(55)「二人の証人」
超大国アメリカの後ろ盾無くしては、イスラエルは圧倒的な数のイスラム連合軍に対抗できるはずがない。そうなった場合、アメリカと同盟国が戦略本部を置くのは、当然エルサレムである。それによって、イスラム軍のエルサレム侵攻を阻もうとするのだ。完成したソロモン第3神殿を破壊されないように、神殿の周囲を完全武装で警備するのも、アメリカと同盟軍の兵士たちということになる。
「それから、私は杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇を測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第11章1~2節)
エルサレムに駐留する異邦人の軍隊は、「四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじる」とある。42か月は3年と6か月である。エルサレムへの攻撃が即、アメリカと同盟国の攻撃につながるのだから、当然にらみ合いが続くはずである。「聖なる都を踏みにじるであろう」というのだから、駐留軍は征服者と同じで、極論すれば、悪に満ちているということである。
軍が国の指導者の命令に従う以上、問題は最高指導者にある。それは同盟国も同じで、国連に代表される国際組織も同じことである。今のアメリカなら大統領だし、アメリカが作るであろう世界政府なら世界総統になる。
異邦人とはイスラエル人以外の民族のことで、異教徒を指す場合もある。このことから聖なる都を踏みにじるのは、ユダヤ教以外の者たちとなる。彼らについてヨハネは、黙示録の後半で詳細に記しているので、後に詳しく説明する。
重要なのは、エルサレムが支配される3年半の期間、イスラエルに2人の男が現れるという預言である。
「「私は、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」 この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。彼らには預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でもあらゆる災いを地に及ぼすことができる。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第11章3~6節)
「二人の証人」とは、原始キリスト教会に属する神権を持った預言者のことであり、その預言者はイエス・キリストがヤハウェ(エホバ)であると証言し、もう一つの聖書を掲げながら、三位三体を宣べ伝える。世界中の宗教関係者たちはそれに激怒する。三位一体を標榜するカトリック教会とプロテスタント教会の指導者も、共同歩調をとって彼らに反抗する。
その頃、世界の宗教は、バチカン主導で一つに統合されている可能性がある。ユダヤ教とイスラム教はそこから除かれるだろうが、原始キリスト教会も、断固として自らの信条を守るはずである。三位一体と三位三体は天地ほども違うからである。
ではなぜ、原始キリスト教の証人は2人なのか?
おそらく1人はセム系の血統的スファラディーのための証人で、他方はヤフェト系アシュケナジーのための証人になるのかもしれない。別の言い方をすれば、血統的ユダヤ人と、非血統的ユダヤ人のための証人である。
あるいは、モンゴロイドとコーカソイドになるとも思われるが、定かではない。はっきり言えるのは、エジプトのファラオに対するモーセのような預言者ということである。
彼らが預言する1260日は、約3年半である。それはエルサレムが包囲される期間とほぼ同じで、彼らはその間、イスラエル各地でイエス・キリストのように伝道する。彼らを妨げることはできない。なぜなら、「二人に害を加えるようとするものがあれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう」「この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される」とあるからだ。
実際に口から火が出るわけではなく、2人の言葉により妨害者が地に倒れ、命を失うのだろう。日本では口から発する言葉が現実になることを「言霊」というが、預言もそれと同じ意味になる。
問題は「預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある」ことだ。3年半もの間、地上に雨が全く降らないというのである。これは人々に神の存在を教え、高慢を捨てて神に戻る機会を与えるためで、刈り入れ前の産みの苦しみともいえる。
世界中の大多数は、どんなに大変な事態に遭遇しても心根を変えることはない。視野狭窄で先が読めず、心も閉塞し、かたくなさをさらに増していく。それはモーセの時代のラメセス2世と同じで、追い詰められれるほど、更に心をかたくなにする。自我の強さゆえに、悔い改めを拒絶するのだ。
「主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、私が彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう」(旧約聖書「出エジプト記」第4章21節)
「私が彼の心をかたくなにする」は、神がファラオの心をかたくなにするのではなく、かたくなな心をそのまま露出させる。つまり、本性を露見させるという意味だ。その結果、古代エジプトは凄まじい天変地異に見舞われ、無残な状況に陥ったのである。