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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(24)

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(24)ピラミッド・アイの真相

 聖書学では、アダムがエデンの園から追放された7日目に「福千年」に入るとされている。つまり、エデン追放から6000年が過ぎ去った後、1000年の聖日である福千年が訪れるということである。

 したがって、神の7つの目で管理される7つの封印とは、アダム追放から6000年間の世と至福の1000年を意味している。

 黙示録では、「角」は1000年スパンで区切られる1日のことを表している。7つの時代が「7つの角」の意味になるからである。角については、以下の聖句を見れば意味が明確になる。

「祭壇の四隅にそれぞれ角を作り、祭壇から生えているように作り、全体を青銅で覆う。」(旧約聖書「出エジプト記」第27章2節)

「血を臨在の幕屋の中にある香をたく祭壇の四隅の角に塗る。」(旧約聖書「レビ記」第4章7節)

 神殿には犠牲を象徴する祭壇があり、四隅に青銅の角が作られていた。

 犠牲はイエス・キリスト出現の予兆であり象徴だが、イエス・キリストの磔刑によって、旧約時代の生贄は意味をなさなくなった。

 しかし、アダムがエデンから追放されてからそれまでの4000年間は、生贄が必要だったために、1000年の時を表す象徴として1本の角が四隅に置かれた。だから、必ず角1本ずつに生贄の牛の血を塗ったのである。

 ここで神の目が7つというのはおかしいという異論が出るかもしれない。

 目は左右1対あるから14になるならわかるが、なぜ奇数、それも7つなのか? 

 そこで7つの目の解き明かしが必要となる。

「モーセは神と語るために臨在の幕屋に入った。掟の箱の上の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から、神が語りかけられる声を聞いた。」(旧約聖書「民数記」第7章89節)

「私は掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、私がイスラエルの人々に命じることを悉くあなたに語る。」(旧約聖書「出エジプト記」第25章22節)

 絶対神ヤハウェは、幕屋でモーセと語るとき、契約の聖櫃アークの上のケルビムの隙間から目をのぞかせた。その瞬間は、左右のケルビムの翼が作る三角形になっていた。それがカッバーラの至高の三角形を象徴し、この三角と片目の構造が、フリーメイソンのシンボルにも使われている「ピラミッド・アイ」なのだ。

 ピラミッド・アイは「万物を見通す目」とされ、アメリカの1ドル紙幣にも印刷されている。ピラミッド・アイ本体から、目のある「キャップ・ストーン」が浮いているのは、至高の三角形が神界を示しているからである。キャップ。ストーンは、ピラミッドの頂上に乗せる四角錐の蓋で、それ自体もピラミッド型をしているのだが、現在、ギザの丘の大ピラミッドのキャップ・ストーンは失われたまま行方不明になっている。

 至高の三角形から覗き見る神の目は左目である。なぜ左目かというと、ヤハウェがこの世を覗く時、左目を使うからだという。日本には同様の内容が記された古史が存在する。国史の「記紀神話」である。

「ここに天照大神あやしと思はして、天の岩屋戸を細めに開きて、内より告りたまはく。」(「古事記」「天の岩屋戸」)

 天の岩戸の中で、天照大神は外の騒ぎが気になり、まるい岩の蓋を少し開けて片目で覗いた。細い隙間から外を見る場合、誰でも片目で見る。

 イエス・キリストの目が7つというのは、この世を覗いた神の目が片目ということである。それがイエス・キリストとヤハウェが同じ神であることを証明している。7つの時を管理する神が、旧約神ヤハウェと新約神イエス・キリストにまたがるからである。

 ところが、神秘思想に興味がある人の中に、キャップ・ストーンから覗く神が左目であることから、神ではなく悪魔の目と主張する人々がいる。主にフリーメイソンを悪魔の組織だとしたい人々だが、その主張の根拠は、左側が不浄とされているからである。

「賢者の心は右へ、愚者の心は左へ。」(旧約聖書「コレヘトの言葉」第10章2節)

 そうだとしたら、古代エジプトの「ホルスの眼」も不浄な左目になってしまう。果たして至高の三角形から覗く神の目は悪魔の目なのだろうか?

 その答えは、日本の神道にある。神道を用いると、多くの謎が解ける。なぜなら神道の根幹がカッバーラだからである。

「天児屋命・布刀玉命その鏡を差し出し、天照大神に示せ奉る時、天照大神いよいよ奇しとおもはして・・・」(「古事記」「天の岩屋戸」)

 「記紀神話」から見ると、鏡に映る神の目は、本当は神の右目だったことになる。鏡による反転、これがカッバーラの謎解きの仕掛けである。今でも神社の本殿には鏡が置かれているのは、反転させよと暗示しているのだ。天照大神が女神だと解釈されているのは、この仕掛けを知らないからである。

 鏡による反転という仕掛けは、古代エジプトでも用いられていた。ギザの丘に立つ3大ピラミッドは生命の樹を示す。世界最大の三位三体のモニュメントである。その慈悲の柱に位置する右端の大ピラミッドの前から、古代エジプト時代に造った小さな「イシス神殿」が発掘された。

 それをそのまま受け取れば、その背後に立つ大ピラミッドはイシス神に関わる神殿となり、実際、イシス神は慈悲の神とされている。しかし、イシス神は女神なのだ。ここに巧妙なカラクリが仕組まれている。イシス神の冠に大きな鏡が乗せられてれているのだ。

 つまり、イシス神を読み解くには鏡で反転させなければならない。これは古代エジプトにもカッバーラが存在していたからであり、日本人も同じ仕組みで神社に用いていることを表している。

 それにしても、日本人はどうしてそのことを知っているのだろうか?

 まるでモーセの時代の古代エジプトにいたかのようである。


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