(9)自然のエネルギーと共鳴しプラーナで生きる
秋山「自然の波動をもらうには、受け皿がしっかりしていないと、共鳴できない。自分の場合は、ジャスムヒーンさんと出会って、だんだんプラーナで生きるようになってきました。そうすると、自然のエネルギーと共鳴しやすくなるのです。」
船瀬「自然は荒々しいからね。暑さ寒さもね。」
秋山「そう。おかげで今が一番体力があって、100メートル走って今が一番早いんですよ。」
船瀬「幼年期は修行の機会だったんでしょう。いじめから、学校教育とか、試練だね。それは小さい子にはきつかったな。」
秋山「腰痛もずっとあってね。頸椎のズレもあって、頭痛持ち。」
船瀬「俺なんか中学では、自転車で4キロの峠を登ってた。1・5キロくらいはギアなしでこぐんだよ。だから、その時に今の体ができちゃった。筋肉質の逆三角形の体型ができたのは、自転車通学のおかげですよ。」
秋山「やっぱり鍛え方が違いますね。このお役目をするには最後は身を張ることになりますし。私は、江戸川アパートと言う同潤会の築70年のアパートに、大学から12年ぐらいいたんです。私の母の父が西村孝次って言うんですけど、評論家の小林秀雄さんの従弟でね。「オスカー・ワイルド全集」を完訳したのが、その西村孝次なんです。」
船瀬「超インテリ家系ですね。」
秋山「そうなんですよ。学者家系でサラリーマンはいないですね。丸山ワクチンの丸山千里さんも、同じ江戸川アパートにいました。母なんか2,3歳の時に、丸山さんに頭に注射を打たれて、痛かったとか言っていました。女優の坪内キミ子さんとかいて、一緒にバレエやってたとか、」
船瀬「そうそうたる顔ぶれが周りにいたわけだ。」
秋山「戦時中に東京から疎開する方もいたので、江戸川アパートも空いて、すっと入ったらしいですけど、その当時は、ブルジョワのアパートだったんです。」
船瀬「聞いただけで分かりますね。」
秋山「関東大震災の直後に建てられた、日本で初めての耐震建設。横に倒しても大丈夫。」
船瀬「それは素晴らしい。だけど、子供の時から与えられた役割でしょうね。先生になってもこういう活動をなさっているのもね。」
秋山「本当におかげさまで、今はね。闇の記憶を取り戻した話に戻りますが、闇の全て、悪事を狙っていたサタンの又の名が、堕天使ルシフェル。そのルシフェル(ルシファー)のチャネリングを30年続けられてきたのが山田征さん。山田さんが2018年5月17日にいらしたんです。私が活字が苦手で本を読んだことがありませんって言ったら、じゃあCDを送りますって言われて、それがルシファーの詩を彼女が朗読したライブの録音だったんです。それを聞いたら、もう涙があふれて止まらなくてですね。さて、パレスチナとイスラエルの両大使が会談したことがありました。民間の共同インタビューでしたが。私も不思議な事にコーヒーをきっかけにその場に立ち会っていたんですよ。」
船瀬「ええ? 本当?」
秋山「その場で平和の旅が企画されて、パレスチナ5日間、イスラエル5日間、両方でパスポートにスタンプを押さないという事で、行ってきたんですよ。」
船瀬「だって、パレスチナとイスラエルって、今まさに一触即発の所だよね。」
秋山「その時の映像も残っていますが、オペラ歌手とか友人の映画監督もいてね。イスラエル側は元イスラエル駐日大使館のエリ・コーヘンさんが案内してくださいました、フリーエネルギーの科学者も一緒に行きました。砂漠を緑化するという技術的なテーマでした。このインタビューの様子がインターネットに流れたんですよ。」
船瀬「それは素晴らしい。それこそ秋山先生の天命と言うべき仕事だね。」
秋山「個々のインタビューはもう終わっていて、共同インタビューを主催した山元雅信さんが思いついて両方ともアポが取れたんですが、直前に断りが入ったそうです。本当は私たちは仲良くしたいんだけど、命が狙われるからできないそうです。」
船瀬「そうだね。襲われる可能性がありますよね。」
秋山「そう。それで山元さんから電話があって「秋山さん、ドタキャンが両方から入っちゃって困ったことになったんだけど、コーヒー出してくれないかな?」って言われました。私がコーヒーを出すことを了解した後、両国大使は考え直して会談に応じて、結局実現したんです。私たちは、平和のために日本人として何かしたいと思ってね。本当に職業も年齢もバラバラの、いろいろな方がいました。ジェリコの県知事、市長、大臣クラスがみんな出てきました。イスラエル側はエリ・コーヘンさん。2004年くらいに駐日イスラエル大使だったんですが、アロンの直系の子孫です。私の事務所から歩いて7,8分の所に今もオフィスがあります。彼は空手の5段です。」
船瀬「それまた凄い。秋山先生には引き寄せのパワーがあるんだね。」
秋山「近くの靖国神社でいつも奉納演武をされています。エリ・コーヘンさんがイスラエルの英雄なので、彼がどこにでもコーディネートしてくれて、極東の責任者に会えましたよ。ヨルダン川にも行きました。イエスが地上に降りてヨルダン川のほとりで洗礼を受けるとき、ルシフェルが待っているという場面が山田さんの詩に出てきます。イエスは十字架を背負ってる時もそこに行っていました。」