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聖徳太子の「未来記」開封(58)

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(58)三悪僧が招き寄せる戦国時代を預言する

「第十三章の4の読み下し文」

是れ兵乱の因縁 亡国の基 禁じ而して深く禁ず応し 退治し而して猶退治す可き者也

(現代語訳)

このことは、戦乱のきっかけとなり、ひいては国を亡ぼす原因となる。固く固く禁じ、必ず必ず退治しなければならない。

(現代注釈訳)

「兵乱」とは後の戦国時代のことを指すと考えられる。なぜなら「因縁」と記されているからで、三悪僧の罪業による因果で起きると預言されている。

 3人の僧、一遍法師、日蓮法師、親鸞法師と悪僧の名を挙げているが、なぜか書き方の順序がおかしい。そこで三悪僧を「未来記」の記載順に並べてみる。

 一遍法師→1239年~1289年 享年50歳

 日蓮法師→1222年~1282年 享年60歳

 親鸞法師→1173年~1262年 享年89歳

 本来、生まれた順から書かれていなければならない。そこで生まれた順ならこうなる。

 親鸞→1173年~1262年 享年89歳

 日蓮→1222年~1282年 享年60歳

 一遍→1239年~1289年 享年50歳

 次に死亡した順に並べてみる。

 親鸞→1173年~1262年 享年89歳

 日蓮→1222年~1282年 享年60歳

 一遍→1239年~1289年 享年50歳

 生まれた順と死亡した順が同じになっている。そこで西暦ではなく、和暦で並べてみる。

 親鸞→承安3年(1173年)~弘長2年(1262年) 享年89歳

 日蓮→貞応元年(1222年)~弘安5年(1282年) 享年60歳

 一遍→延応元年(1239年)~正応2年(1289年) 享年50歳

 ここで六十干支で当てはめてみると以下の構造が見えてくる。

 一番目の一遍法師→1239年(乙亥)~1289年(乙丑)

 二番目の日蓮法師→1222年(壬午)~1282年(壬午)

 三番目の親鸞法師→1173年(癸巳)~1262年(癸戌)

 二番目の日蓮法師だけが同じ六十干支の「壬午(みずのえうま)」に生まれ、「壬午」で死亡している。つまり、六十干支を一回りするのである。

 「未来記」は、聖徳太子が亡くなった622年「壬午」から、預言が開始される600年一巡の1222年「壬午」で日蓮が生まれたことから、三悪僧の中で日蓮が、未来の日本を亡国に導く最悪の僧を暗示する仕組みになっている。

(歴史的事実)

 三悪僧の一人が開いた浄土真宗は、別名を「一向宗」と呼ぶ。あるいは浄土真宗から派生したとする分析もあるが、根は同じ親鸞にあり、全くと言っていいほど差がない。歴史に詳しい人なら、一向宗徒と聞くだけで「一揆」が思い浮かべるほど、頻繁に武力闘争を繰り返す宗派だった。

 一向宗の本拠地は、浄土真宗の本山である「本願寺」である。親鸞の一向宗徒は、全国で領主に対する一揆を頻繁に起こす。その実態は戦国大名以上の武力を持つ集団だった。

 その本願寺は、やがて朝廷や大名と連携を取り政治の世界に台頭していくが、天下を統一する途上の織田信長と激しく対立したため、徹底的に叩きのめされる。一方、天台宗の「延暦寺」を筆頭に、武装集団が登場するのも、平安時代末期から鎌倉時代にかけての頃である。彼らを「僧兵」と呼び、寺同士の勢力争いに顔を出し、朝廷に対しても武力をちらつかせて訴状を通そうとした。これは明らかに浄土真宗が、武力で政治に関与し、国策を握ろうとした表れだった。

 歴史上、悪魔とまで称された織田信長も、「未来記」から見れば、三悪僧の宗派に仏罰を与えた阿修羅のような存在だったことになる。


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