバチカンが存在するヨーロッパ連合の象徴が12の星と言うのはそれなりに意味があると思えるが、EU側はそれを否定している。この世の苦渋は女の出産の苦しみによって終焉し、生まれ出た子が次の時代を受け継ぐため、この出来事は第7の封印に収められている。福千年に関わると思われる。同時にマリアの出産の場にイスラエル12支族の長が立ち会っていた暗示にもなっている。女が「身に太陽をまとい」とあるのは、原始キリスト教会の教義がヒエラルキーの最高位「太陽の輝き」を持つことを暗示する。神界と直結する「至高の三角形」の事で、それは月の輝きの教会でも星の輝きの教会でもない。太陽の輝きの教会の意味である。
「月を足の下にし」とは「至高の三角形の下の「倫理的三角形」を従わせる意味で、そこは「月の輝き」の位階に属し、神仏を信じた他の様々な宗教の人々と善人を指している。彼らは、信仰する宗教や道徳において、生涯正しい行いをした人たちで、福千年の間に復活し、太陽の輝きに至る門をくぐる資格を有する。「12の星の冠」は、星なので「アストラル三角形」を構成する「星の輝き」の位階を指している。星が12個ある意味は、この世に交じって存在するイスラエル12支族を象徴し、イスラエルの集合に関わる冠の輪をかぶる教会を示唆する。バチカンが直訳したような、聖母マリアが冠をかぶるわけではない。
日本では、昔から亡くなった人が無事に天の戻れるよう、神界を暗示する頭部に白い三角形の布を付けた。至高の世界の次は「倫理的三角形」である。その下は「アストラル三角形」となる。これら3段階を日本流で言うと「松竹梅」の三段階となる。オリンピックの「金銀銅」も、ユダヤ密教的には生命に樹と同じで、古代では最高位の者に月桂樹の冠を被せた。生命の樹の最も下にある10番目のセフィラ「マルクト」は、どの三角形の位階にも属さない番外になっている。つまりそこは地獄を表している。日本で使われる三行半は、聖書的には、神から絶たれることを意味する。それはハルマゲドンで世界を滅ぼす「獣」が支配する年数「42か月=3年半」からきている。
「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、42か月の間、活動する権威が与えられた」(「ヨハネの黙示録」第13章5節)
同時にイエス・キリストが磔刑にあったと同じゴルゴタの丘で、聖なる二人の預言者が磔刑にあう日数も暗示している。
「二人がその証を終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上がってきて彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。彼らの死体はソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主もその都で十字架につけられたのである。様々の民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう」(ヨハネの黙示録」第11章7~9節)
「至高の三角形」の戒めは、①あなたには、私をおいて他に神があってはならない。②あなたはいかなる像も造ってはならない。③あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならないであり、全てが神と直接関わる戒めばかりである。
「倫理的三角形」の戒めは、④安息日に心を留め、これを聖別せよ。⑤あなたの父母を敬え。⑥殺してはならないとなり、すべてが倫理上の戒めとなる。
「アストラル三角形」の戒めは、⑦姦淫してはならない。⑧盗んではならない。⑨隣人に関して偽証してはならないとなり、この世の刑法に触れる戒めとなる。最後に「地獄に通じる戒め」として、⑩隣人の物を一切欲してはならないがある。なぜこれが滅びの戒めであるかと言うと、ルシフェルが天上界にいたとき天上界のエル・ランティーに嫉妬し、エル・ランティーが支配する世界を独り占めしようと暗躍し、自ら地獄に落ちる運命を招きよせたからである。
最終的に、至高の三角形に至る者は、隠されたセフィラ「ダアト」をくぐらねばならない。ダアトは隠された11番目のセフィラの事である。人は「電光の通路」を上昇し、最後はダアトをくぐり抜け、聖霊を受ける道程を踏まねばならない。最終的にすべての宗教はここに終結し、イエス・キリストの名前以外に至高の三角形に入る道はない。