(30)「同じ本質を行くもの」(セント・ジャーメインより)
秋山「ジャスムヒーンさんはマニアックで、シャイで、1人でこもりがちだったんです。でもヨガの先生について習ったりして、自分の足をエネルギー的に光に変えて消すとかやっていたらしいんですね。ある時、瞑想でセント・ジャーメインが出てきて、「あなたは、水も食べ物も一切なしでプラーナで生きていけるという事を確信できているのか」と聞かれたんですって。もうすでにしていたから、「はい」と答えると、「それだったら、それをマスコミに公表してくれないか?」と、言うわけですよ。ジャスムヒーンさんは、「とんでもない、ジャイな私がそんなことできるわけがありません。友達にすらなかなか言えないのに、ましてやマスコミなんかに言えるわけがありません」て言ったんですって。そしたら、セント・ジャーメインはそれにひるまず、「あなたはアフリカで1秒に何人子供が亡くなっているか、知っているんでしょう? あなたの体験に基づく研究が、彼らを救う可能性が大いにあるのに、あなたは見捨てるのか」と言われたって。」
船瀬「禪のお坊さんみたいになって来たね。喝! って感じだね。」
秋山「そう。それを言われちゃったらもう・・・・・。それで、もう観念して「分かりました。公表します」て言ったんですって。でも、マスコミの知り合いもいないし…と思っていたら、マスコミの方から電話がかかって来たそうです。」
船瀬「あら、「引き寄せの法則」だよ。」
秋山「そういう事です。私も結構セント・ジャーメインって手厳しいんだなって思いました。それで、その大阪の後輩に「セント・ジャーメインと自分の関係について、聞いておいてね」ってお願いしたところ、いつもはその人がお祈りしているときに出て来るんだけれど、その場で答えが来ちゃったんです。「こんなの初めてです」って言ってました。それで、セント・ジャーメインは「同じ本質を行くもの」と言ったそうなんですよ。その言葉を聞いたら、なんか恥ずかしくなってきて、「やばい墓穴掘った」とか思って。自分の顔見るみたいな、気恥ずかしいような思いが・・・・。」
船瀬「自分の顔を鏡で見るって、確かに照れ臭いみたいなのがありますよね。」
秋山「その場で答えもらって言うのも思っていなかったから、不意を突かれて。半分冗談で、何か昔から関係がありそうな気がするから聞いといてなんて気軽に言ったけど、その場で答えが来るなんて、これ以上聞くとまずいって言う雰囲気があったわけです。」
船瀬「意識がシンクロしますからね。類は友を呼ぶってやつです。同じ波動が、時空を超えて共鳴するのです。これが「引き寄せ」の法則ですね。」
秋山「だから老子の書物を見ていた時にピッタリ来た感覚についても、そこで凄く納得したんです。エネルギーが似ているという。」
船瀬「それは深いね。1990年に僕はアメリカの有名な物理学者で哲学者フリッチョフ・カプラに会って、話を聞いたんだけど、やっぱり陰陽のことを言っているんです。それで、あなたが一番影響を受けた哲学は何?って聞いたら、言っていましたね。ブッディズム、ヒンドゥイズム、それからタオイズム。とことん勉強したけれど、一番心に響いたのがタオイズムだって。だから「タオ自然学」と言う本を書いてね。タオ、つまり道教について、一番詳しいんじゃないかな。」
秋山「やっぱりタオは、闇についてしっかりと見ているんですよ。」
船瀬「そうそう。混沌、カオスからこの世が生まれたってはっきり言っていますからね。最先端の物理学者が老荘を見ていて、タオイズムこそが物理学の本質だって言っている。」
秋山「私の高校の物理の先生も、色即是空がどうこうとか言っていてね。本当は私、物理が好きで大学は物理学科をいくつか受けたんですよ。ところがハイゼンベルクの不確定性原理で嫌になっちゃったんですよ。物体を観察して、いろいろな法則を探っていくという。」
船瀬「ハイゼンベルクの不確定性原理は、観察と言う行為自体が、すでに絶対性を否定する。科学者にはショッキングな視点ですよね。あくまでも相対的なものであるってね。」
秋山「近似値っていう事なんですよ。物体の位置、変位って言うんですけどね。それと運動量を掛け算して測るんですが、ある一定の誤差の範囲でしかわからないっていう事で。」
船瀬「ハイゼンベルクはね。」
秋山「「部分と全体」と言う本を書いている人ですけど、それを開いて、自分は一生近似値に捧げることはしたくないと思って。」
船瀬「科学は絶対だと思ったら、相対だったという。相撲で言えばけたぐりみたいなひっくり返し理論だね。」
秋山「そうそう。けたぐりなの。それで嫌になっちゃって、逆にこっちも極端だから、真理追求してもできないんだったら軟派な学問に行っちゃえ、みたいな。それで文字通り、情報科学に行ったんですが、なぜか自分がいいなと思った先生が純粋数学の先生だったんですよ。集合位相論のトポロジーの先生でね。」
船瀬「数学も変なところにハマると大変だよね。「リーマン予測」ってあるでしょう。素数配列。あれで気が狂っちゃった数学者が何人もいるんだよね。ラッセル・クロウ主演で「ビューティフル・マインド」って言う映画化までされた。主人公の数学者は、完全に分裂症になっていく。例えば、素数って言うのは、ランダムに表れるでしょう。でも素数配列の中に何らかの法則性があるはずだっていう事で調べても、どこまで行ってもランダムなんですね。素数が現れるのが。ところがですよ。リーマン予測で素数配列を研究している数学者が国際数学学会に行って、コーヒーブレイクしていたら、同じようにコーヒー飲んでいる学者がいて、「あなたは何をやっている方ですか?」っていったら、「僕は物理学をやっていて、国際物理学会に関わっている。僕たちは国際数学会をやっている」と答えた。「今は何の研究をしているんですか」って聞いたら、「原子から出るエネルギーのスペクトルのランダム性を調べているけれど、この法則性が全然わからない」って言う。「僕の方は素数配列のランダム性がわからない」って言って、2人で重ねてみたらぴったりだった。」
秋山「それは凄い。」
船瀬「宇宙の法則性、リーマン予測の素数配列のグラフが、原子から出るスペクトルのランダム性と見事に重なった。凄いでしょう。」
秋山「そのランダム性が重なるって言うこと自体、言葉の矛盾なわけですよ。ランダムじゃないでしょう。」
船瀬「ランダムじゃなくて、そこに1つの法則があったってことだね。」
秋山「ランダムと言う法則です。」
船瀬「その物理学者と数学者は、手を取り合って喜んだという。」
秋山「やっぱり、コーヒーブレイク大事ですね。」
船瀬「大事ですよ。だから、美味しいコーヒーも大切に!やっぱりすべてに意味があるんだっていう事だ。」