(47)「第六感」「虫の知らせ」の神秘は時空を超える?
「第六感」は英語で「シックス・センス」という。海外でも、その存在は昔から知られていた。
現代では、超能力と呼ばれている。しかし、テレビのバラエティショーなどが、面白おかしく取り上げるだけで、まともに超能力を論じたら、奇人変人扱いである。
超能力についてまともに語ることは、一種のタブーとなっていた。これは、世の中を支配する権力者にとっては好都合である。大衆を支配する最強の武器は、常識である。「権力には従う」という常識を植え付けておけば、人民はどこまでも盲目的に従ってくる。それは、政治権力だけではない。学問や知識でも常識を疑わない人民を作り出すことは、権力維持の要諦である。しかし、社会の進展は、この権力の意向をも無視して進む。そして、社会変化のスピードは速いほど、権力の劣化も早くなる。
「言ってはいけない」タブーも、それにつれて消えていく。
昨今の状況がまさにそれである。常識のタブーが、次々に音を立てて崩壊している。そして、いまや「第六感」(超能力)の存在を疑う人は、稀になりつつある。
日本でも、古来から神通力と呼ばれてきた。つまり、超能力が存在した証である。
「超能力とは、通常の人間にはできない特殊能力このこと」(ウィキぺディア)
それは、「超感覚的知覚」(ESP)、「念力」(サイコキネシス→PK)などと呼ばれている。船瀬氏が尊敬するヨガの沖正弘導師は、インドでヨガ修行をしたとき、行者の超能力を目の当たりにしていたという。例えば、「だれだれが、何時に来る」と予言すると、それが起こる。また、「相手の財布の中にいくら入っているか?」と言って、小銭の数まで正確にいい当てる。若き沖先生が、驚いて、どうしてできるのか尋ねると、「誰でもできる。ただ現代人はその能力が鈍っている」と答えたという。
「第六感」は「量子波」の考えを用いると理解しやすい。さらに「肉体」「幽体」「霊体」の人間の三十性を理解すれば、謎はすぐに解ける。
気エネルギー、つまり「量子波」が遠隔気功と同じように飛んで、あたかも目の前にあるかのように感知する。「気功に距離は関係ない」と気功師は言う。だから、「量子波」による霊感にも距離は無関係である。さらに、障害物もないのと同じであり、地球の裏側から、財布の中身まで視ることができる。ただし、凡人が超能力を発揮することは、逆立ちしても不可能である。気功師も、厳しい修行を繰り返して、ようやく気を操れるようになるのである。
「虫の知らせ」は、更にミステリアスである。母親が亡くなった時間に、「夢枕に立った」などよく聞く話である。船瀬氏の親しい編集者のHさんは、10人兄弟の末っ子。だから、母親に可愛がられた。ある晩、その老いた母親と列車に乗っている夢を見た。外はすさまじい吹雪。そして列車が雪の鉄橋にかかった時、鉄橋が崩壊して、母親だけが一緒に落ちていった。「おふくろー」と手を伸ばしたが届かず、母親はHさんの名前を呼びながら谷底に消えていった。「その時だったんだよ。お袋が死んだのは・・・」
これは偶然では説明がつかない。愛する人が旅立つとき、最後の別れに夢枕に立つ。それをどう説明したらいいのか? やはり、「量子波」「幽体」「霊体」などの存在を抜きにしては説明不可能である。これら神秘的な現象も、「量子波」の波動エネルギーを介在している。さらに、「虫の知らせ」に予知夢がある。まだ起きていないことを夢に見る。これはいったいどういうことなのか?
実は、最新の物理学は、「時間」「空間」「意識」を同次元でとらえている。つまり、これらは絶対的ではない。それを「ブロック宇宙論」と呼ぶそうである。そこでは、時間の流れ、過去→現在→未来ですら否定されている。つまり、「時間は実在しない」という。
船瀬氏の友人で、飛沢誠一さん(61歳)は工学博士で(株)コニカミノルタの工場長を努めたほどの理科系人間である。その彼があるとき、不思議な体験をした。「周りに変な奴らがいる。何だこいつら? そう思ったら、それは霊体だったんだね」 その時から、「霊が見えるようになった」と苦笑交じりで語る。
彼は東日本大震災の時、やむにやまれず、車で被災地に向かった。「あれはひどかった。周りに霊がウジャウジャいた。自分が亡くなったことに気づいていないんだね」と顔をしかめる。彼は、更に過去や未来の、時空を超えることができるようになったという。
「未来の首都直下地震の現場に行ってみたけど、ひどかった・・・・」と首を振る。「あれは横浜の住宅街だったけど、地震直後、シーンとして、誰も出てこない。それから30分くらいしてこんなに人がいたかと思うくらい道路が埋まった。身動きできず、人の流れに押し流される。道路に巨大な亀裂が口を開けて崖になった。「危ない」と叫んだけど、「あー」と転落した…すると、現代に戻った。もう二度と行きたくないね」
彼は時間、空間を超えて、自由に過去、未来に行き来している? それを可能にしているのは、何だろうか? もしかしたら時間も、空間も、存在しないのだろうか? われわれの想像をはるかに超えたものかもしれない。