(13)なぜ、ポピュリズム政治家トランプは生まれたのか?
トランプはアイソレーショニストであると同時にポピュリストである。ポピュリズムを新聞は「大衆迎合主義者」と訳している。しかし、それ以上の正しい深い意味の説明は一切しない。できない。(副島氏)
グローバリスト=ネオコン派にとってポピュリズムは、自分たちに敵対する勢力である。不倶戴天の敵である。ポピュリスト政治家の原型は、ヒューイ・ロングである。彼はアメリカ政治史の中で極めて重要な危険人物とされる。彼は、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領時代に、アメリカ政界を牛耳るロックフェラーたち金融・石油財閥を攻撃し口汚く罵った。ヒューイ・ロングはアメリカ大衆の圧倒的支持を得て大統領を目指したが、暗殺されてしまった。(1935年)彼は現在でもアメリカメディア界では大悪人扱いされ、「アメリカのファシスト」とも呼ばれている。それは最近のトランプに対する攻撃と全く同じである。ヒューイ・ロングは地元の建設業界から多くの政治献金や賄賂を受け取りながら、私腹を肥やしたが、同時に多くの公共事業(道路、橋、ダム)を州民のために完成させた。これは日本で言えば、土建屋政治家・田中角栄である。副島氏は田中角栄が大好きであるという。角栄は貧しい出身ながら強い民衆への愛情を持って、一国の宰相にまで上りつめた。角栄はアメリカの支配層から疎まれ、汚職まみれの政治家として首相の座から引きずり下ろされた。(1974年11月)この後犯罪者として逮捕・投獄された。(1976年7月)
この時のロッキード裁判は、その背景に、「田中と言う男は、アメリカの言いなりにならない奴だから潰してしまえ」と言うアメリカの意思があった。真実を言うと、田中角栄と言えどもロックフェラー家のお墨付きが無ければ日本の首相になれない。(なれたのはネルソン・ロックフェラーの承認があったからである。)ところが、デビッド・ロックフェラーによってネルソンが失脚させられた時、ニクソン大統領と田中角栄も潰されたのである。
副島隆彦氏がアメリカ政治家で尊敬するのは、ヒューイ・ロングとウィリアム・ジェニングス・ブライアンとトーマス・ジェファーソンである。ジェファーソンがリバータリアニズムの源流、始祖である。ブライアンは「貨幣、とりわけ銀貨を農民が自由に鋳造していいはずだ」と主張する反統制経済の思想を掲げ、アメリカ金融財閥の政治支配に反対した。FRB(米連邦準備制度理事会)は1913年12月にアメリカ国民の反対を押し切って策略で米議会で可決、成立された。
トランプはFRBの存在そのものを嫌っている。できれば廃止したいのである。トランプは「金本位制に戻るべきだ」と言いそうである。なぜなら、「FRBが勝手に無限に紙幣(ノート)を発行できるという今の体制は危険だ」と考えている。
ブライアンは、「オズの魔法使い」の臆病なライオンのモデルだという。ブライアンは1896年の大統領選挙に、民主党の候補となって評判をとった。しかし、共和党のマッキンレーに2度も敗れた。ニューヨークの金融財閥を公然と批判するものだから、ブライアンは大統領になれなかった。ブライアンは圧倒的な国民の支持があったのだが、妨害が激しいので、自分が育てた弟子でウッドロー・ウィルソンを自分の代わりに大統領にした。1912年の事である。それで自分は国務長官になった。ところがブライアンはウィルソンに裏切られた。ウィルソンが ロックフェラー財閥の意向に沿って、今のFRBを作る法律を、議会をだまして可決させた。次の年からヨーロッパで世界大戦が始まった。ウィルソンはロックフェラー財閥のロボット大統領になった為、ブライアンは怒って辞任した。
トランプの外交政策の基本はアイソレーショニズムである。アイソレーショニズムとは「外国の事に関わるより、アメリカの国内問題を優先すべきだ」という思想である。だから「外国にまで軍隊を派遣するな。アメリカ青年たちを外国の戦場で死なせるな」と言う思想である。外国への積極的介入主義者はヒラリーの立場である。ヒラリーを強力に支えているのはネオコンの勢力である。副島氏は、トランプを支持し、ヒラリーに反対する。
アメリカの共和党はもともと、保守的な地方の中小企業や農場経営者が作り上げ育てた政党である。カントリー・クラブの中から生まれた政党である。この本来の支持層である、農園主や中小企業経営者たちは自分たちの身近な生活を中心に物事を考えるから、あまり外国の事にまで関心を持たない。グローバリストとはヒラリーたちの事であり、地球支配主義者である。外国介入主義者である。本物のアメリカ親父たちは経営者層であるから他人(他国)に冷たい人間たちである。「自分の事は自分でやれ。俺たちはもうお前たちの事にかまう気は無い。そんな余裕も無い。アメリカの駐留軍は外国から撤退するのだ。自分たちで勝手にやってくれ」と言う。副島氏はそれでいいのだという。