(1)「平成」を象徴する経営者の逮捕劇
これは、ベンジャミン・フルフォード著「金融再起動」の要約である。
2019年4月30日、「平成」の世が終わった。時代は加速して動いている。そして、時代の変革は「血」を求める。新しい時代の為「生贄」を求めるのである。日本でも「平成」を象徴するシンボルが堕ちた。→カルロス・ゴーンの逮捕である。
カルロス・ゴーンが何の前触れもなく東京地検特捜部に逮捕されたのである。容疑は実際の報酬額より少なく見せかけた金融商品取引法違反、その後の調べによってゴーンは容疑を否認しているものの、事実関係は大筋認めていると報じられている。この逮捕劇では、フランス国営企業であるルノーによる日産の完全子会社化の目論見と、グループ離脱を計っていた日産のルノーとの主導権争いなどと言った生臭い内紛説が飛び交っている。
重要なことは、カルロス・ゴーンは21世紀の平成を象徴する経営者であったことである。カルロス・ゴーンはバブル崩壊の余波で経営が悪化した日産に1999年、颯爽と乗り込んで、2兆円という莫大な有利子負債をわずか5年で全額返却した。この余りにも鮮やか過ぎるゴーンの成功は、2001年に誕生した小泉純一郎政権のもと、「日本史経営」を全否定することになった。ここが最も重要なのである。
日産は、日本式経営の悪い面が如実に表れた最悪の例であり、ゴーンはその悪弊を欧米流の経営で立て直した。これによって、日本企業の活動は、根本的に変わってしまう。その変化をもたらしたのが、ゴーンであった。
日本式経営とは、年功序列、終身雇用だけでなく労使一体経営と株式の持ち合い制度など、戦後の日本で独自に発展してきた企業マインドを指す。戦後の復興と経済成長を支えてきた日本式経営は、確かにバブル崩壊と、その後の「失われた20年」に対応できなかった。結果、竹中平蔵が主導する新自由主義(ネオリベ)の席巻を許し、日本企業の多くは欧米型の経営へと大きく舵を切っていく。繰り返すが、その原動力こそが「ゴーン神話」だった。
欧米型経営のシンボルが、平成が終わる直前に堕ちたのである。
ともあれ、カルロス・ゴーンが成功したのには理由がある。早い話、ゴーンがやったのは、日産に巣くう労働組合を解体しただけである。日産の労働組合は労使一体どころか、組合のトップが経営内容にまで口を出し、社長が御用聞き同然になっていたというから凄まじい。この組合の暴走で日産は、1998年、有利子負債が2兆円にまで膨らみ、破綻した。この時、トヨタや本田などの同業他者が合併に動き出さなかったのは、日産の労働組合を嫌悪していたからであった。
カルロス・ゴーンに期待されたのは、「外資」「親会社」という立場で、日産に巣くう労働組合を解体することだけだった。実際、メデイアが絶賛してきた「リバイバルプラン」とは、ゴーンでなければできない難しいミッションではなく、極端な話、労働組合を無力化することだった。
労働組合の力を削げば、日産は即座に黒字化するだけの力があった。それゆえ、5年で負債を全額返却したことがその証明である。それにもかかわらず日本人は騙されていく。いや、騙されるように誘導されたのである。「日本式経営などクソである」と。
日本式経営が優れた経営方式であるという証拠がある。マツダの事例である。マツダも、日産同様、経営が悪化した。そこで1996年、フォードの傘下となり、それが2002年まで続き、フォード出身社長を4代に渡って迎える。日産と違い、マツダは労使関係は悪くなかった。そのためフォード出身社長たちは、マツダの弱点だった営業強化に尽力し、経営再建を果たす。欧米流の経営を持ち込むどころか、安定した雇用がもたらす長期的な経営計画が可能な日本式経営を絶賛したのである。逆にフォードへ日本式経営を持ち込んでいるほどだった。フォード流の営業を身に着けたマツダは、2001年、高値で株を買い戻し、リーマン・ショックによるフォードの経営危機を救った。(2015年に資本解消)。
労働組合を解体しただけでバカ高い役員報酬を要求し、有価証券を偽造までして脱税をしてきたゴーンなどよりは、はるかにマツダの方が優れている。このマツダの成功例は日本式経営が間違っていなかった証拠である。欧米流の経営が日本の体質にそぐわないことの実例である。