(64)「未来記」第十四章 終末国際世界の預言
(歴史的現代~近未来→世界(その1))
「未来記」は、神の言葉を私利私欲のために悪用する地(所)に神罰を与えるため、四方を守護する持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王を降ろすと預言する。
実は、これと全く同じ預言をしている書物がある。「新約聖書」である。
「大きな川、ユーフラテスのほとりに繋がれている四人の天使を放してやれ。 四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放たれた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第9章15節)
「四人の天使」とは、地を滅ぼす「殺戮の天使」のことである。聖書学的に言えば、人類の始祖であるアダムがエバと共にエデンの園から追放されたのが、紀元前4000年頃とされる。神の世界の1日は地上のおよそ1000年に該当するので、各1000年間は神の1日となり、第六の天使の時代は6000年目で、多少の誤差を加えてもまさに現在となる。
「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(新約聖書「ペテロの手紙 二」第3章8節)
天地創造を行った神の1日は、人の世界の1000年に該当することが記されている。同じ内容はダビデが著した「詩編」にもある。
「千年といえども御目には 昨日か今日へと移る夜の一時に過ぎません」(旧約聖書「詩編」第90章4節)
これは、もう一つの聖徳太子の預言書「未然記」の「未然傳注」にある1000年区切りを示す。「此紀千歳間當有事豫記故未然」とも一致する。
聖徳太子はヘブライの預言手法を知っていた。天の四方から殺戮の天使が舞い降りる預言と、聖徳太子が預言する四天王の降臨は見事に符合してくる。黙示録の作者ヨハネは、4人の殺戮の天使が舞い降りてくると、地上では虐殺の時代が始まると預言している。
ところが、現在、誰も殺戮の天使を見ていないし、四天王も見ていない。今はまだ降りていないのだろうか?
「旧約聖書」は四人の殺戮の天使を暗示する生き物を次のように記している。
「私が見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。」(旧約聖書「エゼキエル書」第1章4~5節)
戦いの表現から、四つの生き物に関わるものを神の戦車と名付けられ、「メルカバー」と呼ばれる。猛烈な風を起こし、火を放つため、とても平和の使者とは思えない。事実、黙示録でも終末に現れる戦車の扱い方で登場する。
「この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後にも一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第4章6~7節)
「獅子・雄牛・人・鷲」とは異様な表現である。これが比喩でなければメルカバーは怪物である。ここにカッバーラの仕掛けがある。鍵がなければ解き明かせないのである。
これは天の四方に配置される巨大な方位で、天界を12に区切った「ホロスコープ(天球図)」を意味する。方位だけではない。その日を割り出す「天界の大時計」でもある。ホロスコープでいうと獅子は獅子座、雄牛は牡牛座、人は水を汲む水瓶座、鷲は昔は鷲座だった蠍座に該当する。これを天球に当てはめると、見事に東西南北を指し、中心に地球が配置される。
これは地球が巨大な十字架に掛けられたことを意味し、「グランドクロス」と言われる。グランドクロスで思い出されるのが、ノストラダムスである。実は同じことをノストラダムスは預言していたのである。