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物部氏とアークの謎(27)

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(27)ヤシロと言う言葉の由来は「ヨシュア記」にある!

飛鳥「シルクロードの出発点は実はイスラエルで、その終着点が極東の国・日本でしょう? だから、北王国イスラエルの人々も、南王国ユダの人々もどちらも日本に来ているのは当たり前の話ですね。最終的には北の10支族、プラス南の2支族、プラス1支族が来ている。このプラス1と言うのは祭司を担当するレビ族の事。レビ族がいなければ神道と言う神殿の儀式は成立しない。社と言うのは「ヤーのしろ」の事ですからね」

杣「神ヤハウェの城」

飛鳥「そうです。つまり、神社は神殿であり、単なる教会的な「シナゴーク」ではない。ヤシロと言う言葉の由来は「ヨシュア記」にある。

「イスラエルの人々の共同体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた」(「ヨシュア記」第18章1節)

つまり、ヤハウェの幕屋がシロに置かれたから「ヤ・シロ」という。そして、そこで儀式をやるには、レビでなければ基本的に無理なのです。もっと言えば、聖櫃(アーク)が日本にある以上、レビは確実に日本にいる。聖櫃(アーク)はレビ以外は運べないからね」

杣「触れられないですからね」

飛鳥「レビ以外が触れたら死んでしまうと言われているから、他の支族は触れられない。だから、間違いなく12支族プラス1がいる。いずれにせよ、エフライム族が勢力を持っていたことは僕は否定しない。そのエフライムのシンボルはブドウの房であり、日本では藤原氏のシンボル「下がり藤」になっている。そして、藤原の「藤」は「不死」で「富士」につながる。元々、富士山は「不死山」だからね。そして「不死の原っぱ」と言うことで「神原(かんばら)」と言う。これはカバリストの事でもある。つまり、日本にもエチオピアにも聖櫃(アーク)伝承がみられるように、エチオピアと日本は凄く似ている」

杣「ウガンダの首都もカンバラですよ」

飛鳥「そうだった。これは偶然とは思えない」

杣「だから、今のカンバラの話を聞いて「えー」と思って」

飛鳥「諏訪大社にその神原と言う場所がある。御頭祭など、古代イスラエルに由来する儀式が行われる十間廊のある場所はまさしく「神原(ごうはら)」と呼ばれたと」

杣「それ、アフリカ人が聞いたらビックリしますよ」

飛鳥「そうですね」

杣「アフリカ人が日本に来て神社を見るとビックリする」

飛鳥「お互いに情報を交換し合うと、お互いがビックリする。エチオピアと日本はこれからいろいろな形で関係することになるでしょうね」

杣「藤原氏の元の呼称である「中臣」と言うのは「ナカエットアミ」、つまり、ヘブライ語で「私の民を罪から清めてください」と言う贖罪日の事のようです」

飛鳥「そういう言葉なんだよね。先代旧事本紀と言う書物があって、これが物部氏における古事記に当たる。本来は古事記と日本書紀と、この先代旧事本紀が揃って3柱が並び立つ。それで、先代旧事本紀の中に先代旧事本紀大成経というのがあり、そこに未然本記と言う聖徳太子の預言書と言うことになっている書物がある。そこに書いてあるのは「中臣鎌足は昔、鎌子と名乗っていた子供の時に、聖徳太子の夢殿に終始出入りできた」と言うこと。これ、もし聖徳太子が鎌子のお父さんなら、夢殿に自由に出入りできるのもうなずける。この中臣と言うのは後に藤原になっていくわけで、その時に、重要な儀式などを奪っていく。そう思うと何か感じるものがある」

杣「なるほど」

飛鳥「飛鳥昭雄は、中臣鎌足の子の藤原不比等の直系ですから、不比等が仕掛けた錠を「神権」と言うカギで開けなければならない。これが岩戸開きの本質です。家紋は藤原家の下がり藤ですが、同時にエフライム族のブドウの房となる。本名は日本で一番多い佐藤ですから、まさに日本で一番多く、勢力を持つエフライムの血統になります。さらに、裏家紋が髑髏ですから、飛鳥昭雄の先祖は尋常ではない(笑い)」


物部氏とアークの謎(28)

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(28)三種の神器が三重県に揃うことの意味

飛鳥「我々の三礼三拍手一礼と、天皇陛下のお言葉によって、物部氏が復活する。それでは、どう復活するのか? 草薙剣が移譲される伊雑宮は磯部の地にあり、伊勢も、もともとは「イソ」と呼んでいたらしい。つまり、本当の伊勢は磯部の地であり、本当の伊勢神宮は伊雑宮であると物部では主張している。それで、現在の伊勢神宮は外宮と内宮だけど、ここに物部が復活してくると、これは、古事記と日本書紀に加え、先代旧事本紀も復活することになる。それに伴い、三種の神器が全部三重県に揃う。そもそも三重と言う漢字自体が三種の神器を表しているから、こういうことが一気に動いてくる。つまり、物部復活の儀式を僕がやってしまったようなものですよ」

杣「これだけ詳しく書けば、もう・・・・」

飛鳥「完璧です」

杣「もう完全に…」

飛鳥「もうどうしようもないと思う」

杣「もう隠しようがないですよね」

飛鳥「やっちゃいましたから。どの神社や神宮でも、二礼二拍手一礼をやってくださいと言う指示板があった。でも、正式参拝の際、それは無視して三礼三拍手一礼でやった。飛鳥昭雄が参拝の代表で前に立った以上、もはや誰にも止められない。やってしまえばこちらのもので、宮司は「滞りなく終わりました」と言うしかない。籠神社の第82代・海部光彦宮司の説く「多次元同時存在の法則」について、解説しておきます。これは、神話に登場する異なる名前の神々が、別の神のように見えて実は同一神であるという説です。例えば、籠神社の主祭神・天火明命には「天照国照彦天火明櫛ミカ玉ニギ速日尊」という長い正式名称がある。この名前に含まれる「天照」は天照大神、「国照彦」は「国照大神=スサノオ命および猿田彦命」、「天火明」は天火明命、「櫛ミカ玉」は「櫛ミカ玉神=大物主命=大国主命」、「ニギ速日尊」はニギハヤヒ命と解釈できる。この非常に長い神の名前には、八百万の神々の全てのキーワードが含まれている。これが多次元同時存在の法則のポイントとなる部分です。そして、これを無制限に適用していくと、究極的には神道におけるすべての神々は一柱の神に収斂する。八百万の神々を崇拝する神道は多神教ではなく、一神教になってしまうわけです。実際、籠神社の極秘伝では、古代の神道は多神教ではなく、唯一神教だったと伝わっている。つまり、ユダヤ教だと解釈できる」

杣「当然、そういうことになってくるでしょうね」

飛鳥「籠神社の表の社紋は「下がり藤」ですが、裏の社紋は「六芒星」、つまりユダヤ人のシンボルであるダビデの星なのです。古代イスラエルの大王にしてメシアだったダビデが持っていた楯に六芒星が描かれていたことから、「マゲン・ダビデ」(ダビデの楯)とも呼ばれるシンボルですね。ダビデはヘブライ語で「DVD]と表記する。この「D」は古くは「△」で、「V」は「&」の意味で使用されていたので、「DVD」は「△+▽」となり、合わせて六芒星になるわけです」

杣「そうですね」

飛鳥「このダビデの星を日本では、籠の目に似ているとして「籠目紋」と呼んできた。「カゴメ唄」に登場する「かごめ」とは、まさに「籠目紋」を意味していて、海部宮司によれば、本来「カゴメ唄」は籠神社の隠し唄だったと言っている。つまり、日本の神道は唯一神教であるユダヤ教やキリスト教と同根であるという真実が、この「カゴメ唄」には秘められている。それで、籠神社の絵馬には、「籠目=ダビデの星」の中にお日様とお月様が描かれていて、それは、左右の目を表している。しかし、その絵馬は今売っていない。無かったことになっている」

杣「無かったことに?」

飛鳥「存在しなかったことになっている。だから、僕の本にも、この絵馬の写真を使うなと言ってきたのですよ」

杣「とにかく、この絵馬は使うなと。だけど、「俺の写真だ」と言う形で押し通した方がいいですよ」

飛鳥「僕が撮った写真に、たまたまその絵馬を持っている姿が映っていれば、問題なく使えますよ。写真のメインは絵馬を持った僕だからね。本来なら、これで使うなとは言えないですよね。(笑い)」

物部氏とアークの謎(29)

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(29)籠目紋=「三位三体」+「三位一体」だった!

飛鳥「籠目紋について、もう一つ重要なことがある。上向きの三角形と下向きの三角形があるが、これは、天と地を表している。だから、その間に、月と太陽が表す「人の目」があれば、「天・地・人」になる。これは日本の基本的考え方です。さらに言えば、上を向いている三角形は、原始キリスト教の「三位三体」,下向きの三角形は一般的なキリスト教の「三位一体」の象徴です。つまり、天の仕組みの「三位三体」と、地の仕組みの「三位一体」の両方が合わさると籠目紋が出来る。僕は、「三位三体」が中心だと言っているが、一般的な「三位一体」とは何かと言うと、これは地の考え方、大地の考え方で、実はエルサレムを意味している。エルサレムと言うのは宗教で三分割されている。つまり、ユダヤ教地区、イスラム教地区、キリスト教地区に分割され、神はヤハウェ、もしくはエホバですね。あとはアラーでしょう? それで、イエス・キリストが実はすべて同じ神様なのです」

杣「同じ神様ですね」

飛鳥「実際、ユダヤ教のヤハウェと同じ意味なのがイスラム教のアラーですね。両方とも、「私はある」と言う意味をもった神です。だから、共に旧約聖書を聖典にできる。どこで互い違いをしたかと言うと、預言者イサクとリベカの子ヤコブは、双子の兄エサウを出し抜いて長子の祝福を奪った。そのため、兄から命を狙われることになったとある。後に、ヤコブとエサウは和解するが、旧約聖書外典の「ヨベル書」では、エサウは息子たちに長子の権をヤコブに奪われたことで責められる。それで、ヤコブとその一族への復讐を誓わされてしまう。結局、エサウは、息子たちより再びヤコブへの憎悪が蘇り、一族を率いてヤコブとその一族に襲い掛かったとある。しかし、ヤコブに矢を射られたエサウは死亡し、ヤコブは兄を埋葬したと「ヨベル書」に記されている。

 一方のキリスト教地区だが、カトリックのイタリア人、ロシア正教のロシア人、コプト教のエチオピア人など多種多彩のクリスチャンが住んでいる。彼らの神イエス・キリストは自らを指して「私はある。私はあるというものだ」「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から「私はある」」と言って、自らをヤハウェであると明言する。そのため、ユダヤ人から神を冒涜したとされ、石を投げられそうになる。つまり、「ヤハウェ=アラー=イエス・キリスト」となり、エルサレム自体が、三神が同一神の「三位一体」となるわけですね。これが下向きの三角形です。一方、上向きの三角形は、天の父と子と聖霊が別の存在ということを意味します。つまり、「三位三体」ですね。日本神話の創造神である造化三神も同じことで、古事記には各々が「独神」だと書いてある。日本書紀には、同じ神々を原初三神と表記し、各々が「男神」だと書いてある。だから、三柱と言うことで「三拝=参拝」になるわけです。これが三位一体なら一拝でもいい。そういう構造が籠目紋に隠されている」

杣「僕もクリスチャンですが、改めてチェックしければいけないのは、なぜ「父と子と聖霊」なのかと言うことです。他の宗教ではだいたい「父・母・子」なのですよ」

飛鳥「普通そうですね。お父さん、お母さん、子供。おそらくその答えは、人類の始祖アダムが、母の胎から作られていないことに由来すると思う」

杣「メソポタミアも「父・母・子」でしょう? なのになぜ、キリスト教では聖霊なる神なのかと言う。どこでそういうふうになったのか、もう一度チェックしないといけないと思っている」

飛鳥「ただ、聖霊と言うのは裏で働く神です。そして裏と言うのは「陰」なので、女性の役割を果たしていると考えてもいいかもしれない。男神がいる以上、女神は絶対にいる。ただ女神は奥の院に入ったまま、奥様だから表には出てこない。表に出て立ち働くのは男の仕事です。だから、天使と言うと、だいたい男ですよ。実は、僕はそのことについて大胆な仮説を持っている。父なる神エローヒム(私はエル・ランティーだと解釈している)は、元は別宇宙の造物主であり、救世主(キリスト)です。その時の聖霊の役目を担っていたのがヤハウェと言う構図です。父は別宇宙での救世主の役目を終え、ヤハウェが創造する宇宙を見守る役目になる。なのでヤハウェは厳しい聖霊の目で人類を見るため、峻厳すぎるヤハウェとなる。だが、マリアに受胎した後、人の弱さも知ったヤハウェは、愛情に富むイエス・キリストへと変化します。そうなると、イエス・キリストが父の役目を引き継ぎ、今の聖霊が次の宇宙の創造を行い、救世主となる役目を担うことになる。つまり、人間を含む生物にはすべて「霊」が存在するので、進化論は空論と化すのですね。進化論は霊を排除した「唯物論」が大前提だからです。霊はエネルギー体なので進化の外になりますからね。この神界の申し送りの構造が、神の発展の拡大となる。実際、最先端宇宙科学は、宇宙が次々と別宇宙を生み出す「マルチバース現象」を唱えている。これはまるで「ブドウの房」で、エフライムのシンボルと同じ構造を有しているわけです」

物部氏とアークの謎(30)

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(30)八咫鏡を入れてある箱がアークで、天羽羽矢がケルビム

編集部「籠神社の「真名の壺」の正体は、ユダヤの三種の神器・マナの壺だというのは事実ですか?」

飛鳥「事実です。籠神社の海部光彦宮司が「奥宮の天之真名井(あめのまない)神社の御神体は、金で出来た真名の壺でございます」と、はっきり言っている。さらに今、それはどこにあるのかと聞くと、「それは隠れて、今は外宮にある」とはっきりおっしゃっています。つまり、外宮の祭神・豊受大神とは、元は真名井神社の祭神で、そのご神体が真名の壺そのものなのです。では、内宮にあるのは何か? これについて、籠神社の宮司は特に何も言っていないが、籠神社にある2枚の鏡がヒントになる。これ、「息津鏡(おきつかがみ)」「辺津鏡(へつかがみ)」というが、これが何かを象徴している」

杣「八咫鏡と関係する」

飛鳥「そう。八咫鏡とは普通1枚だと思われているが、そもそも鏡は日本人の感覚では合わせ鏡なのです。そうでないと後ろが見えないから。そして、鏡は元々、卑弥呼などの女性のシンボルだった。八咫鏡を入れた入れ物の名を「御船代」と言う。船は英語で「アーク」ですね。そうなると、「契約の聖櫃(アーク)」も無視できない。なぜなら、その中に2枚の十戒石板が入っていたからです。大理石の石板は、それぞれ片面にヘブライ文字で戒めが刻まれていた。昔から八咫鏡の裏にヘブライ語が刻んであるという噂があった。それがもし十戒なら、鏡は2枚あることになる。というか、それは鏡石のように磨かれた大理石2枚の石板を鏡と称しているだけですね。八咫鏡を入れてある箱が契約の聖櫃(アーク)なら、記紀神話に登場する天皇家の象徴の「天羽羽矢(あめのはばや)」が怪しいことになる。「羽羽」とあるように、翼が向き合う姿です。天羽羽矢を収める筒が「カチユキ」です。カチユキは箱なのです。向き合う翼の蓋と箱、それは契約の聖櫃その物でしょう。だから、アマテラスを祀るところに鏡がある。そして、それは絶対に2枚あるはずです。絵に描かれている十戒石板は、上がアーチ状の窓のような形ですが、実はそういう形だとはどこにも書いていない。丸鏡のような円盤型かもしれないのです」

杣「シャハン教授が三種の神器について、幕屋に鏡が置いてあって、その鏡が日本の八咫鏡のルーツなんだと言っていますね」

飛鳥「なるほど、シャハン教授のコメントなので重みがあって面白い。いずれにせよ、十戒石板には片面しか十戒が刻まれていないわけだから、裏面は何もなく、ちょうど鏡のようであったはずなのです」

杣「三種の神器の1つである勾玉も、ヘブライ語の「ヨッド」を象ったものと考えると・・・・」

飛鳥「そういえば確かに似ていますね」

杣「ヨッドはユダヤ教の神ヤハウェの頭文字であり、神を表すものですから」

飛鳥「伊勢神宮の外宮にある勾玉は「マナ玉」と考えてもよい。つまり、マナの壺に対応するからね」

杣「当然そうですよね」

飛鳥「さらに、「マガ+タマ」と考えると、マガは「曲がる」で曲尺を意味し、タマは「円」でコンパスを意味すると考えられる。つまり、そのままフリーメーソンのマークになる。シンボル的には勾玉はフリーメーソンのマークにつながる。さらに、勾玉の「勾」を漢字分解すると、私有の意味になる。つまり、「私有=私はある」でヤハウェとなる。「壺」は「マナの壺」で、籠神社が主張する外宮の勾玉の正体は、黄金の「真名の壺」となる。

 日本人は神仏を同格に扱い、「神様仏様」と言ったり、「神も仏も無い」と言ったりする。さらに神が仏になると「権現」になる。元は弘法大師(空海)が「三教指帰」を著し、「仏教、儒教、道鏡(神道)は根が同じ」と説いていることで、原始キリスト教を指していたと思われる。そうなると、仏教の「仏」は「人・ム」となり「ム」は壺型で「私有=私はある」だから、「ヤハウェが人間になった」と言う意味になる。これは「現人神」のイエス・キリストとなる。もう一つのイスラエルの三種の神器はアロンの杖ですが、これ、アーモンドの花が咲いて絡まっている杖です。一方、ヤマトタケルが草を薙いだ草薙剣には、草が絡まっているという。つまり、これも見事に一致する。それで、アーモンドはバラ科サクラ属だからその花は桜の花と同じに見える。」

杣「そうなのですよ。イスラエルに行ったとき、そう思いました」

飛鳥「桜を愛する日本人を考えるとき、これは無視できない、また、草薙剣は源平合戦の壇ノ浦で浮いたと言われている。平家が海に落とした時、水面に浮いているが、普通の力では浮くわけがない。その刀が流れ着いて、今、熱田神宮に納められている。これをアーモンドの杖、すなわちアロンの杖と考えると辻褄が合う」

物部氏とアークの謎(31)

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(31)三種の神器は男女和合のシンボルでもある?

飛鳥「三種の神器について、ほかにも話しておかないといけないことがある。イザナギの右目からツキヨミが生まれ、左目から天照が生まれ、鼻からスサノオが生まれたという。これを三貴子と言うが、この「貴」と言う字は、本来、男にしか使わない。絶対に女には使わない。だから、天照は男神なのです。天照国照彦と言う男神。「彦」と言う字も男の名前にしか使わない。では、なぜ女神とされてしまったのかと言うと、左目から生まれたので、左は陰と考えて女神にされたわけです。さらに言えば、天照は「太陽」で、ツキヨミは「月」で、スサノオは海と地で「星」となる。これは新約聖書にも次のようにある通り、この世界の三段構造(ヒエラルキー)を表している。

「太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との輝きにも違いがあります」(「コリント信徒への手紙1」第15章41節)

 これが日本の正月に飾られる鏡餅の意味で、下から星、月、日となる。ミカンが太陽になり、鏡餅と言うように天照の象徴になる。昔は鏡開きで餅を割り、そこに宿った天照大神の「歳神の魂」を子供たちに分けた。これが御歳魂(おんとしだま)とされ、今のお年玉になった」

杣「なるほど」

飛鳥「そして、神社のご神体というのは必ず「柱」なのですよ。1柱、2柱、3柱・・・と数える。柱と言うのは男性自身の象徴。だから、神社では縁結びや子宝祈願が盛んに行われる。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言うこと。さらに、はっきり言えば、実は三種の神器は男女和合を表している。つまり、アロンの杖は男性自身であり、円盤型で2枚ある十戒石板は男性の精子を作るところ。それから、女性自身を象徴する壺はひっくり返して地面に立てた杖に差し込む。すると、これで神の根本原理である陰陽合体となる。「産めよ、増えよ」なのです。だから、中世ヨーロッパの売春宿は、屋根の上に棒を立て、そこへ壺を差し込んであった。一方、フリーメーソンのマークのコンパスと曲尺はどうか? これ、実はコンパスは天で、曲尺は地を意味する。そして、天は男性に、地は女性に対応する。だから、コンパスと曲尺が交わるフリーメーソンのシンボルは、まさしく男性と女性が和合した時の形なのです」

杣「そうか・・・」

飛鳥「そして神社の鈴。あの鈴は男性自身を球体にしたものです。男性自身を押しつぶして丸くするとあれになる」

杣「そういう発想はなかった」

飛鳥「だから、鈴を鳴らして子宝に恵まれるよう祈るわけです」

杣「その時代にとって、神と言うのは一族を存続させてくれるものですから。当然の事ですよね」

飛鳥「インドに行くとシヴァリンガと言って、シヴァ神の男性自身を拝んでいる。つまり、世界の宗教はすべからく男女和合、子孫繁栄なのです。日本の神道もユダヤ教もヒンドゥー教もそこは変わらないのですね。それは隠すものであって、本来は表立って堂々と言うべくものではない。しかし、伊勢神宮のご神体となっている心御柱(しんのみはしら)も含めて、実は男女和合こそが根幹にあるということを知っておかないと話が見えてこない」

物部氏とアークの謎(32)

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(32)聖骸布以外のキリストの聖遺物はすべて日本にある?

編集部「物部氏はイスラエルの血を引く徐福集団の末裔と言うのは、飛鳥さんの説と言うことでいいのでしょうか?」

飛鳥「物部が徐福の末裔と言う話は籠神社の海部光彦宮司に聞いたのです。籠神社は間違いなく物部系なのです。海部氏は物部の中の物部であり、その祖先は日本に渡来した徐福だと主張している。それでは、徐福とは何者なのか? 僕は「ジョセフ」だと解釈した。事実、籠神社の周りには徐福が上陸した場所だとか、ヘブライ語を思わせる地名がある。例えば、徐福は「与謝」と言うところから上陸している」

杣「与謝=ヨッシヤ」ですね」

飛鳥「ヨッシャ、ヨッシャですよ。サッカーでも勝と「ヨッシャー」って言うじゃないですか。あれは勝利と言う意味のヘブライ語なのです。そのままヘブライ語。それで海部宮司に「海を渡ってきたから海部なのでしょう?」と聞いたのです。さらに、「海を渡ってきたのはジョセフ=徐福しかいませんよ」とも迫った。「僕は、物部氏の祖は徐福だと断定します。どうですか?」と聞いたら、宮司は否定せず二ヤッと笑った。これ重要なのです。否定しなかったということが重要。つまり、後で伊勢神宮からつつかれても、海部宮司は「私は肯定していません」と言える。だけど、二ヤッと笑うことによって否定もしていない。籠神社のすぐそばが、徐福が上陸したとされる伊根町で、そこに新井崎神社がある。そこから若狭湾を望むと見える冠島と沓島と言う島が気になってくる。この2つの島の名は、仙人が天に昇るときに冠と靴を置いていくことに関係するが、同時に、イエス・キリストの荊の冠とサンダルは籠神社にあるのではないか? この点を海部宮司に聞くと、宮司はのらりくらりと逃げる。さらに、宮司の息子さんが出てきて、話がそこでウヤムヤになってしまう」

杣「そこが全てはっきり出てきたら、すごいことですね」

飛鳥「僕が知っている範囲で言うと、おそらく聖骸布以外のキリストの聖遺物はすべて日本にある。物部の最初の上陸が丹後・籠神社の地で、2回目の上陸が九州。それが弥生時代の幕開けになった。これは「魏志倭人伝」に記述された卑弥呼にも関係する。卑弥呼は「日の巫女」であり、これが、アマテラスの別名「オオヒルメ」につながる。だから、伊勢内宮と言う場所にはイメージ的に卑弥呼がダブらされている。一方、豊受大神は外宮の祭神ですが、実は卑弥呼の跡を継いだ「台与」と同じ意味の「豊」がつけられている。だから、内宮と外宮で魏志倭人伝に登場する2人の女王が配置されていることになる。この仕掛けを作ったのは、もともと物部です。物部のメッカは出雲大社でも伊雑宮でもなく、籠神社です。すべての根幹が籠神社なのですよ。籠神社の場所は日本海沿いでしょう。つまり、魏志倭人伝において魏からの使いの者が邪馬台国へ向けて移動したルートは日本海ルートではなく瀬戸内ルートだったことになる。魏志倭人伝で使いの者は船を一度降りてている。降りて陸行した後、小舟に乗って渡ってくる。なぜそれが分かるかと言うと、魏の時代、船の水行距離を測るのは、青銅製の重い「更香(こうが)」だった。太い線香の上に等間隔に鉄球を吊るした糸を渡し、鉄球が青銅製の盆に落ちた音の数と、減った線香の長さで、時間による水行距離が分かった。だから、魏の使いが九州に上陸するまで、方位と水行距離で記録されたが、上陸後の途中から再び水行になる。数え方が日数に変わったのは更香が乗らない小舟に分乗したからです。これは大型の外洋船から、内陸用の小型船に乗り換えたからです。これ、日本海だと波が荒いですから、小舟と言うのはありえない。つまり、瀬戸内ルートとしか考えられない。だから、魏志倭人伝には籠神社、あるいは、それと思しき場所が登場しないのです。逆に言えば、これほど重要な神社が登場しないこともまた、魏の使いが瀬戸内ルートで移動してきたことの証明となっている」

杣「内海を通ってね」

飛鳥「そうなのです。これまで邪馬台国に至る1つ手前の投馬国(とうまこく)が日本海側だったのか、瀬戸内側だったのか、いろいろな説があった。勿論、それ以前に九州説と畿内説があるが、もう今は圧倒的に、畿内説が優位となっている。これは畿内に決定していると言っていい」

杣「シャハン教授は、畿内説で邪馬台国の中心だったとされている奈良の纏向遺跡を見に行きましたよ。2016年来日されたときに、「絶対、纏向に行きたい」とおっしゃって」

飛鳥「それは絶対、行くべき場所です。(笑い) 面白いことに瀬戸内海の両岸の高地には「のろし台」の跡が点々と見つかっている。そして、その「のろし台」は、外から来る使いの者を案内する時のルートを示している。それと同時に外敵を知らせる監視の役目も果たしていた。それで、投馬国は「馬」と言う漢字を使っているのに、魏の使いは馬を見ていない」

杣「馬はいないと書いてありますね」

飛鳥「魏志倭人伝には馬はいないと書いてある。しかし馬は絶対にいたはずである。だから、これは敢えて使いの者に見せなかったと考えた方がいい。そもそも馬は当時の最先端兵器ですからね」

杣「最新兵器は見せないですよ」

飛鳥「そりゃあ見せませんよ。でも、物部は武士(もののふ)の元になったように、軍事力を誇っていたので、絶対に馬はいたはずなのです。さらに、魏志倭人伝には琵琶湖の事も書いていない。だからその点でも、日本海経由で上陸して籠神社や琵琶湖の脇を通り、邪馬台国に達したというルートはありえないことになる」

物部氏とアークの謎(33)

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(33)4カ所の神社で封印を解除したので、これからは物部の時代に入る!

飛鳥「徐福=物部の第1陣は丹後から上陸し、第2陣が九州から上陸した。それらの流れが後に合流する。なぜ合流したかと言うと、狗奴国(くなこく)が攻めてきたからです。そして、この合流は邪馬台国の卑弥呼の背後に弟の存在があったという話に重なる。面白いことには、この構造は聖徳太子と推古天皇の関係によく似ている」

杣「なるほど」

飛鳥「いずれにせよ、神武天皇がやってきたのは魏志倭人伝の後の3~4世紀の事だという」

杣「実在の人とすれば、歴史上はあの辺りですね」

飛鳥「多次元同時存在の法則の考え方で言うと、神武天皇には異名が沢山あって、海部光彦宮司によると、「神」の漢字を含む崇神天皇も応神天皇も全て神武天皇だという。さらに、雅号などから考えると、仁徳天皇まで同じ神武天皇なのだということです。簡単に言うと、古事記と日本書紀にある応神天皇は、幼少期の記述が非常に多い、。逆に仁徳天皇は成人期の記述がほとんどで、両方合わせるとちょうどいいことから、同一人物ではないかとされている。それを物語る仕掛けが雅号で、応神天皇の雅号「品蛇和気命(ほんだわけのみこと)」の和気を「わけ」とすれば「分け」の示唆になっている。さらに応神天皇と仁徳天皇はともに善玉とされるが、古事記と日本書紀では年代が全く違う。この2人は親子ではなく兄弟、あるいは双子ではないかと言う説まである。古事記に出てくる武内宿祢は、第12代・景行天皇から、第13代・成務天皇、第14代・仲哀天皇、第15代・応神天皇、第16代・仁徳天皇にわたる5代もの天皇に仕えた謎の人物です。244年もの間仕えたことになる。しかし、それはありえない。一番わかりやすいのは、宿祢が使えた5人の天皇が全て同一人物であるということですよ。つまり、「応神天皇=仁徳天皇」となり、日本最大の2つの天皇陵の名称も間違っていることになる。さらに言えば、神武天皇と応神天皇は同一人物だから、決史8代どころか仁徳天皇まで同一人物なので決史15代は確実と言うことになる。いずれにせよ、記紀神話によると、初代・神武天皇は纏向、大和に入った時、その地の王であったニギハヤヒ(物部氏の祖神)に対面して、お互い天羽羽矢とカチユキを見せ合った。それで互いに天津神だと分かり、ニギハヤヒは神武に国を譲ったという話になっている。日本人はこれが得意なのですよ。江戸城の無血開城もそうなのだが、世界でこれをやるのは日本人だけみたいですね。第2次世界大戦の時、日本は寸前で天皇の玉音放送により、戦闘を止める。米軍が入って来たときも、道路を通るマッカーサーを守っていたくらいですからね。こんなことは世界じゃありえない」

杣「全くその通りです」

飛鳥「それで、神武天皇が大和入りし、ニギハヤヒが支配権を譲り渡したという話は「邪馬台国=大和の地」に後から来た天皇家・・・・僕の考えではイスラエル10支族の内のガド族ですが、その天皇に対し、それまで邪馬台国を支配していた物部の王が支配権を譲ったことを意味する。その時、互いに天津神であることを示す物品を見せ合うわけですが、これはモーセの三種の神器のいずれかでしょう。推測ですが、十戒石板、つまり2枚の八咫鏡は後から来た天皇家が持っていたのではないか。物部、海部氏の祖である徐福は日本に2度来ている。その時、別々にマナの壺とアロンの杖を持ってきた。物部は紀元前、徐福の時代に渡来したから、キリスト教以前の古代イスラエルの宗教を信じていた。これは後にユダヤ教となり、旧約聖書としてまとめられた教えです。一方、神武は後の秦氏でもある。つまり、「神武系=秦氏」と言うことです。彼らは紀元後の渡来だから、新約聖書を持っている原始キリスト教徒です。それで、物部と秦氏が日本で出会ったとき、三種の神器を見せ合って、互いがイスラエルの末裔であることがわかった。その後、「十戒石板=八咫鏡」は秦氏系の天照を祀る伊勢内宮に祀られた、外宮には徐福が持ってきて、かっては籠神社にあった「マナの壺=勾玉」が祀られた。もう一つの神器「アロンの杖=草薙剣」については、熊襲征伐や東国征伐で活躍した日本武尊が使ったことになっている。しかし、日本武尊は第12代・景行天皇の子なので、決史15代から「神武天皇=日本武尊」となる。つまり、日本武尊が使った剣と、雷神として祭られる建御雷神が神武天皇に送った剣「布都御魂」は同一の剣と言うことになる。建御雷神は同じ雷神の須佐之男命だから、出雲の大国主とも同一神になる。つまり、古神道の物部氏が先に草薙剣を持って渡来していたことになる。そうでなければ、「建国の剣」を神武天皇に譲ることができない。それから、同じ伊勢でも物部系の伊雑宮が預かることになり、その後の壇ノ浦の戦いで熱田神宮へ移された。ただ、伊雑宮は小さくなってしまい、ほとんど忘れ去られた存在になった」

杣「伊雑宮は今は小さい神社ですよね」

飛鳥「ところが、草薙剣はまもなく熱田神宮から伊雑宮に戻される。これは何を意味するかと言うと、「物部が持つ2つの神器と秦氏系の1つの神器が伊勢神宮に揃う」ことになる。これにより、形成が逆転して今度は物部が主導権を握ることになる。だから、僕は4カ所の神社で封印を解除した。それにより、これからは物部の時代に入るのです」

物部氏とアークの謎(34)

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(34)出雲大社の本殿はメノラーを象徴している?

飛鳥「杣さんが熱心に調査されている、イスラムのシンボルである7枝の燭台(メノラー)についても触れておきたい。あれはローマ帝国が持ち帰って、ローマにある凱旋門にもレリーフとして刻まれている」

杣「メノラーはローマ帝国が持って行きましたよね」

飛鳥「ところが、ローマが持っていったのはキリストの時代の第2神殿のメノラーであって。その前の第1神殿にあったメノラーの行方は分かっていないのです。そのメノラーがあるのではないかと僕が推測しているのが出雲大社です。あそこでは、スサノオが「八雲立つ」と一句読んでいる。これは、「八つの雲」と言うことだけど、実は出雲大社の本殿には雲が極彩色で描かれているのに、この雲は7つしかない。なのに、「八雲」と言うのはおかしい。おかしいというか、これこそがヒントなのです。つまり、これは7枝のメノラーを暗に象徴している」

杣「なるほど」

飛鳥「実は出雲大社の御神体は「あっち向いてホイ」なのです。普通、神社の拝殿は南側に、本殿は北側に位置していて、御神体は参拝者に正対する形になる。でも、出雲大社だけは、御神体が横を向いている。「あっち向いてホイ」になっているのですね。それって何だろう、と言うことなのです。「あっち」を向いているということは、立体構造体があって、正面から見るとこういう形なのだが、横から見たら形が違うというトリックアートのようなものではないか。つまり、メノラーは正面で見たのと側面で見たのでは形が全然違うのですよ。正面から見ると1本だけど、横から見たら7枝。戦後の東京・足立区にあった「お化け煙突」みたいなものですね。でも、もともと神社は1本柱でなければいけない。原則的には参拝者から見れ、北に1本の柱があるはずなのです。だけど、そこにメノラーがあるとすれば、「アッと向いてホイ」で、正面からは1本に見えるけど、横からは7枝と言う形で置かれているのではないか。そして、メノラーだとすれば表には西を向いていて、裏は籠神社を向いているはずです。実はモーセの時代、約束の地カナンを目指してシナイ半島を移動しなければならなかったので、神殿は移動式の幕屋でした。その時、聖所(拝殿)から見た幕の内である至聖所(本殿)は西の方向でした。一方、日本では「北斗信仰」から、拝殿から拝む本殿は北にあるのが基本です。つまり、90度向きが違っている。そのため、旧約聖書の時代を踏襲する出雲大社では、北斗信仰を尊重しながらも、西向きに御神体を置くことで、自分たちの出自を明らかにしていたということです。

 幕屋の時代、メノラーは至聖所に置かれていた。西の聖所に向かって左側になる南に置かれていた。図式で言えば7枝が開いた状態を北に向けていた。しかし、日本では北斗信仰から西向きの幕屋がそのまま90度方向が変わり、北を向いていたメノラーは東を向くことになる。ここがミソで、出雲大社の本殿で御神体が置かれている「御神座」は、本殿内側の北の壁と東の壁の角なのです。そこにメノラーを東に向けておけば、メノラーは東の壁ギリギリを向くことになる。その結果、神官たちはメノラーの裏側を見て儀式をしなければならない。人間に置き換えれば、お尻に向かって儀式をする羽目になる。そこで、メノラーの正面を西向きにしたわけです。本来の方向からすれば逆向きだが、幕屋自体が西向きだから逸脱しているとは言えない。興味深いのは、その配置を命じたのが籠神社だったということです。それを証明するのが、籠神社発祥の「カゴメ唄」にある「後ろの正面」で、本当のメノラーの正面(正位置)は後ろの「東」と言っている。さらに面白いのは、出雲大社の御神体の後ろの正面(東)に位置するのは籠神社です。また、向き合う伊勢神宮の「外宮」の後ろの正面に位置するのも籠神社です。両方の線が交差する位置に籠神社があるのは、ここが元出雲であり元伊勢と言うことです。「元=本」に置き換えれば、さらに籠神社の正体が見えてくる。「本出雲」「本伊勢」となる。事実、籠神社は「本伊勢」とも名乗っている」


物部氏とアークの謎(35)

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(35)ギザの三大ピラミッドと出雲大社の関係

飛鳥「興味深いのは、ギザの丘の三大ピラミッドは、現地のベドウィンの伝承では、ノアの曽祖父のエノクが建造したということです。だから、古代エジプト以前の「ノアの大洪水」を経験した遺物となる。実際、大スフィンクスには大洪水で浸食された痕跡が残されている。

 三大ピラミッドには神聖文字の「ヒエログリフ」も、王の名を刻んだ「カルトゥーシュ」(ファラオの名前を囲む曲線)も無いわけです。大ピラミッドの「重力拡散の間」の天井裏に記された「クフ」の文字は、19世紀にイギリスの軍人ハワード・ヴァイスが発破(爆薬)によって発見したものです。しかし、クフの名を書いたのはヴァイス自身です。当時、英国で発行されていた辞典のスペルが間違っていたのを、そのまま使っているので分かる。彼は詐欺師で、財宝目当てで荒っぽい真似をしたが、何一つ発見できなかった。そこで、せめてクフ王の墓を発見したことにしたと言う名誉が欲しかったため、現地の作業員全員をクビにする。そして人払いした後で、深夜、一人で紅色の顔料液の入ったバケツを持って入るのを、現地人に目撃されている。その子孫が、そのことを証言していて、クフ王の墓と言うのは嘘だと分かっている。実際は三柱の神の神殿であり、その証拠に、大ピラミッドは東を入り口にする西向きの神殿構造をしている。つまり、モーセの時代の西向きを聖所に配置する幕屋と全く同じ構造だったことになる。だから、出雲大社の御神体が西向きなのも、それを踏襲しているからです」

杣「スケールの大きな話ですね」

飛鳥「出雲大社が式年遷宮をやるとき、御神体を運び出す箱がチラッと見えるのです。小さな出入り口が右端にあり、そこに小さな階段がある。そこで神職の連中が、御神体を箱に入れる」

杣「箱に納めるわけですね」

飛鳥「屋根の付いた箱を8人ぐらいで、物凄く重そうに持ち運ぶ。あの中にちょうどメノラーが入るのですよ。メノラーは金で出来ているから、重いですよ。移動の時、幕で箱を覆うのだが、階段を下りる一瞬だけ見えるのです。その神輿みたいな箱が本当に重そうで」

杣「金で出来ていれば重いでしょうね」

飛鳥「それで、実は出雲大社に納めている、その御神体のお座布団がある」

杣「それに乗せていくのですね」

飛鳥「これが八角形をしていて」

杣「八角形?」

飛鳥「その八角形の座布団に御神体を乗せている。つまり、メノラーの台座が八角形と言うことです。南朝ユダ王国滅亡の際、第1神殿(ソロモン神殿)から祭具や装具を奪い取ったバビロニアの記録に、メノラーは記録されていない。だから、南朝ユダ王国にいたレビ族がメノラーを運び出したと思われる。

「カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」を砕いて、その青銅をことごとくバビロニアへ運び去り、壺、十能、芯切り鋏、鉢、柄杓など、葬儀用の青銅の器を奪い去った。また、親衛隊の長は、小鉢、火皿、鉢、燭台、柄杓、水差しなど、金製品も銀製品もすべて奪い取った」(「エレミア書」第52章17~19節)

 この記述にある「壺」は青銅製で、マナの壺ではない。「燭台」は小さな水差しなどと一緒で人間用の照明具です。大きなメノラーなら祭具の欄に記されますからね。一方、イエス・キリスト磔刑の後、ローマ帝国と勃興した「ユダヤ戦争」で、第2神殿(ヘロデ神殿)は徹底的に破壊される。その時、神殿にあったメノラーは、ローマ軍に略奪されて行方不明になる。そのメノラーの台座が六角形でした。

 紀元82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスが、先の皇帝ティトゥスの「エルサレム攻囲戦」の勝利を記念して、ローマ市内のフォルム・ロマヌムに「ティトゥスの凱旋門」を建立する。そのティトゥスの凱旋門に、上記の証拠が存在している。

 凱旋門一面に彫られたレリーフの中に、メノラーを運ぶローマ人の姿があるが、そのメノラーの台座が六角形なのです。しかし、その前の時代のメノラーは八角形の台座です。実は、メノラーの作り方に規制は有っても、細かな箇所は任されていたようです。六角形は六芒星で、八芒星は2つの正方形の片方を45度ずらして作る。実はユダヤ人で八角形と八芒星は大変な意味を持っていた。星を描く場合、救世主の星・ベツレヘムの星だけは、角が8つある八芒星で統一されている。イエス・キリストの星は八芒星でした。出雲にはその八角形の台座の座布団を作っている業者がいて、僕、そこを取材しましたよ」

杣「それは凄い話ですね」

物部氏とアークの謎(36)

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(36)シャハン教授による「神武=モーセ」説

杣「シャハン教授の本によると、神武と言う名前はヘブライ語の「モーセ」から来ていると言っている。モーセの事を「シェ・モー」と言うわけですが、エフライム人は「シェ」が発音できないので「セモー」になる。その「セ」を英字の「Z]で発音すると「ゼモー」になって、それがさらに「ジンム=神武」になったという」

飛鳥「面白いですね。その変化をもう少し詳細に言うと、「ゼ・ムー」→「ゼン・ムー」→「ジン・ムー」じゃないですか」

杣「神武とは「モーセ」の名前の事であり、モーセ本人と区別するため「天皇」と言う称号を後に付けたという」

飛鳥「モーセの子孫は行方不明とされ、何処に行ったか分からない。しかし、日本の天皇家がモーセの血を引く者となると、重要な意味を持ってくる。特に南朝系の天皇家は間違いなくイスラエル10支族の中のレビ族だと思う。レビはレビでも、レビの中のレビ。だって、三種の神器を持っているわけだから」

杣「そうですね。モーセの家系と言うことになりますね」

飛鳥「モーセの一族のバリバリの直系が南朝系であり、北朝系はおそらく兄のアロンの系統です。どちらもレビの血統。勿論、北王国イスラエルの王家だったエフライム族も当然、天皇家に関係していると思う。ただ、途中で継体天皇と先代の武烈天皇との間で血統が断絶している。この時に何かがあった。詳しくは分からないけど、おもしろいことに、それ以前の天皇家は戦う天皇だったのに、継体天皇以後は神事を行う天皇に変わってしまう。ところが、ここで1つ問題がある。神殿職に就く前、レビ族は勇猛で戦いをいとわない戦士の一族でした。旧約聖書にも、

「シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。私の魂よ、彼らの謀議に加わるな。私の心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのママに人を殺し、思うが儘に雄牛の足の筋を切った。呪われ予、彼らの怒りは激しく憤りは甚だしい故に。私は彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす」(「創世記」第49章5~7節)とある。

 同様に、レビ族のモーセも出エジプトの前はエジプト人を殴り殺した。出エジプトの後も、カナン信仰の際に無数の異民族を血祭いにあげている。ここで騎馬民族の話をすると、イスラエルも騎馬民族です。特にダビデ王の騎馬戦車は当時から知られていたし、アッシリアやバビロニアと騎馬で戦っている。気宇だいなユーラシア大陸を駆け巡った「スキタイ」を例に出すまでもなく、騎馬民族の特徴は、勢力拡大の際、兄が弟に領土を譲っていく。それが正しければ、同族による「国譲り」は、物部系の兄から、秦氏系の弟に国を譲ったことになる。兄アロンの一族から、弟モーセの一族に領土を譲った図式になる。

 神武天皇の正式な名は「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」で、ユダヤ人研究家ヨセフ・アイデルバーグは、ヘブライ語の方言アラム語に聞こえると言っている。意味は「サマリアの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」となるという。

 サマリアとは北イスラエル王国の事です。サマリアの嘔吐はエフライム族を指す。又ユダヤ人ジェフ・メルニックは「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は「ヤ・ゥマトの創設者はヘブライ人で、その王国サマリアから渡来した」と聞こえるという。一方、ユダヤ教のラビ、サミュエル・グリーンバーグは、「帝」の「ミ」はヘブライ語の「FROM=から」で、昔は「ミガド」と発音したことから、「ガド族出身」と言う意味になり、皇室のルーツがガド族と主張している。韓国の国策で否定された「任那日本府」だが、任那は「ミ・マナセ=マナセ族の出自」と解することができる。「日本」「ジャパン」も、ガド族の「ゼポン」から来たとされる。ユダヤはゼを発音しないため、「ゼポン→ジェポン→ジャポン→ニッポン」に変じたとグリーンバーグは主張している。そこで気になるのが籠神社から神武を迎えに行った「倭宿祢」の存在です。宿祢は普通「武内宿祢」として知られている」

物部氏とアークの謎(37)

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(37)神事を行うレビ族の象徴が宿祢

飛鳥「宿祢は「古事記」では、第12代・景行天皇に始まり、第13代・成務天皇、第14代・仲哀天皇、第15代・応神天皇、第16代・仁徳天皇までの5代の天皇に、244年間にわたり仕えたと記されている。それ自体がすでに常軌を逸しているが、宿祢の子孫が代々同じ名前を継承したとする説が有力で、事実そのように解釈されている。しかし、籠神社の唱える「多次元同時存在の法則」から、「神」の一字を共有する天皇を全て同一人物とすれば、全てが神武天皇に集約して、宿祢は初代の天皇に仕えたことになり理屈がきれいに通る。そこで武内宿祢の子孫が受け継いだとされる「竹内文書」についても話さねばならない。

 アカデミズムは「竹内文書」を偽書と決め付けており、その最大の理由が、記紀と内容が違うからである。「神代文字で書かれているので偽書である」と言う理由だけで、現代のアカデミズムは、戦前からの決めつけを踏襲している。そもそも神代文字とは、漢字伝来以前の日本に存在したとされる様々な古代文字の事です。漢字が使われるようになってから、姿を消したとされている。明治初頭の国学者・落合直澄の調査により、当時で百種以上の神代文字が全国規模で発見されていたことが分かる。それが「竹内文書」の登場で、その数は一気に4百種にのぼるようになった。

 宿祢の2文字を調べたところ、「宿=宿営」「祢=形代」となり、「移動する幕屋」と言う意味になる。つまり、レビ族の特徴を示している。その宿祢が物部にも秦氏にもいるなら、北朝イスラエル王国にも、南朝ユダ王国にもいて、神事を行うレビ族の象徴が宿祢となる。天皇家を裏で支える秘密組織「八咫烏」も同一となる。神武天皇を迎えに行った八咫烏は、神武天皇を迎えに行った倭宿祢と同一人物で、やはりレビ族となる」

杣「そうですね」

飛鳥「秦人が神武天皇に率いられて韓半島から渡来した時、その南端に建てた国が「伽耶」で、昔は「加羅」と言った。そこを巣にして日本列島に向かったなら、「加羅・巣」となる。それが神武天皇側のレビ族の八咫烏になる。

 と言うことは、神武がエフライムであろうと、マナセであろうと、ガドであろうと間違いなく戦う天皇だった。しかし、継体天皇以降は神事を行う天皇に変わる。それに、秦人の大集団は「魏志韓伝」にあるように、韓半島の束を朝鮮民族の「馬韓」から奪い、「秦韓(辰韓)」「弁韓」を建て「12の部族」の終結を待ったのは、イスラエルと無縁ではない。だから、建国して最初の天皇の神武と言うのは、固有名詞と言うよりも、集合名詞で象徴名だったかもしれない。

 後に天皇家は血統断絶の危機に直面する。それがガド族なら、日本に来たイスラエルの支族の内、最も力を持つのがエフライムなので、エフライムが数に物を言わせて天皇の地位を奪ったはずです。それだけ1つの直系がいなくなるというのは大変なことなのです。それにより、勢力争いになり戦争になってしまうから。だからこその宿祢だったのではないか。レビは番外であり、別格だから、12支族に入っていない。そこで、血統断絶の危機に当たって、知恵のある者は、「これは我々だけで争っていても仕方がないから、レビに預けよう」と発想したはずです。それが一番賢い方法だから。それ以後、天皇と言う存在は神事を統括する大宮司と言う職になった。イスラエルの血統を残すにはそれが一番の策ですからね。それが現在まで続いているわけです。南朝系、北朝系の違いはあるがどちらかが偽者と言うわけではない。それで敢えて言わせてもらえば、どの支族が南北朝時代に北朝系についたとしても、とにかくレビ族では無かった。だから、レビ族の忌部は、大嘗祭に不可欠なアラタエを絶対に北朝には献上しなかった。籠神社は当然ながら南朝系を支持した為、足利の室町幕府から領地を減らされた。それに嫌がらせを受けたという」

杣「神武がエフライムであろうとマナセであろうとガドであろうと、イスラエルの血統であることは間違いないですよね。シャハン教授は、モーセと神武の関係だけでなく、フトマニ(占いを行う神事)をやった崇神天皇の人生も、ダビデ王と生き写しであると述べている」

飛鳥「似ているみたいですね.ある意味で生き写しです」

杣「更に、垂仁天皇の人生はソロモン王の生き写しになっていると。例えば、ソロモンは金の盾などの武器を作った。一方、垂仁天皇は武具を作ったのもそうだけど、800もの溜池とか、そういうものを日本中に造った。そこも似ている。イスラエルの歴史における王と、日本の天皇を並べてこのように比較すると分かる人には分かる話だと思う」

飛鳥「凄く似ていますね」

杣「天皇と言う言葉が最初に現れたのが、600年代の大坂の古墳だと思う。松岡山古墳から発見された「船首王後墓誌銘」の銅版に、天皇の文字があり、戌辰年12月(668年)と記載されている。・・・・それまで日本において「大王」と名乗っていたものが、ある時から「天皇」になったきっかけは白村江の戦いだと思います。唐が新羅と組んで百済を滅ぼそうとして、日本が援軍を送った戦いですね。しかし、その戦いに負け、朝鮮半島にいたユダヤの人々を日本に受け入れることになった。それまでは唐の長安が東のエルサレムとして認識されていたが、情勢が変わって、「イザヤ書」にあるように、エルサレムを日本に移すことになった。日本の藤原京などにエルサレムを移すのだという意識の変化が「大王」から「天皇」へ呼称を変化させた。ユダヤ教の儀式をしている天壇における神の名前を、そのまま使って「天皇」としたと思う」

飛鳥「エルサレムの正統を継ぐ者として奈良とか京都に移すのだと。その象徴が大仏だと思う。752年、1万人のお坊さんを集めて、インド人のお坊さんが指揮して奈良の大仏の開眼供養をした。「もう長安はエルサレムじゃないよ」と、「日本にエルサレムを作りました」と言う宣言だった。「平安京」はヘブライ語に翻訳すると「イール・シャローム」すなわちエルサレムですからね。これ以上にわかりやすい宣言はないでしょう」

物部氏とアークの謎(38)

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(38)伊勢神宮の地下に聖櫃(アーク)が存在する!

飛鳥「752年の奈良の大仏の「開眼供養」の時、契約の聖櫃(アーク)が大分の宇佐八幡から大和へ移されている。「本神輿」と言うが、それまでは宇佐にあった」

杣「そうですか」

飛鳥「その後の769年に、女帝の孝謙天皇の寵愛を受けた道鏡と言う坊主が皇位を狙おうとしたことがあった。その時に、宇佐八幡に戻った本神輿、すなわち契約の聖櫃(アーク)の前で、和気清麻呂と言う男が、当時の称徳天皇の命を受けて、そのことの是非を神に問う。そしたら、天皇の血統以外の者を皇位につけてはいけないという託宣が降った。それで、ここからが大事なのですが、実は宇佐には「元宇佐」と言うのがたくさんあって、そのうちの1つ、年毛(としも)神社では本神輿のレプリカをいっぱい作っている。そう記録にあります」

杣「レプリカを?」

飛鳥「それが現在知られている、お神輿になっている。お神輿は上に鳳凰が乗っているが、あの鳳と凰って、実は雌雄合体している。鳳が雄で、凰が雌。それが陰陽合体している。そして、その年毛神社の記録に凄いことが書いてある。明治になったとき、明治天皇が伊勢神宮の地下のお宮に行くのですが、実は、内宮の地下にお宮があるのですが、そこにある本神輿を天皇がご覧になって「これを出すのはまだ早い」とおっしゃったと言う。それで、本神輿に触れられて「金箔を貼り替えよ」と命じたと記録している。つまり、明治天皇は契約の聖櫃(アーク)に触っても大丈夫だった。これがレビ族だということの証明になる」

杣「明治天皇が契約の聖櫃(アーク)に触れられたのですね」

飛鳥「触れて、もうだいぶ古くなったので、すぐに金箔を貼りなさいとおっしゃったと。それで、実は僕はあるTVゲームの脚本と監修をやったことがあり、そこのスタッフの一人のおじいさんが若いころ、伊勢神宮の神職の下っ端だった。それで、伊勢神宮の内宮の地下を掃除する役目を与えられ、中に入ったという」

杣「それはすごい話ですね」

飛鳥「その時、恐ろしいものを見たというのです。つまり、日本にあってはならないものを見たらしいです。恐ろしさのあまりその場に硬直したのは、それがうなり声を発したからだというのです。そして、大慌てで命からがら伊勢神宮から逃げ出して、もう二度と戻らなかった。おじいさんからその話を聞いたスタッフは、何を見たのかと聞いたようだけど、おじいさんは最後まで口を割らず、その話は墓場まで持って行った。そのお爺さんの見た「日本にあってはならないもの」とは、やはり契約の聖櫃(アーク)のことではないか。ただ、この伊勢神宮の地下宮と言うのは、その入り口までは松下幸之助も入っている」

杣「ああ、そうでしたね」

飛鳥「一説には、入り口まで入った人間が3人いるという。いずれにせよ、間違いなく松下幸之助は入っている。おそらく莫大な金を積んで」

杣「いや、やはりそれなりの功労がないと」

飛鳥「そうですね。松下政経塾を作った人物ですからね。内宮は石積みの階段を上がっていくことから分かるように小山の上に建っていて、中は石炭岩なのです。つまり、地価は鍾乳洞みたいになっている。もともと空洞なのです。外宮にも伊雑宮にも同様に地下のお宮がある。内宮の場合、地下宮に契約の聖櫃(アーク)が置かれていて、20年ごとに移している。つまり、地下宮でも遷宮を行っている。むしろ、地上の遷宮は地下でやっているものの写しなのですね。だから、地上で使っているものは全部代わりのもの。ご神体を収めている御船代と言うのもそうです。御船の代わりって書くのですが、(箱)船は英語で「アーク」だから」

杣「まさにアークですからね」

飛鳥「と言うことは、契約の聖櫃(アーク)の本物はその地下にあるということです。契約の聖櫃(アーク)はいったん行方不明になり、あちこちさ迷った後、20年後にダビデの元に戻ってきた。旧約聖書にも「主の箱がキルヤト・エアリムに安置された日から時が過ぎ、20年を経た」(「サムエル記上」第7章2節)とある。だから、式年遷宮ではそれをかたどって、20年ごとに契約の聖櫃(アーク)を移すのです」

杣「確かに、式年遷宮は聖櫃(アーク)の移動じゃないかと言う説がありますね」

物部氏とアークの謎(39)

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(39)後醍醐天皇は十字架刑を再現する儀式を受けていた?

飛鳥「大阪の四天王寺について、僕が子供の頃に周囲のお年寄りたちから聞いたのは、この四天王寺には聖徳太子の手形があって、その手形には釘の痕があったという話。ただ、これは年寄りの勘違いで、実は聖徳太子の手形は古くなって色が薄くなってきたので、後醍醐天皇が余りにも畏れ多いからと、自身の筆記を添えて自分の左手の手形を2つ押した。これが後醍醐天皇版の「四天王縁起」で、これを聖徳太子の手形だと、お年寄りたちが勘違いした。それはともかくその後醍醐天皇の手形には五寸釘の跡がある。これは大変なことですよ。つまり、イエス・キリストの十字架刑を再現して同じ苦痛を受けるという儀式こそが、大嘗祭の正体なのです。少なくとも、後醍醐天皇の時代までは釘の儀式があった。正しくは釘の位置は手首にするべきなのだが、象徴的な釘の位置は掌になっている。なぜか言うと、手首はイエス・キリストの釘の痕だから、いくら天皇と言えども同じところはダメで、掌にやらなければいけない。あくまで象徴としてそこに釘を打つわけだが、そもそも、天皇そのものが象徴的存在ですからね。それで明治天皇の時に、忌部が改めてアラタエを納めるようになったのは、大嘗祭が本来の形に戻ったということでもある」

杣「元に戻した」

飛鳥「だけど、さすがに釘の儀式は外交上宜しくないということで一切やらなくなったと思う。実は、四天王寺と同じく後醍醐天皇の手形があるのが、弘法大師(空海)が書いた「弘法大師御手印縁起」の後醍醐天皇による写本版です。建武2年(1335年)に、後醍醐天皇が高野山を訪れ、結界を示す大切な縁起として写しを書き、巻末に自ら手形を捺印した。これを正本とし、門外不出にしたという。不思議なのは、高野山の手形は両手で押してあるが、五寸釘の痕が左右どちらにもない。つまり、四天王寺の方が高野山の後の写本なのか、どちらかが別人だったことになる。四天王寺の方は国宝で、高野山の方も重要文化財なので、新たな大きな謎が1つ残っている」

杣「先日、明治天皇の孫に当たる小林隆利牧師がお亡くなりになった。その小林牧師が書き残したものによると、飛鳥先生がおっしゃるように、明治天皇は聖書をよく読まれていらしたようですね。それに、ヘボン宣教師を招いて勉強されていたという」

飛鳥「ヘボン式ローマ字の考案者として知られるヘボンですね」

杣「ええ、三笠宮殿下も一緒に学ばれていたそうです。また、高松宮宣仁殿下は昭和22年に「神社新報」のインタビューで「神道に欠けているものをキリスト教とタイアップすることで学ぶべきではなかろうか」と発言しています」

飛鳥「タイアップしろって凄い」

杣「そう語ったそうですよ」

飛鳥「だから天皇家の周りの教師たちは、みんなキリスト教徒なのです」

杣「更に、宮内庁の職員にはクリスチャンが多いと言われていますね」

飛鳥「天皇家の本質を知れば、当然のことではありますね」

物部氏とアークの謎(40)

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(40)成田と伊勢で「ミステリアスジャパン構想」が始動

飛鳥「もう少ししたら明らかになってくると思うが、成田空港の脇にあるヒルトンホテルの裏の敷地ー相当大きな敷地ですがーここを「あるファンド」が手に入れたのですよ。これは、あまり詳しく言えないが、日本のキャッチフレーズが「クールジャパン」から「ミステリアスジャパン」と言うふうに変わるのですね。

 成田のその敷地に、海外から来る人たち、特にあらゆる宗教者、宗教の関係者が行くことになる。すると、実は日本と言うのは、あらゆる宗教の集合体であることが分かる。それを具現化する巨大なパビリオンシステムが出来るという。

 そして、そのファンドは伊勢神宮の側にも似たようなものを、もう一つ造る計画をして、一部はすでに稼働している。これは、国を動かす意味でも役に立ちますよ。例えば、日本の町工場の技術は世界一であっても、これまでは「売り方」を知らなかった。日本の芸術や工芸品もそうでしょう? そこで、その施設ではあらゆる日本の産業を集約させ、さらに、海外のバイヤーがそれを買えるようにする。そのためのシステムを、伊勢神宮のすぐ横のインターチェンジの広大な敷地と、日本の玄関である成田空港の脇に巨大なパビリオンとして造る計画が動いている。

 もともと、伊勢の方には、「伊勢・安土桃山文化村」と言うアミューズメントパークがあって、忠実に再現された戦国時代の街並みと安土城の天守のレプリカが売りだった。先ほど言ったファンドは、2016年にここを買い取り、100億円程度の改装費をかけて、温泉大浴場や刀鍛冶工房、侍・忍者に変身できるコスプレ施設、忍者学校などを新たに加えて2018年4月に新規開業する予定です。安土城は1泊500万円のホテルにしてね。

 ホテルに泊まると、馬に乗り、従者を引き連れての大名行列が出来たり、ロールスロイスやヘリでの送迎も付くというから、世界中の大富豪が来るでしょうね。

 そこでは、あらゆる宗教が、日本で集合体になっているということを具現化する。キャッチフレーズは、あらゆる宗教は1つであるということ。それを日本が言わずしてどこが言うかってことですよ」

杣「そう。日本人だから言えるのですよ」

飛鳥「日本人だから言える。日本人の持っている信用と生真面目さ、そして平和主義。「日本にはあらゆる宗教があって、それらには共通しているものがあるから、戦争なんかバカバカしいですよ」と言うことを具現化させる。最終的には、伊勢神宮にはそれがあるということろまで持っていく形になる。成田の工事が恐らくもう少ししたら始まります。ディズニーランドの何分の幾つかの敷地しかないが、それでもビックリしますよ。もうアイデアだけでも物凄い形で動いていきますから。これ、単なる宗教の話じゃなくて、日本の企業を活性化させるというのもポイント。さらに、2020年の東京オリンピックも視野に入っている。日本への観光客を現状の2400万人から倍、もしくは3倍にしようという。最終的には1億人の観光客を目的とする。もしくは、日本が世界平和のリーダーシップをとれるようにする。そのための大きな動力源にする構想なのです。これ、地方創生の大臣ともタイアップしているのですよ。「ミステリアスジャパン構想」は、国外に向けた日本独自のコンテンツを、政治と経済を巻き込みながら同時戦略で開放するようになるはずです。映画、漫画、アニメ、舞台などのエンタメ部門も例外ではなく、共生プロジェクトは最終的に出版社やアニメーション会社を持つことになるかもしれない。」

杣「いいですね。ファンタジーランド化と言ったらおかしいが、この日本と言う国は、世界の人から見ると、ワンダーランドなのですね」

飛鳥「そうなのです。不思議の国なのです。2000年以上続く王朝があること自体、世界ではありえませんし、日本と言うのはファンタジーそのものですよ」

杣「そのことを、他の国にもっと訴えかけてね。本当にミステリアスな国だと。こんなに古い、一番古い王朝がある国なんだよって。それだけでも「えー」ってなる。世界にはイギリスの方が古いと思っている人も多いわけですよ」

飛鳥「久保有政先生も、実はこのプロジェクトに関係している。キリスト教各派や仏教も含め、もう全部の宗教関係者の常識ある責任者が理事になっていくでしょうね。それで日本と言う特殊性を、これから世界に対してアピールする。入ってくるものは拒まず、出るものも拒まず、それでみんなに「へー、そうなんだ」と分かってもらって、日本をこれから世界の中心に持っていく」

杣「そうですね。研究して分かったことですが、仏教の中心も日本なのですよね」

飛鳥「そうなんです」

物部氏とアークの謎(41)

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(41)日本には古くからイスラム教も伝来している!

杣「仏教の発祥はインドだけど、学問としては、日本が一番進んでいる。つまり、日本は他の国で滅ばされたものを全部受け入れた。仏教は韓国で潰され、中国でも唐の武宗が道教以外は禁止するということで潰された。その弾圧を逃れてきた人たちを日本は全部受け入れている。清浄寺や清真寺は、開封にあるユダヤ教会堂にしてイスラム寺院でもあるわけだから、その同じ名前の寺が日本には沢山あるということは、この国には古代イスラエルの宗教や原始キリスト教だけでなく、イスラム教までも生きているわけです。酒を飲まない、肉を食べないと言ったベジタリアンが結構いるのはそういう影響でしょう。京都の寺の精進料理などもそうでしょう。だから、日本にはイスラムもライブで生きている。そういう寺として残っている」

飛鳥「釈迦が菩提樹の下で瞑想に入り解脱してブッダになったのがインドのブッタガヤですね。そこが仏教発祥の地になっている。ほかにも、釈迦が生まれたネパールのルンビニを仏教発祥の地とする場合もあるが、どちらにせよ、今でも残る宗教は全てアジアで生まれたものです。その仏教が日本では禅として昇華し、中国の禅宗とは違う禅として世界中に広まっている。一方、韓国だが、李氏朝鮮が行った儒教優先の「崇儒排仏」で、韓半島の仏教が滅亡寸前まで追い込まれた。しかし、「日韓併合」で、日本が半島の仏教を守って復活させた。とにかく、日本と言う国は世界でも唯一の宗教の総合商社みたいなもので、全部入っている」

杣「僕もそれを感じました。生きている。それも何百年もの間、国単位で受け入れて、ずっと続いている」

飛鳥「延々と続いています」

杣「もっと掘り起こせば、どんどん出てくると思う。やはり、それが1つの使命であるし、また、人も来てもらえるから経済的にも豊かになる。今、日本は豊かに見えるけれど、果たしてそうか? 先日、アフリカ・ナイロビの貧民街の学校に行ったのですよ。そこでは1200人の生徒がバラック建ての校舎に通っていて、クリスチャンが先生をやっているけど、そこで給食が出ている。釜が2つあって、そこで1200人分の昼食を作る。それで、校長先生が「この1食がその子の1日の食事だと思って下さい」と言う。「家に帰った時に、他に食べる物があるとは思わないでください」とも言われた。「だから、彼らは欠席しません」と」

飛鳥「そういうことか。欠席したら食べ物がない」

杣「食べ物が無くても明るいのです。貧しくても明るい。一方、日本は豊かだけど、逆に精神的に目標を失っている。ナイロビの子供たちは貧しくても一生懸命生きようとしている。一方、日本は豊かだけど「もうだめだ」と引きこもっている。引き籠りとは日本にしか起こっていないそうです。インド人に言わせると、引き籠ったら普通の人は死ぬのだと」

飛鳥「そうでしょうね。人は恵まれすぎると精神が虚弱になり、打たれ弱くなってしまう。そうして自己防衛から家に引きこもってしまう。甘やかされて育った結果、自己中心となった男女は、リスクを取りたがらない。責任回避からマニュアルしかやらない人間になっていく。さらに、親が子供を手もとに置き続けることが増え、子供は親から離れる必要がなくなっている。結婚も生活レベルを落とすリスクがあるので避けるようになり、その結果、死ぬまで「おひとり様」になっていく。少し前、酒井順子さんが「負け犬の遠吠え」を著し、話題となったが、「30歳代以上・未婚・子なし」の3条件がそろった女性を「負け犬」と規定している。「負け組」の彼女たちの遠吠えを、カルチャーセンター通い、美容院通い、整形通い、資格取得通いで負け犬の女性ほど元気だと鋭い分析をしている。・・・・・・・・最近、負け組に入りたくない若い女性が激増している。彼女たちは早い婚活、早い結婚、早い出産を目指している。おそらく元気なアラフォーの「負け組」の女性たちを見て何かに気付いたのでしょう」

杣「いずれにせよ、我々日本人は、先祖の足跡と日本の素晴らしい文化を掘り起こしていかねばならない。使命感を持ってね」


物部氏とアークの謎(42)

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(42)契約の聖櫃(アーク)は2枚の八咫鏡と一緒にある!

飛鳥「キリストの遺体を包んだとされる布を聖骸布と言いますね。実は、日本では人が亡くなったとき、顔に布をかける習慣があるが、あれは極めて珍しいのですよ。イエス・キリストが死んだときにも実は、麻の布で体を覆うと同時に顔も覆ったのですよ。これを現在でもそのまま忠実にやっている国は唯一、日本だけです。ただ、顔にかける布だけは、体を覆う布と違って絹で作られているだから、そういう意味でいうと、聖骸布も実は日本にあるということになる。忌部はその顔にかける布と、2つ折りで体に置く聖骸布にする2つの布を作る。そして、天皇が横たわることになる畳を8つに重ねたベッドの枕元に左右に、籠に入れておくのですよ。それもまた、キリストの聖骸布と同じなのですね」

杣「そうですね。それが日本にある」

飛鳥「聖骸布のサイズからイエス・キリストの体格を推定すると180センチ近いのです。割と大柄ですね。面白いことに法隆寺の聖徳太子の像とされる「救世観音菩薩像」も、代替179~180センチぐらいで、ほぼ同じ高さなのです。つまり、同じ背丈になっている。それから、大嘗祭で天皇が横たわる畳を8つ重ねたベッドは「真床追衾(まとこおうふすま)」とか「八重畳」とかいうが、これがエジプトの大ピラミッドの玄室にある石棺とほぼ同じ大きさなのです。そういう意味でエジプトから日本までつなぐ1本のラインが見えてくる。そのほか、メノラーや香壇、供物机、生贄台、洗盤、ネフシュタイン(青銅の蛇)など、ユダヤ教と共通する祭具類も、すべて日本の神社にある。大きな神社、大きな神宮には確実にある。さらに、出雲大社にはメノラー、それもソロモン神殿にあったメノラーが存在する可能性が極めて高い。もっと言うと、スサノオが退治した八岐大蛇の像はいろいろなところで見られるが、どれも8本首なのですよ」

杣「確かに8本首ですね」

飛鳥「でも、「八岐=8つの股」なのだから本当は9本首でなければいけない。つまり、八岐大蛇は9本首であり、それで、九頭竜と言う名前があるわけです」

杣「九頭竜川と言うのもありますね」

飛鳥「これは9本首の竜だということを暗に匂わせている名前です。そして、基本的には八岐大蛇は金色であり、生贄を求めたとされている。そこで、8つ股があるものって何だろうと考えると、「箱」なのです。長方形の箱に角が8つあり、そのそれぞれが3つ股です。では、3つ股ガ8つある箱で金色の物っていうと何だ。生贄を求めた箱って何だと。そうなると、それに該当するのは契約の聖櫃(アーク)だけなのですよ。それで、その契約の聖櫃(アーク)の中に最後まであったのが十戒石板とされている。ソロモン王の時代、十戒石板以外は何も入っていなかったと伝えられている。これで分かることは、少なくとも契約の聖櫃(アーク)は、天照大神のご神体の2枚の八咫鏡と一緒になっているということです。だから、内宮の地下宮に一緒に置かれ、20年ごとに地下で移動させているのでしょう。物部の祖である徐福が、アロンの杖とマナの壺を、契約の聖櫃(アーク)の半分の箱と一緒に持ってきた。その後、神武天皇が十戒石板と、契約の聖櫃(アーク)の蓋を持ってきた。そして互いに物部氏の箱「カチユキ」と、秦氏の蓋の「天羽羽矢」の箱合わせをし、互いに「璽(しるし)」とした。だから、物部氏は箱の「亀」、秦氏は羽の「鶴」となり、鶴亀合わせて縁起物とした。籠神社が発祥の「カゴメ唄」の歌詞にある「鶴と亀が統べった」となったのです」

物部氏とアークの謎(43)

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(43)秦の始皇帝は大和民族であり、モーセの一族だった!

飛鳥「徐福は箱をどこから持ってきたのか? 当然、彼を日本へ送り出した秦の始皇帝の元から持ってきたと考えるべきでしょう。一方の神武天皇はどこから蓋を運んできたのか? 神武天皇が引き連れてきたのは秦人(秦氏)の軍団と技術者、そして女性や子供と一緒の家族の大集団だった。「新撰姓氏録」は、秦氏は始皇帝の秦から来たとしている。つまり、紀元前3世紀に秦から物部氏が、紀元後3世紀に秦に出自のある秦氏が渡来したことになる。

 物部氏も秦氏も、当時のスーパー兵器の契約の聖櫃(アーク)の、それぞれ半分しか手元になく、敵に対しても苦戦を強いられた。ニギハヤヒの物部側は、邪馬台国に攻め込む狗奴国に対して「スーパー兵器」を使えず、神武天皇を呼び寄せるしか手が無かった。神武天皇の秦氏側も、契約の聖櫃(アーク)の蓋しかなく、紀伊半島で全滅寸前まで追い込まれる。

 始皇帝は20代で一気に巨大な中国を制覇するでしょう? あれはスーパー兵器がないと無理です。とてつもない兵器がないと無理ですよ。つまり、始皇帝は契約の聖櫃(アーク)を使った。だから、始皇帝の印である「璽」と言う文字は契約の聖櫃(アーク)の形をしているのです」

杣「「璽」と言う漢字が聖櫃(アーク)なのですか?」

飛鳥「はい。象形文字ともいえますが、璽の上部は羽である翼を向け合うケルビム。その下が箱で、「雨」の形をしているが、雨は「あま」で「天」とも書く。一番下の玉は「王」のことですね。この璽を初めて始皇帝が「皇帝の印」として使ったが、全く同じ印を天皇家が使っている」

杣「「璽」は天皇の印ですものね」

飛鳥「天皇家は、憲法にしろ何にしろ、全部この同じ印を押す。ということは始皇帝の直系ではないかと言うことです」

杣「確かに、そういう推理が成り立ちますね」

飛鳥「さらに言えば、始皇帝は漢民族ではなく大和民族だった。当時、日本は中国では嬴(えい)州と呼ばれ、始皇帝の本名は嬴政(えいせい)だった。これが1つの証拠です。

 歴史家の司馬遷も「始皇帝が前王の荘襄王の実子ではないらしい」と言うことを書いていて、荘襄王に仕えた豪商にして秦の宰相にまで昇りつめた呂不韋の子ではないかと書いている。この呂不韋の名を日本語の音読みで「ロフイ」と読むと、ヘブライ語の「癒し手」と言う意味になる。つまり、大和民族の祖が秦で漢字を編纂したと考えると、全ての辻褄が合う。要するに、大和民族も始皇帝もイスラエルの血脈につながるということです」

杣「そういうことになりますね」

飛鳥「そもそも漢字は始皇帝が作らせたという説がある。正確には文字の字体を統一したのですね」

杣「そうですね。大体秦の始皇帝がいた頃に漢字の元は出来上がっている」

飛鳥「金文文字、甲骨文字、象形文字などを始皇帝のシンクタンクが集合させて、漢字の元を作った。これは漢民族じゃ作れない。なぜなら、聖書に漢字のルーツがあるからです。漢字が、全部聖書なのです。しかし、漢民族はユダヤとは関係ないから、聖書の内容を入れられるわけがない。では誰が聖書から漢字を作ったかと言うと、それは秦氏ですよ。だから、連中は、始皇帝の末裔を自称したりしている。(「新撰姓氏録」にも、そう書かれている)

 それまでは、シルクロードのルート上の中央アジアのあたりでジーッと待機していて、西遊記の牛魔王と言う火焰山(かえんざん)の話のモデルになったりした。これは火を焚いて古代イスラエルの牛の儀式をやっていたからです。西遊記では、不気味な妖怪話になっているが、実際、当時の漢民族から見たら相当不気味な儀式だったと思う。ただ、それが結局、西遊記の話になっていったと思う」

杣「なるほど」

飛鳥「もっと言うと、始皇帝はモーセの一族ではないか? つまり、日本の南朝系が継承してきたモーセの三種の神器は、かって始皇帝が持っていたと言うことです。始皇帝はそれを「徐福=ジョゼフ」に与え、それが海を越えて日本に渡ってきた。一方、秦氏は秦から来たと言っている。彼らの渡来は紀元後3世紀の事だから、始皇帝の時代から600年ほどの差がある。その間、秦氏は別の場所で待機していた。それが弓月国といって中央アジアのウズベキスタンとか、あの辺りです。あそこへ行くと「アスカ」とか「ナラ」と言った地名が出てくる。そうなると、これから先、天皇家は世界を救うことになる。そのために二千数百年間もの間、ずっと続いてきたのです。なぜ、世界を救うかと言うと、モーセの三種の神器を持っているからです。そもそも今、イスラエルを支配しているのは、アシュケナージ系ユダヤであり、本当のユダヤ人ではない。ユダヤ教を信じた白人たちがユダヤ人になったのが、アシュケナージ系ユダヤなのですね。アジアのセム系はスファラディ系ユダヤと言われ、血統的ユダヤが非血統的ユダヤに虐げられている。そして、おそらく近いうちに、エルサレムに「第3神殿」が建てられる。その時に三種の神器がないと駄目なのです。神殿を建てても御神体が無いわけだから。それで、僕がイスラエルのラビ・アビハイル(失われた10支族を探す機関「アミシャーブ」の代表者)に、「日本に聖櫃(アーク)がありますよ」と言ったけど、「そんなことはない」と頑として認めない。でも認めないくせに日本に何度も来るのだよね。すぐに認めないのがユダヤ人だから」

物部氏とアークの謎(44)

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(44)皇太子は天皇になった後、京都に戻られる?

飛鳥「イスラエルのラビ・アビハイルは論戦が好きで、それで、忘れた頃に何度も日本に来る。彼は「いざとなれば、設計図は旧約聖書にあるのだから、三種の神器は作ればいい」と言うから、僕は「まあ、確かにそうでしょう」と言って「じゃあ、モーセが持っていた本物は、いまさらいらないよね」と言うと、「うーん・・・」と言うわけ。結論を言うと、モーセの三種の神器と契約の聖櫃(アーク)は、天皇家が氏子を連れてエルサレムに凱旋する形で運び込まれる。聖書の黙示録にも書いてある。その鎮座する場所は第3神殿ではなくオリーブ山です。なぜなら、第3神殿には黙示録の言う「獣」がいるから。獣がいるところに三種の神器を渡すわけにはいかない。

 そのオリーブ山で聖櫃(アーク)を奉献した後、そこへキリストが降臨するのだが、その前に獣が東から来る連中に対して怒りを発するーーと言うことが「ダニエル書」や「エレミヤ書」などに書いてある。東から来るものって一体なんだということになるが、極東の天皇家しかないわけです。正確には、北からもやってくる。それは大和民族と同族で、北の果てのアルザルに消えた失われたイスラエル10支族が、北から地上に戻ってくる預言です。旧約聖書の該当部分を引用する。

「次いで、東と北からの知らせに危険を感じ、多くの者を滅ぼし絶やそうと、大いに激昂して進軍する」(「ダニエル書」第11章44節)

「「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導きあげられた主は生きておられる」と言うようになる。私は彼らを、私がその先祖に与えた土地に帰らせる」(「エレミヤ書」第16章15節)

「見よ、私は彼らを北の国から連れ戻し、地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人も、身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いなる会衆となって帰ってくる」(「エレミヤ書」第31章8節)

 そうなると、獣と対抗できる唯一の人物は今の皇太子、つまり次の天皇陛下だけです。そして、次の天皇陛下は京都に移り、今上天皇陛下は上皇になる。今上天皇陛下が上皇になったら、京都にお戻りいただこうという話がすでに出ている。「どうぞ、京都に戻られて体を休めていただきたい」という声が京都の方で挙がっている。それで、僕が前から言っているのは、次の天皇、ラストエンペラーは必ず京都に戻るということです。その時、上皇となっている今上天皇陛下は東京に残るのか、それとも京都に戻るのかは定かではない。どちらにしても、最終的には、ラストエンペラーとなる現在の皇太子は京都に戻られることになる。

 これから、最先端科学も取り入れた形で物事が動いていく。例えば、日本人男性のY染色体の中にYAPと言う因子があって、実はこれ、大和民族の男性にしかない。漢民族にはないし、朝鮮民族にもない。これはプロテスタントも牧師で作家の久保有政さんが詳しい研究をしている」

杣「それからチベット人にもある」

飛鳥「チベット人にもYAPがある。そして、実は同じ遺伝子がエチオピアにもある。エチオピアの黒人男性は日本人と全く同じ遺伝子を持っている。この遺伝子はどこから来たかと言うとソロモンですよ。ソロモンの子を宿したシバの女王がエチオピアで産んだ子供たちの遺伝子が男系で継承され、どんどん増えていった。実は、釈迦族にもYAPがあり、仏陀もそうです。仏陀はユダヤ教徒だったから。偶像は作ってはならないと説いた」

杣「シャハン教授もそう言っていますね。釈迦の本名は「ゴーダマ」もヘブライ語だし、「シャカ」もヘブライ語。さらに「ブッダ」も「来て学べ」と言う意味のヘブライ語だと書いている」

飛鳥「そういうものが全部日本に伝わっているということを、世界中が知るようなシステムを作る。そのように動くわけですよ。だから、これから先、「日ユ同祖論なんか当たり前」と感じるようになる。そういう意味でも、杣さんの調査成果はこれから広く求められることになるでしょうね」

物部氏とアークの謎(45)

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(45)世界中が聖櫃(アーク)を持つ日本に平伏す!

杣「以前、アフリカのシンポジウムで15分しか持ち時間がなかったということがありました。つまり、15分で発題して質疑応答する。その時、先ず代理人に5分間、僕の説明をしてもらって、それから、僕が英語で話すわけです。早口だと分からないから、ゆっくり10分で説明する。でも、その10分間でもみんな理解できた。つまり、「日本ってそういう国なんだ」って、「我々とつながっているんだ」という意識を持ってもらうことが出来た。やはり、知識のある人たちはわかるのですよ。だから、これから一気に広がると思います。まだ、知らない人が多いから」

飛鳥「これ、はっきり言っておきますが、これから、三種の神器を入れた契約の聖櫃(アーク)が出てきますよ。モーセの時代そのまんまの形で出てくる。そして、それを世界中が知ることになる。

 そうなると、もう世界は日本を無視できなくなる。大和民族には「錦の御旗」があるから。世界をリードする錦の御旗がある。これは、キリスト教徒も無視できないし、ユダヤ教徒もイスラム教徒も無視できない。だって、旧約聖書を知っている限り、契約の聖櫃(アーク)は絶対に必須ですから」

杣「それはそうです」

飛鳥「それが日本にあるとなってくると・・・・」

杣「それは権威となる」

飛鳥「権威なのですよ」

杣「それも並の権威とは違う。世界的な権威と言うか」

飛鳥「そうなんです。世界の王」

杣「それを示すものです」

飛鳥「そうなんですよ」

杣「今はやはり、我々の学問の世界でも、イスラエルの学者の後ろ盾がないとなかなか言えない。しかし、契約の聖櫃(アーク)が出たら、全く立場が逆になるのです」

飛鳥「完全に逆転します」

杣「日本と言う極東の国は単なる端っこじゃなくて、実はそこに世界的権威の契約の聖櫃(アーク)が隠されていたということが証明されると・・・・」

飛鳥「そうなんです。これは大変なことです。そして、そうなってくると、イエス・キリストも実は白人じゃなかったということが明らかになる」

杣「当然ですよ」

飛鳥「アブラハムも白人じゃなかった」

杣「当然ですよ」

飛鳥「しかし、これは既存のキリスト教にとっては本当にえらいことです。天地が引っ繰り返ることになる。それで、村上春樹氏が何でノーベル賞を取れないかと言ったら、あれ、ユダヤを批判したからでしょう?」」

杣「知らなかった。そうなんですか?」

飛鳥「彼、ノーベル文学賞の登竜門と言われるエルサレム賞のスピーチでイスラエルを批判したでしょう?」

杣「あ、あの時にね」

飛鳥「ガザ地区に対する攻撃についてイスラエルを隠喩的に批判したから、ノーベル賞が取れないんだと僕は思う。でも、これもいずれ逆転するんだよ」

杣「そうなんですよ。本当に飛鳥先生がおっしゃるように、日本から聖櫃(アーク)が出てきたら、もう立場は逆転してしまう」

飛鳥「全然違ってくる。幕末の時の官軍みたいなものですよ」

杣「そう。錦の御旗には逆らえない」

飛鳥「世界中が平伏すことになる。キリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒も絶対に逆らえないから」

杣「本当にその通りだと思いますね」

 

物部氏とアークの謎(46)

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(46)三重県に聖櫃(アーク)があるとノストラダムスが預言した!

飛鳥「契約の聖櫃(アーク)は伊勢神宮内宮の地下殿にあり、その中に鏡が2枚入っている。いわゆる十戒石板です。これは普通なら表に出てこないけれど、僕には策略がある。エリ・コーヘンが駐日イスラエル大使だった時に、久保有政さんと東京・麹町にあるイスラエル大使館に行ったんですよ。その時には、アミシャーブのラビ・アビハイルと息子(養子)のデイビッド・アビハイルもいてね。その時に僕が言ったのは「自衛隊は伊勢神宮を守っていませんよ」と言うこと。そして、「内宮には地下があって契約の聖櫃(アーク)と十戒石板があります。外宮にはマナの壺があります」

「それで、もうすぐ伊雑宮と言うところにアロンの杖が移管されます。その時期を待って、夜中2時ごろ、押し入りなさい」と吹き込んだ。つまり、モーセの三種の神器を盗めと言うことを吹き込んだ。

 これが僕の策略です。要するに外圧を使って扉を開けようということです。その時に在日米軍を使いなさいとまで言った。そもそも米軍が何の為に日本にいるかということです」

杣「そうでもしないと明らかにされないでしょうね」

飛鳥「そうなんです。外圧を使って開けさせるしかない」

杣「内圧では絶対に出てこないから」

飛鳥「100%出ません。そこで外圧を使います。黒船を使うんです。それで、なぜ僕がこれを言えたかと言うとこのことを示す預言があるのですね。ノストラダムスの預言に「世界の最高の宝が3つの重なり地の女王の箱にある」とある。この「3つの重なり地」と言うのは三重県の事です。該当する詩を引用しておきましょう。

「包囲され、略奪され、貴重なる獲得物は取り返される

 それは聖なる出来事の起きる日と変わり

 通過し、奪い返され、捕縛される、三つの重なり地から

 さらにそこから印が現れ、権威の存在が引き上げられる」(「諸世紀」第7巻73)

「宝は西にいた者達により運び出され、神殿に隠される

 場所の秘密も、同じように隠され

 飢えた徒党は、神殿を開くだろう

 再び略奪するが、奪い返される、その中で恐ろしい祈祷が」(「諸世紀」第10巻81)

「金で飾られた偉大な製造物

 略奪の憂き目に遭うが、水中に投げ入れられる

 凄まじい火を放つため発見され

 大理石に彫られた書付は教訓を与える」(「諸世紀」第8巻28)

「文章は女王の貴重な箱の中で発見される

 題名は無く、筆者の著名も見当たらない

 策略が行われ、隠されるだろう

 そこからは、愛の存在は現れてこない」(諸世紀」第8巻23)」

杣「女王の箱とは・・・・」

飛鳥「女王の箱とは伊勢神宮の事ですね。その中に至高の宝が隠されているという。これは契約の聖櫃(アーク)が隠されているということです」

杣「至高の宝ですからね」

飛鳥「これらの4つの預言をまとめて1つで言うと、至宝は深夜、盗人により略奪される。ところが、その時、呪詛が掛けられて箱から火を発し、その箱を水中に落とすと書いてある。つまり、イスラエルは米軍を使って伊勢神宮から三種の神器を盗み出し、潜水艦でそれを運び出そうとするが、箱から出火して失敗するということです。「その時、祭司が呪いの言葉を発すると、その宝が火を発して海中に捨てられ、大衆の面前に現れる」とノストラダムスは預言している。さらに、また別な預言には、水中から炎が出て箱のありかが分かり、引き揚げられて、世界中がその姿を見るであろうとある。これ、伊勢湾ですよ。一旦は伊勢湾にその聖櫃(アーク)が沈むことになる。まさに「インディ・ジョーンズ」の映画のようになるんです。それで興味深いのは、最近、伊勢湾の一角に妙なものが見つかったこと。6畳間くらいの正方形の石の構造物で、これが何なのか全くわかっていない。ひっとしたらここに契約の聖櫃(アーク)が鎮座するかもしれない。その時に、契約の聖櫃(アーク)は光を発しモーセの三種の神器が日本にあったことが世界中に明らかになる」

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