(4)昔話を読むと日本の歴史と結界が判る!
「おにぎり」はいろいろな物を象徴している。最近流行している「おにぎらず」は、三角形ではないおにぎりと言うか、サンドイッチみたいに作ったものである。誰かが握ったおにぎりは食べられないという潔癖症の人がいて、「おにぎらず」が流行している。見た目はサンドイッチぽくて、おにぎりの形を崩すこと自体に、日本のバランスを壊したい人の陰謀が入っているという話である。(中沢氏)
おにぎりを「おむすび」ともいうように、「結ぶ」ことによって霊的な物が結ばれ、米に「氣」が入っているわけである。ところが、「おにぎらず」には、「氣」が入らない。握っていないから氣が入らないわけである。(山口氏)
結局、おにぎらずが流行した理由は、日本に潔癖症が増えているからである。つまり、空気清浄器とか抗菌作用とか、そういう潔癖症的なグッズで囲まれるほど、精霊的な物からどんどん離れていく。(中沢氏)
おむすびは「タカミムスビ」「カミムスビ」の元初3神からきている。死んだ後に、3柱の神界(三角形)に行きたい人の願いを込め、死者の頭部に三角布を巻くのと同じである。(飛鳥氏)
「おにぎらず」の流行がヤバいのは、お母さんと言う存在が日本の結界の一部として重要な役割をしていたからである。おにぎりで子供たちに自分の気を与えていたこと。それから、昔話と言う形で結界と言うものをわかりやすく説明していた。桃太郎の話では、鬼門の鬼がいて、裏鬼門の犬とサルとキジがいて、桃太郎が裏鬼門から鬼門に攻め込んで結界を維持するという話である。(山口氏) 北の山と言うのはおじいさんが芝刈りに行った山であり、南の海と言うのは、おばあさんが洗濯に行った海である。この構造を理解すれば日本の結界は理解できる。狂言のように、翁と媼といって、昔話には、おじいさんとおばあさんが出てくる。これは神を降ろす招魂の両神であり、それが、翁と媼と言う仕組みになっている。だから、昔話を語ることが一つの神事だったのに、今は語られなくなった。テレビで「まんが日本昔ばなし」をやっているときは、まだ日本人の霊性は落ちていなかった。ところが「美少女戦士セーラームーン」が登場して視聴率が低下してきて打ち切りになった。(山口氏)
最近のメディアで展開されている「日本昔ばなし」にも問題がある。(中沢氏) さっきの潔癖症の話もそうなのだけれど、残酷なオチとかが変更されている。「かちかち山」だったら、昔はタヌキが死んでたのに死なずに、仲直りして無理やりハッピーエンドにしたりしている。結局、世の中をきれいにしようとうものが大切な何かを崩していく。「おにぎらず」もそうなんだけれど。(中沢氏)
「さるかに合戦」も最近では、最後に仲良くなりましたで終わる。あれは、サルを殺すまでやらないとダメ。そもそも「さるかに合戦」は何を意味しているかと言うと、農耕民族のカニと狩猟民族のサルとの戦いである。つまり、水(海)を渡ってきた弥生人=カニが「早く芽を出せ柿の種」と言って、農業をしていたところ、縄文人であるサルが収奪する。しかし、最後は、農耕の象徴である牛のくそとか臼とか、養蜂の象徴であるハチなどによる総力戦で、狩猟民族=縄文人のサルが殺される。そういう歴史を昔話に込めて子供に教えていた。それを止めちゃった罪が大きい。(山口氏)
実は、「まんが日本昔ばなし」と言うのは飛鳥氏のアイデアだった。飛鳥氏は大阪でアニメの仕事をしていて、「サザエさん」とかやっていた。その頃、アニメ製作会社のTCJ(現・エイケン)が、新しいアニメをやりたいから企画書を出せと言うので、毎回2本立てで絵柄が毎回変わり、声優は2人だけという企画を考えた。自分で基本設定を考えて、絵も描いて色づけてサンプルにし、それで送った。しかし、何も言ってこないので、「どうしたんですか」と聞いたら、「TCJを辞めた女性が、飛鳥氏の企画書を持って別のアニメ会社に入った」と言う。それで出来たのが、「まんが日本昔話」だった。飛鳥氏の企画書を持って行ったその女性が、企画立案者として名前があった。それで文化庁優秀映画作品賞を受賞している。この話が、事実であることを、TCJのトップだったKさんは証言している。漫画・アニメ界というのは、本当にそういうことが平然と行われている。