(53)「未来記」第十一章 近代日本の預言
「第十一章読み下し全文」
同経第五に云う 悪世の中比丘は邪智にして心謟曲し 未得ずに得為りと謂手は我慢心充満して利養に貪著する 故に白衣を與て説法し 世の恭敬する所と為す 六通羅漢の如く自ら此の経典を作りて 世間の人を誑惑し名聞を求めんと為す 故に分別して此の経を説く 濁劫悪世の中多く諸の恐怖有り 悪鬼その身に入り我を罵詈毀辱する 濁世の悪比丘は仏の方便随喜の所説の法を知らずして悪口し而して顰蹙數數を擯出せらる
(第11章の現代語訳)
同経(法華経)の第五には、悪い世の中では僧は悪智恵にたけ、心は疑いで歪み、まだ悟りを得ていないのに得たと言っては、高慢な心を満足させ、地欲を貪って自分の身を肥やすことに執着する。それ故に、白い色の衣で説法しては世間に慎みをもって敬われる。六通(六種の神通力=天眼、天耳、他心、宿命、神足、漏尽)を得た阿羅漢(仏教の修行の最高段階に達した人)の如く経典を自ら作って世間の人を誑かして惑わし、名誉を得ようとする。そのための思案を巡らしてこの経を説く。いつ果てるとも知れない、乱れた世の中には、様々な恐怖があり、悪鬼はその身に入り込んで自分自身を罵り傷つけて辱める。この世の悪僧は、仏の方便(衆生を教えに導く巧みな手段)やありがたい経典を理解しようともせずただ悪口を言い、そうして眉をひそめて度々排斥される。と、述べている。
(歴史的現代→日本)
国家神道とは、明治時代に登場した似非神道のことで、神道の名を借りた邪道である。日本古来の神道と精神主義が組み入れられているが、強烈な国家統一主義が欲しい軍が、天皇の統帥権を悪用し作った国家カルトというのが実態である。
国家カルトを興した軍も、カルト教団と同様、現実を現実として見ることができなくなっていた。異常な精神主義が、現実黙殺や現実逃避を自然に生み出し、現実直視の戦場で大きな矛盾となって露呈した。例えば、明治から異常な精神主義に傾斜した陸軍は、銃よりも軍刀による白兵戦を重視し、拳銃は自決用に過ぎないと考えていた。さらに兵士が使う軍用ライフル銃も、明治38年に製造された旧式の「38式歩兵銃」で、これを太平洋戦争まで使用する。すでに世界の動きは、より威力のある7・7ミリ口径の時代に入っていたにもかかわらず、日本は6・5ミリを使い続けていた。その最大の理由は次のようなものだった。
「銃傷は唯戦場に於いて敵兵の戦闘力を失わしめればすなわち足る」
当然、いつまでもこんなバカな理屈が通用するはずがない。太平洋戦争に突入する前、慌てた軍は急に7・7ミリ口径の「99式歩兵銃」を量産するが、戦場で大部分を占める38式歩兵銃と弾丸の互換性がなく、弾があっても使えない事態が続発する。戦争に精神論を持ちこんだ付けが、一気に反動として戻ってきたもである。銃器に勝るアメリカ軍の侵攻に慌てた軍は、急遽、婦女子に竹槍を持たせ、軍を守る盾にするため「一人一殺」で国を守れと教え、婦女子を安心させるため「アメリカ軍が上陸したら神風が吹く」と信じ込ませた。まさに国家カルトの最後は狂気の沙汰であった。他にも異常な精神主義と妄想の類例は山ほど存在する。
世界で初めて電波受信アンテナを発明したのは日本人だった。これを「八木アンテナ」といい、現代でもテレビアンテナとして使われている。1925年「東北大学」の八木秀次博士により世界で初めて、レーダーに使えるアンテナが日本で特許申請され、国内・国外の学界に発表された。その後、宇田新太郎博士を中心に実用化研究が進められたが、軍の反応は黙殺無視であった。特許も15年経過後の期限延長まで拒否される。
「大和魂があれば鬼畜米英など一息で吹き飛ばす」 それが国家カルト特有の妄想であり、現実軽視だった。逆に欧米派この発明を見逃さなかった。英米軍は八木アンテナを使い、日本軍の動きを把握して、失った戦線を確実に押し戻していった。夜間戦闘におけるレーダーの威力は絶大で、ほとんど目視飛行しかできない日本の戦闘機や爆撃機は、次々と落とされていった。そして日本軍に八木アンテナがなかったことを知った英米軍は、驚き呆れたという。やがて日本軍も「電波」と名付けたレーダーを使い始めるが、時すでに遅し、一方的な惨敗を繰り返すことになる。
「一撃必殺」や「大和魂」などは、多くの場合は空念仏と同じで、ほとんど何の役にも立たなかった。妄信、妄想、妄言では現実に打ち勝てない。空念仏は国策を過たせるばかりか、膨大な数の人命をも犠牲にした。
海軍も同様である。真珠湾攻撃で飛行機の時代を招き寄せ、戦艦の時代を終わらせたはずの日本海軍は、なぜかその後も明治以来の大艦巨砲主義を捨てようとしなかった。妄信と傲慢は表裏一体であり、それを拡大したのが神国日本、海軍日本への妄信だった。
劣勢に追い込まれるに従い、元々異常だった精神主義を軍はさらに激化させる。人間を兵器の部品にする特攻作戦(神風特攻隊)を始めたのである。そこには人命重視や戦後日本への責任感など一片もない。1978年に起きた「人民寺院」による集団自決事件や、1993年に起きた「ブランチ・ダビディアン」の集団自決事件などのカルト教団と同様、国家カルトも一族郎党を引き連れて死ぬことを目指したのである。軍の狂気による日本民族絶滅を神前で救ったのが昭和天皇だった。それだけでも昭和天皇の存在価値があった。
その天皇に代わろうとしたのがオウム真理教の麻原彰晃である。理屈から見れば、日蓮が抱く自分の宗教以外(神道を含む)を邪教とし、排斥する思想を内在する創価学会にもその傾向があることになる。邪教である神道の長が天皇陛下という位置づけになるからである。
オウム真理教がアーレフなど名前をいくら代えても「タントラ・バジラヤーナ」のポア思想(教えの為には殺人も許される教義)を内在することに変わりはない。創価学会も公明党も表明こそしないが、他宗教・他宗派をすべて駆逐する日蓮の根本思想が消えることなく内在しているはずである。聖徳太子は「未来記」の中でそれを見通していたのである。