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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(26)

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(26)「三大ピラミッド」はエノクが建てた!

我々は、大ピラミッドが王の墓と教えられているが、アラブでは、昔からギザの丘の三大ピラミッドを、エノクが建てたという伝承が残されている。

 大ピラミッドをクフ王の墓とする最大の根拠は、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが記した「歴史」にある。その中で、ヘロドトスは、エジプトの神官の話として、大ピラミッドをクフ王の墓として紹介している。しかし、この神官の話はあてにならなかった。ヘロドトスは後年になって、前言を撤回する。つまり、ピラミッド建造の栄誉を盗み取ったとして、クフ王を泥棒とこき下ろしているのだ。そして、奴隷10万人を使って20年で大ピラミッドを建造したとされているが、これもあり得ない。

 砂の中から発見された当時の一般市民の記録には、給料とビールをもらいながら、毎日、家から通ってクフ王のピラミッドを作ったと記されていた。他にも様々な記録が出てきて、ピラミッド建造の従事者も精々4000人に過ぎず、女子供を含む一般市民だったことも判明した。こうしたことから、クフ王が関わったピラミッドは、精々三大ピラミッドの前に並ぶミニピラミッドぐらい、もしくは大洪水で傷んだ三大ピラミッドを修復した程度だと考えられる。

 実際、大ピラミッドは墓ではなく神殿である。これは早稲田大学の吉村作治教授を筆頭とする研究者たちの考えでもある。

 三大ピラミッド以外は、ミイラが納めてあったので墓に間違いないが、三大おいらみっどには王の所業を記したヒエログリフも一切ないことから、古代エジプト文明と遮断された別の文明の遺跡と考えた方が妥当である。古代エジプト人が建てたピラミッドは、その文明の模倣に過ぎないということである。

 1873年、イギリス貴族の道楽息子で、エジプトにいた陸軍大佐リチャード・ヴァイスは、大ピラミッドの「重力拡散の間」で、クフの名を記したカルトゥーシュを見つけたと発表する。ところが、天上の家亜に刻まれていたそのカルトゥーシュは、19世紀の研究本にあったクフという文字そのままだった。これは後に間違った文字と判明している。クフ王の時代の人間なら、その文字を絶対に間違うはずがない。勿論、それを刻んだのは名声が欲しかったヴァイス自身であった。

 9世紀の歴史家アブ・バラキも「大洪水の直前、多くの賢者は天変地異を預言した。彼らは地上の生物や文明の叡智が失われることを憂慮し、エジプトの大地に石造りの塔を建築した」と書き残している。

 ほかにも、アラブの歴史家マウスディー、マクリーミ、ソラール、アルディミスギ、アル・マクリージーらも同様な記述を残し、それを成したのがエノクだとしている。

 14世紀の有名な旅行家であり歴史家でもあったイブン・バトゥータは、「エノクが大ピラミッドを建設した目的は、大洪水から貴重な宝物と「知識の書」を守るためだった」と記している。

 勿論、ギザの丘の第2ピラミッドはカフラー王の墓ではなく、第3ピラミッド木綿カフラー王の墓ではない。つまり、これらの3つのピラミッドはカッバーラの三位三体を示す巨大な喪に面とであり、3柱の神の神殿だったのである。

 位置関係からすると、右端にある大ピラミッドは慈悲の柱、ヤハウェ(イエス・キリスト)の神殿だったことになる。そうなると、大ピラミッドの玄室にある石棺のような構造物は、原始キリスト教会に不可欠な、死者の洗礼(バプテスマ)を行うバプテスマフォントの可能性が出てくる。


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