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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(68)

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(68)世界統一政府樹立後に起こる「七つの災い」

 ヨハネは新たに「七つの災い」を起こす天使のことを記している。

 「七つのラッパ」に続き「七つの災い」が地上で起きるが、その災いは「七つの鉢」に入っている。それは神の怒りの杯であり、鉢の一つ一つが順に地上に注がれていくと、地は最後の断末魔の苦しみに喘ぐことになる。

「わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第15章1節)

 その時ヨハネは、地上に海が亡くなり、燃え盛るガラスのようになっていると述べている。

「わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。さらに、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海に立っていた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第15章2節)

 岸に集まる人々は、原始キリスト教徒である。それ以外の人間は存在しない。彼らが世界総統の圧力に屈しない最大の理由は、彼らに預言者と絶対神が付いているからである。神の知恵は人よりも勝る。

 彼らにはモーセのような預言者がいて、ファラオである世界総統と対峙する。地上が世界総統に支配されても、原始キリスト教会は一つの巨大な共同体を作って、信仰を守り抜くだろう、資金や食料の面でも、原始キリスト教会は前々から準備しているので困らない。預言者はそのために存在する。飢饉に備えたヨセフと同じである。

 原始キリスト教会の共同体に天災が及ばないことも、モーセの頃の記述を見れば推測できる。そこには、疫病からも人の頭ほどもある巨大な雹からも守られるとある。

「翌日、主はこのことを行われたので、エジプト人の家畜は全て死んだが、イスラエルの人々の家畜は一頭も死ななかった。ファラオが人を遣わして見させたところ、イスラエルの家畜は一頭と言えども死んではいなかった。」(旧約聖書「出エジプト記」第9章6~7節)

「雹はまた、野のあらゆる草を打ち、野の全ての木を打ち砕いた。ただし、イスラエルの人々の住むゴシェンの地域には雹は降らなかった。」(旧約聖書「出エジプト記」第9章25~26節)

 「獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たち」とは、原始キリスト教会の信徒たちの絶対権力に抗する姿勢を示している。「像に勝ち」とは、大教会が世界中に置く偶像を拝まなかったということで、「数字に勝った」とは666に象徴される獣の数字を額と右腕に打たなかったことを意味する。つまり彼らは、世界総統の絶対権力の枠外にあり、自主独立しているのである。

 それでは、獣の数字を刻んだ人が、後に悔い改めて原始キリスト教会に入った場合はどうなるのか? 答えは簡単である。世界政府側が、その数字を削除してしまうのだ。世界政府はその人を庇護の対象から外し、彼らの築いた社会から追放する。そうなればコンピュータから、その人の存在は削除され、サタンと獣と法皇の所有記録から消えてしまう。原始キリスト教会の信徒たちもそうされるはずである。「火が混じったガラスの海」とは、おそらく、超高熱で海が蒸発して地球から水という水が消え失せた状態である。こうなったら最後、水によるバプテスマは受けられない。

 そんな超高熱の炎で焼けた大地に、人が立てるものなのか? 当然、「ガラスの海」は象徴ではあるが、実際の状態も示している。1つは清められた大地の状態、つまり獣に代表される悪に染まった大地がなくなったことを示している。もう1つは、実際に超高熱プラズマに襲われた地球が、溶鉱炉のような猛火に包まれ、瞬時に全ての海水が蒸発して、大地がガラス化した有様を表現している。

 ガラス化するほど焼け爛れた大地に、原始キリスト教徒たちは平気で立っていられるのは、彼らは既に不死不滅の復活体に変貌しているからである。復活体は不死不滅なので、焼け死ぬこともなければ、年をとることもない。そこには、復活を果たした死者も含まれている。

「この神殿から、七つの災いを携えた七人の天使が出てきた。天使たちは、輝く清い亜麻布の衣を着けて、胸に金の帯を締めていた。そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第15章6~7節)

 地上がすでに超高熱で焼かれたにもかかわらず、なおも災いを7つも与える意味はあるのか? 

 あるわけがない。つまり、ここは時系列には並んでいないのである。

 ヨハネが見たガラスの海とは、怒りの7つの鉢が地上に注がれた後の状態である。こうした入れ替わりが幾つかあることが黙示録をさらに難解にしているのである。


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