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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(54)

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(54)「第七のラッパ」(その1)

 ヨハネは、第7のラッパが吹かれたら、海と地の上に立つ大天使から小さな巻物を受け取ると記している。だから、ここではまだ第7のラッパは吹かれていない。なのに、第7のラッパを吹く前にそれを記すのは、それだけ重要なことが記されているからである。

「第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられた通りである。」 すると、天から聞こえたあの声が、再び私に語り掛けて、こういった。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ」 そこで、天使の所へ行き「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使は私に言った。「受け取って、食べてしまえ。それはあなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」 私は、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第10章7~10節)

 何とも奇妙な記述であるが、一つの啓示が含まれている。

 ヨハネが巻物を食べたというのは、天から与えられた使命を引き受けたことの比喩である。その使命は「小さな巻物」に関わることで、地上ではイエス・キリストの再降臨まで記録をとり続けることとは、また別の使命である。なぜかというと、第6のラッパに「七つの雷が語った時、私は書き留めようとした」とあるのだから、ヨハネはこの時点ですでに記録をとっていたからである。

 それでは新しい召しとはどんなことなのか?

「それは、口には蜜のように甘かったが、私の腹は苦くなった。すると、私にこう語りかける声が聞こえた。「あなたは多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第10章10~11節)

 「口には蜜のように甘かった」は、イエス・キリストの福音が人を幸福にすることを意味している。その一方で、「私の腹は苦かった」とあるのは、必ずしも受け入れる者が多いわけではないことを示唆している。

 パトモス島に流された頃、ヨハネは70歳をとうに過ぎていたはずである。そのヨハネに「多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない」と命じている。しかし、ヨハネはパトモス島から脱出し、世界各地の国々で伝導したことを示す記録はどこにも残されていない。

 実は、この指示は、様々な民族、国民、王、統治者について預言書にせよということだった。つまり、全世界の人々の未来と救いに関わる黙示録の作成である。

 勿論、ヨハネは失われたイスラエル10支族の本隊が住むアルザルについても言及しているが、その存在は他の宗教も伝えている。釈迦が入滅前、弟子たちに向かって話した聖人たちの住む世界「シャンバラ」は、アルザルのことである。

 チベットのボン教においては、人類史に登場するすべての聖人の誕生地であり、世界に知識と文明をもたらした神の王国「アガルタ」の首都をシャンバラとしている。アガルタ人は秘儀精通者を意味する「イニシエ」と呼ばれ、その最高位の者が「世界王」になるという。

 己の野望から、常に空席になっている王の座を奪おうとして、アガルタから追放されたのがミロクである。ミロクは仏教の弥勒菩薩とは別の存在で、闇の子と呼ばれ、チャクラを持たないため何かに寄生しなければ生きていけないというところは、肉体を持たないルシフェルを彷彿させる。アガルタから持ち出した霊性で世界支配を企んでいる闇の子ミロクは、現在、力による圧制を敷きながら、地上を恐怖で支配しようと画策しているという。この件も、聖書における光と闇の戦いと全く同じである。

 釈迦は聖人の住む世界が北の果てにあるといい残している。それを文字通りに解釈すれば、北の果てとは北極点のことで、そこは磁力線が地球の中心部に向けて潜り込んでいるため、プラズマ現象で満ち溢れた世界である。

 イヌイット(エスキモー)たちも、北の果てに畏敬の存在が住む世界があり、近づくことを許さないと長年言い伝えられてきた。

 一方、チベットに残された数ある伝承の中に、シャンバラに絶対神「ティヤン・チョーキハン」が祀られていて、歴代の王が仕えているとある。

 同じチベットの「時輪タントラ」には最終戦争が預言され、最後の王である「ルドラ・チャクリン」の時代が来れば、無数の力を持つ「ラ・ロ」と名乗る地上の大王が、大軍を率いてシャンバラに攻め込もうとすると記されている。ラ・ロは地上世界を武力によって征服する大王で、シャンバラが己にとって唯一邪魔な存在になるため、地上に出てくるシャンバラの人々を許すことができない。そのラ・ロの大軍を、ルドラ・チャクリンはシャンバラの全精力をもって打ち負かすというのだ。

 「時輪タントラ」では、シャンバラ最後の大王ルドラ・チャクリンの称号を「カルキ」と記している。インドのヒンズー教では、カルキ神は最後に現れると約束された未来神のことである。カルキ神は宇宙原理の中心であり、いくつもの化身を持つヴィシュヌ神の最後の化身の姿とされ、「カリ・ユガ」の時代が終焉する直前に救世主として現れ、地上に満ち溢れた悪の軍勢を打ち滅ぼすという。そのことから浄化神と呼ばれ、白馬にまたがる姿で描かれる。

 同じヴィシュヌ神の化身で、骨肉をもって具現化した姿がクリシュナ神であり、そのクリシュナ神が木の元で絶命した後、再びヴィシュヌ神となり、世が終わる寸前にカルキ神となって戻ってくるという。

 これはヤハウェが受胎してイエス・キリストとなり、磔刑で命を失った3日後に復活して天界に昇り、世が終わる寸前に戻ってくる再降臨と見事なほどに一致する。つまり、白馬に乗るという比喩で預言されたイエス・キリストは、白馬に乗ってシャンバラから現れて世界を浄化するカルキ神と同一ということである。

 たとえ呼び名が違っても、ヴィシュヌ神とカルキ神は絶対神ヤハウェ(イエス・キリスト)のことであり、紀元前からアジア一帯で、救世主の出現は預言されていたのだ。だからこそ、イエス・キリストの誕生の時、東方から博士たちがやってきたのだ。


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