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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(66)

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(66)「福音を携えて来る天使」

 獣が現れる前(その時期は明確に示されていない)、1人の天使が天空を飛翔する。その天使の役目は「永遠の福音」を地上にもたらすことだという。

 ところが、地上には旧約聖書が存在し、イエス・キリストの福音を記す新約聖書も存在する。それなのに、わざわざ「福音」を携えて来るのは、なぜだろうか?

「私はまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、大声で言った。「神を畏れ、その栄光を称えなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第14章6~7節)

 実は、これが原始キリスト教会が受け取る聖書なのである。そしてこの聖書の存在は、「あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせる」とあるように、世界中に知られるようになる。

 それと同時に、神権を回復する預言者が召され、原始キリスト教会が再び組織されるのである。1999年、天の四隅にメルカバーが降りた以上、原始キリスト教会は既に地上に存在しており、もう一つの聖書もすでに登場している。

「別の第二の天使が続いて来て、こういった。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第14章8節)

 第2の天使が告げる「大バビロンが倒れた」という言葉は、獣である世界総統の死を意味している。バビロンは高慢と悪が結集したことの象徴であり、そこにそそり立つ「バベルの塔」は、まさに人間の愚かさを象徴する塔だった。

 原始キリスト教会の再興に続く第2の天使の出現がいつになるかはわからないが、間違いなく世界総統と法皇は命を失う。

「みだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都」はバビロニアの首都バビロンのことだが、世界総統によって支配されるエルサレムを象徴する。

「また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこういった。「誰でも獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、その者自身も、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。その苦しみの煙は、世よ限りなく立ち上がり、獣とその像を拝む者たち、また、誰でも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第14章9~11節)

 第3の天使は、「獣とその像を拝む者たち、また、誰でも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない」と警告する。誰に警告するかは明白である。獣が世界を支配する前後の我々に向けてである。獣に従うことは、ルシフェルに従った天使と同じで、みじめな末路をたどる。だから、事前に警告しているのである。

 第3の天使は、滅び去る者の命令に従わず、永遠の神の側に立てと命じている。暴君に逆らって生きていけるわけがないと思う人は、最後には世界総統と一緒に滅び去る。

 では、原始キリスト教会の人々は、3年半の間どうなるのか? 答えは、ヨハネの言葉が示唆している。

「女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んでいくためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第12章14節)

 黙示録は両義預言である。この節もしかりで、1つは原始キリスト教会が出現して間もない頃であり、もう1つは獣が支配する頃の出来事である。第7の封印の、特に第7のラッパの期間の象徴は、必ずしも全てが時系列に並んでいるわけではない。過去から未来、未来から過去へ、ある時は大幅に、別の時は小幅に、まるで梯子を上り下りするように移動する。天使も時の上下を移動するが、むやみに移動しているわけではない。1つの法則に則って動き回る。それがカッバーラの仕組みである。

「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上がったり下ったりしていた。」(旧約聖書「創世記」第28章12節)

 原始キリスト教徒たちは、世界総統が支配する3年半の間、魔の手から守られると預言されている。どのようにして守られるのかはわからないが、彼らにはラメセス2世と対峙したモーセと似た預言者がいて、その預言者の背後に絶対神がついている。獣が史上最悪の暴君だとしても、その力は絶対神には遠く及ぶはずもない。そのことに人々が気付くかどうか、信じるか否か、それが一人一人の永遠の生く末を決める鍵となる。

「また、私が見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。すると、別の天使が神殿から出てきて、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています」 そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録「第14書14~16節)

 刈り取られる穂は、実りの豊かな良い小麦である。鎌で穂を刈るのは、雲に乗って降臨するイエス・キリストであり、良い麦を先に刈り入れていく。これを再降臨で行うのである。

 勿論、「刈り入れ」は象徴で、この時刈り入れられたのは永遠の救いに預かれる人々である。良い実を心に持ち、神への証しを持つ人々は、預言者エノクのように空中に上げられる。これを「空中携挙」と言い、彼らは空中で再降臨するイエス・キリストを迎えるのである。

「大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、私たち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。」(新約聖書「テサロニケの信徒への手紙 一」第4章16~17節)


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