(59)「未来記」第十三章 近代日本の預言
「第十三章の読み下し全文」
第三は親鸞法師と名づく 諸仏を信じずして専ら一仏を信じ 諸法を修めずして偏に一法を行ず 諸僧を供養せずして自作の法師を帰依し供養する 黒衣袈裟を着けずして鼠毛の白衣を整え 戒律を受持涼して女犯を許し 斎食を行とせずして肉味を喰らい 仏寺を汚して神社を穢す 俗男俗女を集めて亡者を弔い 以って自家の為體を為し 歸入の輩を惑わして畜生道に堕と令む 故に王臣は許さずして犬衆と名付け 将守は信じずして悪黨と呼ぶ 此の一党は仏法の僧の儀式に違いて外は王公将守の法度に背く 是れ兵乱の因縁 亡国の基 禁じ而して深く禁じ応し 退治し而して猶退治す可き者也
(第十三章 現代語訳)
三番目は親鸞法師という。全ての仏を信仰するのではなく、ただ一仏だけを信仰し諸法(一切存在)を学ぼうとしないで、ただひたすら一法(一物)だけを修行する。諸々の僧を供養することをしないで、自分が育てた僧だけを絶対的に信頼して供養する。黒い色の袈裟を身につけないで、鼠の毛でこしらえた白い法衣をそろえ、戒律(宗教における生活規律)を守らずに、女性と交合することを許し、斎食(肉食をしないこと)を実践しないで、肉を食べ、そうして仏寺や神社をも汚す。一般に人々を集めては亡くなった人の葬式を行い、それを正体とする。行くべきところに落ち着いた者たちを惑わし、そうして畜生道(生前に悪行をなした者が赴く世界。禽獣の姿に生まれて苦しむ)に堕とさせる。そのため君主の家来は是を認めずに「犬衆」と名付け、将軍やその兵たちも誰一人信心することなく、悪党と呼ぶ。この一派は仏法の作法に背き、そうして王公や将守の掟にも背く。このことは、戦乱のきっかけとなり、ひいては国を亡ぼす原因となる。固く固く禁じ、必ず退治しなければならない。
(歴史的現代→日本)
親鸞を三番目の悪僧とするが、歴史的順に並べれば親鸞は三悪僧の中で一番古い。よって、ここは3時代の昭和ではなく明治を指す。そこに根源が隠されているからである。
実際、明治は富国強兵の先駆けで、薩長が軍国化を急ぎ、江戸時代の将軍中心と同じ要を作るため、天皇を現人神にする絶対的宗教が必要だった。そこに登場したのが国家神道で、国民を束ねる道具に仕立て上げた。
それはすべてを天皇に集約させる祭政一致の中央集権国家体制を意味し、国民には有無を言わさず服従することを強要した。それ故の「神仏分離令」であり、仏教を排斥する「廃仏毀釈」だった。
これは明らかに弘法大師が唱えた「三教指帰」の「仏教・道鏡・儒教」の根本が一つの出所から派生したものとする奥義を無視した暴挙となった。
「未来記」が弘法大師の密教を良しとする以上、明治政府が行った国家神道による統制は、明らかに邪教の暴走を招く結果を引き寄せた。
それが親鸞の唱えた「不信諸仏而専信一仏 不修諸法而偏行一法」であり、仏教の仏の中の一部つだけを信仰して諸法を学ばず、ただひたすら一法のみを修行して過ちを犯すことになった。元々、仏教、道鏡、儒教の三本柱だった宗教体系を、神道一本にした結果、神道が暴走して化け物のような国家カルトが出来上がったのである。
その災いが今だに尾を引き、国家神道の要だった「靖国神社」が中韓に外交利用され、本来の国策を縮小化させるばかりか、過たせる種となっている。
一方、「未来記」は弘法大師の教えは認めている。弘法大師の「三教指帰」には深い奥義が隠されている。実は、三教にはルーツとなる根が存在する。それがヘブライの教えであり、ユダヤ教である。さらに言えば、裏ユダヤ教(密教)であり、そこから生まれた「原始キリスト教」と解釈される。
なぜなら、弘法大師はユダヤ密教のカッバーラに精通し、大陸から密教継承者として奥義を持ち帰ったからである。
だから「いろは歌」も弘法大師の作とする伝承が残されるのである。記録上、真言密教系の「新義真言宗」の祖・覚鑁が「密厳諸秘釈」の中で、いろは歌の注釈を記した記録がある。いろは歌は七五調四句の今様形式の手習い歌で、いろは仮名47文字の配列は以下のようになる。
「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす(ん)」
これは勝手に並んでいるわけではない。以下の歌が存在するのである。
「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」
いろは歌は中世から近世の「辞書」にも広く利用され、日本人なら誰でも知っている。七五調句切ではなく、七文字句切りの場合は、以下のように並ぶ。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
すると、末尾の7番目だけを並べると、「とか(が)なくしてしす」で「咎無くして死す」となり、無実の罪で磔刑に消えたイエス・キリストを指すとされている。
7は聖数を示し、そういう仕掛けを密教と言い、ユダヤ密教のゲマトリアが源流である。
神道の根幹が天照大神であり、聖徳太子を大工の祖と仰ぐからには、天孫族の根幹に大工のイエス・キリストから直接教えを受けた「原始キリスト教」の教義があったことは歴然である。
弘法大師が奥義とする魂が国家神道には完全に欠落していた。実際、神が受胎して人になる現人神とは、絶対神ヤハウェ(エホバ)がマリアに受胎した救世主(イエス・キリスト)の象徴なのである。天皇とは「工・人・白・王」と分解して解釈できるが、その意味は白光する工人(大工)の王の意味で、天皇陛下はその神に仕える者の意味となる。
それを履き違えて、天皇を神にして暴走したのが日本の軍部だった。弘法大師の密教を是とする「未来記」を中心に置けば、空念仏を唱えれば救われるとした親鸞や、踊り狂って救われるとした一遍も間違いとなり、最悪なのは、己が正しく他宗教を全て邪教と決めつけた日蓮となる。
日蓮は当時すでに景教として伝わっていたイエス・キリストを邪神として切り捨てたわけだから、イエス・キリストと敵対する存在であり、聖書学的に言えば、反キリストとなる。
すると、日蓮はサタンの手先となり、将来、巧妙に日本の政治に介入して国の未来を奪うことになる。事実、アメリカの言いなりで、実質1000兆円もの借金を国民に背負わせ、自民党を何度も救っているのが創価学会であり公明党である。だから、聖徳太子は日蓮を最悪の僧とした「未来記」の仕組みの中で預言しているのである。