(18)既に国家財政破綻同然のフランス
パリのテロで利益を得たのは、間違いなくフランス政府である。2016年4月現在、ヨーロッパ経済は危険な状況が続いている。2008年のリーマンショック後、EUではギリシャを筆頭にポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインの頭文字から「PIIGS(ピッグス)」が危険視されてきた。しかし、EUで最も危険な経済状態だったのはフランスだった。このビッグスへサブフライムローンのような金融商品で積極的に貸し付け、莫大な投資をしていたのがフランス、特にBNPパリバなのである。要するに、バブル時代の不動産会社がピッグスで、それを貸し付けていた大手銀行がフランスだったのである。日本の銀行は公的資金投入で倒産こそ免れたが、フランスに公的資金を注入する余力を持った国際機関は無い。相当、危険な状態と言うか、事実上、国家破綻している。破綻したくても影響が大きすぎて破綻できないのである。
フランスのメディアは、連日、中国関連のニュースで溢れている。フランスが中国関連の悪いニュースを報道するのは、このままではフランス経済が失速するので、中国政府は景気対策を真剣にやってくれという「悲鳴」に近いのである。逆に言えば、現在のフランスを救済できるのは中国だけだという証拠でもある。事実、フランスは「パリ同時多発テロ事件」前からIMF(国際通貨基金)に中国の人民元をSDR(特別引出権)の構成通貨に入れるよう強く働きかけ、2015年12月9日、IMFは正式に了承した。人民元がドルと同等の国際基軸通貨、ハードカレンシーになることをフランスが諸手を挙げて認めたのである。
人民元のSDR入りを推進したのは、IMF専務理事のクリスティーヌ・ラガルドである。彼女が2011年、IMFの専務理事入りしたのは、ドミニク・ストロス=カーンが失脚した為である。ストロス=カーンもまた、基軸通貨をドルではなくSDRに切り替えようと提案した矢先、「レイプ事件」で逮捕、失脚した。その意味で言えば、5年越しの悲願達成であった。
EUの失敗は、共通通貨「ユーロ」の失敗である。ユーロを共通通貨にしながら各国の財政は別々にやっていた。これでは預金通帳を親戚全員で使っているようなものであり、お金持ちのおばさん(メルケル)の貯金がたっぷりあったので、貧乏な親戚はどんどん引き出して散在する。ドイツやフランスが高級品を買うのでうまくいっているように見せかけていただけで、こんなやり方がいつまでも続くはずがない。いずれにせよユーロは終わった。そうなればフランス経済は破綻へとまっしぐらになる。もはや、なりふり構わず、人民元をSDRに取り込むしかなかったのである。
国家破綻寸前のフランスは、「パリ八百長テロ」を仕掛けるしかなかった。事件後、フランス政府はイスラム国(IS)に宣戦布告して自慢の空母艦隊を中東に派遣した。つまり、フランス政府は、どうしても軍をイラクに派遣したかったのである。しかし、経済が悪化して財政が空っぽの最中、軍を派遣することは不可能だった。「イスラム国」に軍を派遣しようとすればフランス全土で反対デモが発生したからである。そんな金があるなら福祉に回せと大騒ぎになっていたはずである。だからこそ、パリ同時多発テロは都合がよかった。だからテロを起こしたのである。
フランス政府が自作自演のテロを起こしてまで中東に武力介入した理由は、中東の石油利権を守るためである。中近東の石油利権は年間200兆円に上る。この大半を握ってきたのが「闇の支配者」である。中近東・北アフリカの石油利権はサウジアラビアからクウェートなどの湾岸諸国がエクソン・モービル、つまりロックフェラーが押さえてきた。これにBP、ロイヤル・ダッチ・シェルと言うイギリス王室とロンドン・ロスチャイルドが相乗りしてきた。この「闇の支配者」に対抗する形で21世紀、躍進してきたのがプーチン大統領率いるロシアのガスプロムと中国共産党のSINOPEC(中国石油化工集団公司)だった。こちらはイランとシリアに利権を持っている。
そこでフランスであるが、フランスには8番目の妹と呼ばれるトタルがある。基本はアルジェリア、チェニジア、リビアと言った北アフリカの旧植民地が中心だが、第2次大戦でナチスドイツから奪ったイラクにも巨大な利権を持っている。そのイラクはイスラム国(IS)の浸食を受け、最も石油利権が不安定となっている。しかもイスラム国はイラクからシリアにかけて支配領域を強めている。
フランスは、パリ同時多発テロをイスラム国の仕業にすることでシリアからイラクへと軍事介入していき、イスラム国を排除した功績をもって、イラクの石油利権を守ろうとしているのである。イラクの石油利権を守るために自作自演テロを何故するのかと疑問に思う人もいるだろう。今、イスラム圏では別の大きなムーブメントが起こっている。つまり、イスラム再編の動きである。
中近東から北アフリカ一帯は、欧米列強が好き勝手に国境を線引きした人口国家群が多い。そこでイスラム系住民たちは、イスラム文化に沿った緩やかな共同体を求めるようになった。このエリアに2つの潮流がある。1つはペルシャ系文化であり、もう1つはトルコ系遊牧文化である。この両者は歴史上、激しく争ってきたが、イスラム教によって融和し、キリスト教圏を超える大国を築いていた。要するに「旧オスマン帝国」と「旧ペルシャ帝国」の復活である。