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飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(18)

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(18)聖書にも三分の一は亡びるとある!

(上つ巻・第38帖 三分の一は亡びる)

 地上に残る者は一度死を味わうが、死んでも絶対神の力で復活する。三分の一の信者は道に迷い躓くことになる。日本人同士が相争う時代がやってくる。中には飢餓に堪えかねて人食いを始める者までが出てくる。そのため、多くの人々が日本を捨てて海外に逃れるだろう。よほど天照大神であるイエス・キリストに縋らなければ、正しい信者でさえ闇に落ちていくことになる。なぜなら、太陽神が身近なほど落とす影も深く、暗いからである。天照大神が地上に生まれたことは、逆の神であるサタンも同じ領域にいることになる。自然界の摂理に裏表はない。雨の日は雨でしかなく、風の日は風の日であるが、人のわざは傲慢で自然界の摂理でさえ捻じ曲げる。天地の心を知らぬ者は、気候でさえ自由に操作しようとし、その多くは甚大な被害を及ぼすだろう。絶対神は不動で中心にいて動かない。その神に近づくのも去るのも、人間が決めることである。神に近づくのが嫌ならそれでもいい。それは人の自由であり、神から頼むことはない。

(解釈資料)

 この預言は世界最終戦争(ハルマゲドン)の最中、絶対神が善人を救いに戻ってくる頃を示した項である。至福の「福千年」はハルマゲドンの後から始まるため、正しい者の多くが死ぬことになる。しかし、彼らは福千年の直前か最中に順を追って復活していく。復活の初穂のイエス・キリストのようにである。だから途中で死んでも何の心配も無い。神に縋って任せればよいのである。それでも三分の一は亡びるだろう。三分の一が失われるのは、全世界も同じで「聖書」には全ての三分の一が失われるとある。

「第1の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、全ての青草も焼けてしまった。第2の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、また、被造物で海にすむ生き物の三分の一が死に、船と言う船の三分の一が壊された。第3の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちてきて、川と言う川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦しくなって、そのために多くの人が死んだ。第4の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星と言う星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった」(「ヨハネの黙示録」第8章7~12節)

 ロシアは聖書を信じる国家であり、プーチンも聖書を信じている。「新約聖書」を持たないユダヤ教のイスラエル人にとって、「新約聖書」を持つ国家は高い目線でイスラエルを見下ろす構造になる。つまり、ロシアやEU、アメリカの指導者たちは、イスラエルの動きを先読みしながら動いている。ロシアに関しては、間違いなく黒海艦隊が地中海に侵攻する地固めでクリミア半島を制覇した。将来的に、トルコはロシア艦隊と機甲師団に凌辱されて火の海になるだろう。当然、イスラエルがイスラムの聖地に「第3神殿」を建設すれば、イスラム原理主義を標榜する「イスラム国」とアラブの皇子を自称するイランも黙っていない。日本で言えば、伊勢神宮にオウム真理教のサティアンが建つほどの衝撃である。神殿建設に邪魔なイスラム教の「岩のドーム」は破壊することになるが、おそらく自然災害を装う可能性がある。最も考えられることは、エルサレムで起きる直下型地震の可能性である。「嘆きの壁」の上に立つイスラム三大聖地の「岩のドーム」は、大黒柱を持たないため瞬時に崩れ落ちるだろう。直下型地震が起きたとすれば、アメリカの地震兵器が使われたことを意味する。

 2011・3・11の大震災はアメリカの地震兵器で引き起こされた。本来ならば、東京が火の海になっていたところだった。ところが千葉県沖でプレートのズレが止まり、アメリカが東京を破壊しようとした目的は果たせなかったのである。そのことでデイビッド・ロックフェラーが「なぜ東京は火の海になっていないのか」と激怒したという情報が入っている。つまり、アメリカは日本を破壊して「世界恐慌」を起こすつもりだったのである。結果として失敗した為、イスラム原理主義化したイスラム国とイランを結託させ、イスラエルの神殿建設に裏から手を貸すことで限定核戦争を勃発させるつもりである。3・11が思い通りに運ばなかったため、アメリカは世界大恐慌と第3次世界大戦を同時に決行する計画に差し替えたのである。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(19)

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(19)再び日本に危機が迫る!

(上つ巻・第40帖 両義預言、再び日本に危機が迫る)

 日本を囲む東西南北すべてが敵になる。しかし、敵の中にも味方がいて、味方の中にも敵がいる。黄金の島ジパングに世界中が攻め込んでくる。この時は絶対神の守りが日本にあることを敵国に思い知らせる機会でもある。しかし、日本人の心根が変わらない限り、神からの神風は吹かない。

(解釈資料)

 なぜ神風が吹かなかったのか→日本が宗教カルトに陥っていたからである。

日本は太平洋を越えた東にあるアメリカ、カナダ、西にある中国、イギリス領インド、さらに西のイギリス、フランス、オランダ等々、南にあるオーストラリア、ニュージランド、北にあるロシアのすべてを敵に回して戦っていた。インドに関してはイギリス領インド帝国は連合軍だったが、自由インド政府は枢軸国の日本側についていた。戦後の「東京裁判」でインドの代表パール判事は、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は戦勝国によって作られた事後法であり、事後法を裁くことは国際法に違反すると主張し、被告人全員の無罪を主張した。一方、「三国同盟」の一国だったイタリアは、ムッソリーニが公開処刑された後、連合側につき枢軸国の敵となったが、「日ソ不可侵条約」で中立の旧ソビエトは、一方的に条約を破って連合軍として参加した。

 岡本天明はこれらを預言していたことになる。何故、神風が吹かなかったかだが、「日月神示」は日本人に責任があると述べている。明治以降、東京のシンボルは天皇が居を構える皇居であり、宗教的シンボルが「靖国神社」だった。強力な中央集権制を支えた国家神道は、幕末期の日本を折檻した「神道復興運動」から派生したもので、歴史的には最も新しい神道だった。問題は、富国強兵の中央集権国家を支える政治色が強すぎる結果、宗教カルト化したことである。日本人はナチスドイツと比較して、戦前戦中の日本をナチスと違うと擁護するが、ナチスは「国家社会主義ドイツ労働党」と言う政党、つまり政治結社であり政治カルトだった。それがやがて国家カルトになったわけだが、ドイツ人全てがナチス党員だったわけではなく、多くは厳格なクリスチャンだった。ナチスはそもそも宗教ではなく政治的イデオロギーだったからである。

 一方の日本は、「教育勅語」と連動しながら国家神道を尋常小学校から徹底的に教え、日本不敗論を無理に信じ込ませていく。それは宗教の拡大解釈であり、狂気の沙汰である。実際、明治生まれの新興宗教を国が承認した結果、一気に宗教カルト化していく。それまで日本全国に広がった神社を国家神道が統合し、血管やリンパ管を通して癌細胞が拡散するように、瞬く間に体中を汚染した。既に拡散していた神道を国家神道が乗っ取ったのである。さらに、国民総監視体制として「向こう三軒両隣」の隣組を起こし、各家庭を互いに監視させたのである。

 ドイツを見ると、ナチス党が結成された1920年で党員数は2000人に過ぎず、1930年代以降、ヒトラーの躍進に伴い、要員数が増えたが、1932年の党員番号数で120万人、政権奪取の後は390万人を超えるまでになった。

 日本は国家神道を掲げ、強力な国家カルトを創り上げたのでほぼ100%の国民が国家神道の支配下となり、世界でも稀な宗教国家カルトが誕生したのである。そういう中、明治元年(1868年)に出された「神仏分離令」により、神仏混交で同境内を共有した寺を追放し、明治3年(1870年)の「大教宣布」により、全国の寺を焼き討ちし、経典や仏像を破壊する「廃仏毀釈」の大津波が日本中を席巻する。この狂気の沙汰をカルトと呼ぶ。

 全国の尋常小学校では、天皇皇后両陛下の「御真影」の下賜がはじまり、教育勅語が制定された後の1910年代に、全国規模で「奉安殿」の成立が拡大する。奉安殿に両陛下の写真と教育勅語を安置し、前を通るときは衣服を正して最敬礼をする。このような奉安殿は京都を含む全国各地の学校に建てられ、「忠君愛国教育」の象徴として君臨した。また登下校時に前を通過する際、職員生徒すべてが、奉安殿の彼方の皇居に向かって最敬礼するように定められた。つまり、イスラム教徒がメッカに向かって拝する行為を,日本も東京に向かって行っていたのである。

 国民の洗脳が行き過ぎた結果、国民の期待を裏切ることを誰もできなくなった。そのため、敗戦をダラダラ引き延ばす羽目に陥ったのである。だから国民の多くを不幸に陥れた国家神道を宗教カルトと言う。だからこそ、「日月神示」が世に出てきたのである。最後に重要なことは、これは両義預言になっていて、もう一度同じことが我々の生きている間に起きるということである。岡本天明は、その方を最も重要視していた。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(20)

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(20)次の天皇が最後の天皇になる!

(上つ巻・第41帖 次の天皇がラストエンペラー)

 仇をなし裏切る者らが集まり、闇夜に紛れて悪い企てをしている。一体そんな真似をして何になるのか? 絶対神には御見通しであるのに、まだ目覚めないか? 闇の心を持つ者らに夜明けはない。永遠に闇夜が覆うだけであるが、自業自得である。欲を捨てる国民は幸いである。そうすれば真理が見えてくる。

(解釈資料)

 平安時代の花山天皇の一族が残したのが「伯家神道」である。その伯家神道には預言がある。それは日本の未来を示唆する内容で、天皇家に関わる重大な未来を示唆している。預言の内容とは、最後の天皇陛下について語っている。つまり、その天皇が即位するとラストエンペラーになるということである。

 もちろん、日本の国体も最後なら、世界も終焉を迎えることになる。これは「ハルマゲドン」に関わる天皇で、つまり世界終末預言が伯家神道に記されているのである。そこには一体何が記されているのか? 

 皇太子が天皇に即位する際に行われる儀式が3つある。「即位式」「大嘗祭」「祝の神事」の3つである。その中に「祝の神事」が、100年間、あるいは4代行われないと、その次の天皇で国体が終わるという預言である。

 実は明治天皇は「祝の神事」を受けたが、大正、昭和と今上の各天皇は受けていない。南北朝時代の後醍醐天皇まですべてを受けていたが、足利尊氏の裏切りで北朝家が立って以降、即位式しかしなくなった。そのため、幕末の孝明天皇までは「半帝」と呼ばれていた。それが明治天皇から再び、即位式、大嘗祭、祝の神事が始まることになった。

 ところが、大正天皇は心に病があって祝の神事を受けておらず、昭和天皇も戦争等の騒動で受けられなかった。つまり、大正、昭和、今上と三代の天皇が祝の神事を受けていないことになる。

 マヤの預言で騒がれていた2012年、その年は明治天皇崩御から100年目だった。2012年7月30日に「明治神宮」で「明治天皇百年祭」が開催された。偶然かも知らないが、マヤの預言が世界滅亡を唱えた2012年12月23日(現地)は、日本では今上天皇陛下の誕生を祝う「天皇誕生日」に当たっていた。日付変更線のズレを加えたとしても、現地の冬至は日を挟む為同じことである。つまり、マヤ預言と天皇家は妙な一致を描いていたのだ。仮に、白家神道が正しければ、既にトリガーは引かれており、順当にいけば今の皇太子が次の天皇陛下、つまりラストエンペラーになる。

 ところが、宮内庁の役人たちが、ここにきて妙な動き方をしている。彼らは官僚の言うことを聞かない雅子様に問題ありとし、様々な方法で苛め、最終的に皇室から追い出そうと企てている。あることないことを週刊誌にリークし、雅子様のイメージを悪くすることに税金と労力を使っている。このまま皇太子の徳仁親王が皇位を継承した場合、妃殿下となった雅子様は、そういう輩に鉄槌を下す可能性が極めて高い。そこで宮内庁の役人たちは、今上天皇陛下の第2皇子である秋篠宮文仁親王こそ、次の天皇陛下に相応しいとして、様々な陰謀を企てている。これは官僚どもが自分にとって都合の良い天皇を決めるという、本末転倒も甚だしい暴挙を始めたことを意味する。

 これは、日本の官僚が腐っている事を暗示する。おそらく最後には腐った官僚どもが粛清されるだろう。仮に今上天皇が崩御する事態になった場合、次の天皇陛下で最後の天皇となる。1912年に大正天皇が即位した時以来、「祝の神事」は行われていないため、2012年7月30日をもって、預言が成就し始めることになる。運命のトリガーが引かれたのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(21)

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(21)神権はセム・メイソンにあり、日本はセム・メイソンの長である!

(上つ巻・第42帖 日本はセム・メイソンの長)

 岡本天明への最初の召しの業はこれで終わる。だから少しでも早く、富士山に封印されている「国仕掛け」を解き放ってほしい。それが成るようであれば、次の「国仕掛け」を解き明かすぞ。わずか1か月で降りてきたお筆書きの神示を「上つ巻」として、戦後の世まで残してもらいたい。次の書も1か月ほどで降りてくる天照大神の御業なので、それを「下つ巻」として世に残すことになるだろう。これは大和の民だけではなく、世界中の神の子達にとって重要な知らせなので、苦労を掛けるだろうが、絶対神を信じて素直に聞き従ってほしい。

(解釈資料)

 聖書学的に言う「神権」は、天幕に関わるセム・メイソンにしか伝わっていなかった。ところが、イスラエルがソロモン大王の死後、南北に分裂して互いに争い、救世主イエス・キリストを磔刑にするまで堕落した結果、神権はセムとヤフェトの血を合わせ持つ、「ヨセフの系統」が受け持つことになる。ヨセフの結婚相手だが、白人の祭司ポテファルの娘アセナテだったことで、その子マナセとエフライムはセムとヤフェトのハーフだった。先の者(黄色人種)が堕落し、後の者(白人種)が天幕を借りて世界を支配することになったからである。

「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(「マルコによる福音書」第10章31節)

 フリーメイソンが世界規模に拡大した理由は、アメリカを築いたコーカソイドに功績がある。一方の日本は、セム・メイソンの長であり、レビの直系の天皇陛下が祭儀を行い続け、三種の神器と契約の聖櫃を保管する役目を持っている。

 フリーメイソンを悪玉にする一つが、「シオンの議定書である。内容は、様々な手段で世界中の国家と民族を堕落させて家畜化し、隙に乗じて世界を乗っ取るための秘密権力の世界征服計画書」とある。反シオニズム運動と反ユダヤ主義を巻き起こすのが目的の書であり、当時の「ロシア帝国内務省警察部警備局」によって作成されたとされている。これがロシア革命で日本を含む世界中に拡大し、最終的にナチスのポロコーストへと結びつく。

 フリーメイソンに所属し、「メイソンの黒い教皇」と呼ばれたアルバート・バイクの予言書がある。彼は、秘密結社「イルミナティ」の最高幹部でもあった。1871年8月15日、バイクがジュゼッペ・マッツイーニ宛に書簡を送り、第1次世界大戦、第2次世界大戦、第3次世界大戦について予言していた。書簡には、「世界を統一するためには、3度の世界大戦が必要であり、1度目はロシアを倒すため、2度目はドイツを倒すため、3度目はシオニストとイスラム教徒を戦わせ、世界の国々をハルマゲドンへ向かわせる」とある。さらに「第1次世界大戦は、ロシアを崩壊させ、広大な大地をイルミナティのエージェントの直轄にするため仕組まれる。ロシアはイルミナティの目的を世界に促進するピエロに利用される」とあり、「第2次世界大戦は、ドイツ国家主義者と政治的シオニストの極端な意見の相違から争いが勃発する。その結果、ロシア領域の拡大と、パレスチナにイスラエル国家が建設される」とあり、「第3次世界大戦は、ユダヤ人とアラブ人の間で起きる大紛争をイルミナティ・エージェントが利用して起こす。これが世界的大紛争の拡大へとつながる」とある。

 その一方で、「キリスト教会と無神論の破壊の後で、ルシファー(サタン)の宇宙的存在によって、真の光が抑えられる」とあり、最も興味が注がれるのは「予言は当たるものではなく、当てるものだ」と断言している点である。

 では実際にどうだったのか検証してみる。

 第1次世界池泉は結果的にロシア革命の引き金となり、レーニンは皇帝を倒して無神論共産主義の拠点となる。その後、旧ソ連は他国を侵略し、宗教を弱体化させることになった。

 第2次世界大戦は、ファシストとシオニストの対立を煽るナチズムによって引き起こされ、ナチスの旧ソ連侵攻の大失敗によって決着する。それ以後、旧ソ連の力が拡大し、米ソ冷戦時代になる。一方、ポロコーストに同情的な国々により、シオニズム運動が加速し、一気にイスラエルを建国することに成功する。

 最後の第3次世界大戦は、現時点では起きていないが、イランの核兵器開発疑惑によるイラン締め付けが激化し、アルカイダと繋がるイスラム国が一気に台頭してきたなど、一触即発の事態に陥っている。

 バイクは「第3次世界大戦が終結した後、世界制覇を達成した者達は、未曾有の大激変を世界に引き起こす」と語っているが、これを引き起こすのはイルミナティである。

 アメリカの真の支配者であるロックフェラーを筆頭とする影の政府の最終目的は、預言を通した世界制覇にある。その意味では、イエス・キリストを十字架にかけた当時の権力組織サンヒドリンと酷似する。サンヒドリンは絶大な人気を持つイエス・キリストに手を焼き、救世主と認めないものの、救世主が磔刑で果てる預言を利用して、預言があるなら、その預言を利用してイエス・キリストを葬り去ろうと計画した。

 アメリカのキリスト教過激派、キリスト教極右、キリスト教原理主義の一部に、これと全く同じ思考がある。ハルマゲドンが起きるなら、率先してハルマゲドンを起こす方が神の計画を早め、神の意志に寄与したことになると考えるからである。結果、自分たちは神から認められ、地を受け継ぐことになると考える。同じ思考はイスラム原理主義にもあり、この両者が手を組んだのか「2001・9・11」の同時多発テロで当時の大統領ブッシュ・ジュニアとアルカイダの長オサマ・ビン・ラーディンは、石油利権を含めて互いに協力関係にあり、「第3次世界大戦」とハルマゲドンを目指して裏で結託した。事実、9・11でブッシュが真っ先に行ったのは、アメリカにいるオサマの一族を特別機で国内から脱出させることだった。勿論、オサマは殺されていない可能性が高い。遺体があればバレるので、アメリカ軍はオサマの遺体らしきものを空母から海中に投棄したとされている。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(22)

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(22)大国主命=饒速日命=大物主神である!

(下つ巻・第1帖 三輪山の秘密が分かれば岩戸が開く)

 富士山の秘密は天照大神の明快なまでの仕掛けだが、奈良県の大和平野から見下ろす山々にも同様な仕掛けが成されている。そこには青い垣根で囲まれたような聖域で、古代の人々は神の仕掛けを造った。「古事記」にも「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 倭し美はし」とあり、三輪山と纏向山は太古の聖山だった。特に三輪山は「大神神社」の御神体を成し、本殿を置かず、拝殿の奥に「三つ鳥居」を通して三輪山を拝する。その構造は、元初三神の祀りの様が伝えられ、「記紀」の上ではわが国最古の神社として知られている。「三輪山」は最古の聖域で、その神体山を拝する「大神神社」の入り口に巨大な鳥居がそそり立つが、そのような御大層な鳥居は不要である。本来、鳥居とは水に至る門の役目があり、そこが結界となって境を示している。三輪山に祀られる「大物主神」は「蛇神」とされているが、同時に「水神」「雷神」とも言われる。だから、三輪山は入山が禁制となってきた。水は海の水であり、絶対神の民族が海を越えて渡ってきた由来になっている。不死の奥に隠された秘密に光が当てられ、多くが解き明かされる時代が来る。お山の秘密が解け、三重や諏訪の地の秘密が解け、三輪の秘密も解ければ、いよいよ岩戸開きが本格的になる。ところが、民はこの世的な概念に縛られ、神への仕組みを理解するどころか混乱するだろう。だから、一刻も早く神に心を開き、溢れるほどの光を身に受けねばならない。そうすれば、理解の目が開くであろう。「日月神示」は特定の宗教の教えではないので、岡本天明は教団を興さないが、ただ絶対神に至る道筋を整えるだけである。だから、金もうけしか頭にない宗教団体には「日月神示」を売り渡すことをしない。

(解釈資料)

 大神神社は古神道「物部神道」である。天孫族系の神道は、後からやって来たもので、国譲りを受けて物部神道を乗っ取っていく。だから三輪山は最古の神である「元初三神」を興りとする。「大神神社」の大神主家は、大神姓であり、三輪氏だった。中世に高宮氏と改めた大神氏は、「三本杉」「丸の内三つの輪」の社紋を用いた。これは「三位三体」を象徴し、山名の「三輪」も京都府太秦の「蚕の社」に立つ「三柱鳥居」の断面と同じである。

 藤原氏の勢力が拡大するに従い、物部神道は表舞台から消えていく。藤原不比等の頃、「物部祝詞」が封印され、不比等が黒幕になって編纂した「記紀」の中で、物部氏の扱いは最小限に抑えられる。

 710年、第43代・元明天皇の御世に「平城京遷都」が行われた際、物部氏の石上朝臣麻呂が藤原京の留守役に残される事態になる。この処置は不比等が下したもので、それ以降、物部氏は表舞台から完全に姿を消してしまう。つまり、藤原京に取り残されたのである。

 石上氏と言えば、物部氏の主流で、その名を冠した「石上神社」には物部氏の祖を祀るとともに、数々の謎の儀式が伝承されていた。中でも最も奇異なのが「物部祝詞」と言われるものである。祝詞は「一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやこと)」と唱え、その後「布瑠部由良由良止布瑠部(ふるべゆらゆらとふるべ)」と言う謎の祝詞が加わる。これと同じ祝詞が、旧暦11月に宮中で行われる「鎮魂祭」で唱えられており、天皇家の祝詞に物部祝詞が入り込んでいる。さらに、物部氏の儀式に、弓を鳴らすものがある。これは今でも天皇家で赤子が生まれると、隣の部屋で同じ儀式が執行される。愛子さまの時も行われた。これは古代日本で弓の弦を鳴らすことは極めて軍事的で、物部氏にとって重要な呪術だった。その呪術を石上麻呂が不比等の前で見せたもである。この呪術は三輪山の神を呼び出す呪術だった。三輪山の麓にあるのが日本最古の社「大神神社」で、三輪の神は大物主神である。

 大物主神は「古事記」では大国主命、芦原醜男、八千矛として知られ、「日本書紀」では大己貴神として出てくるが、正体は物部氏の祖「饒速日命」である。つまり、大国主命=饒速日命=大物主神で、今も皇室が祖の儀式を行う理由は、物部氏を絶対に無視できないからである。その物部氏と天皇家が和解したのでが、2013年の「伊勢神宮」「出雲大社」の同年式年遷宮である。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(23)

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(23)天照大神の正体

(下つ巻・第3帖 「天宇受売女」の意味は「イエスに関わる女」)

 神道の氏子100人に向かい、天照大神が男神であり、イエス・キリストだったと言うと、殆どの者が訳の分からない顔になるはずである。第1、天照大神が女神ではないという段階で目が点になる。記紀の仕掛けは、横に広がっているだけではなく、縦にも広がっている。縦横に仕掛けられた仕掛けを開けることが求められている。その場合、記紀の矛盾点をこじ開ければよい理屈になる。我々日本人は、天照大神と言えば女神であると信じ込んでいるのは、記紀の中に、高天原を治める最高神が女神であると記されているからである。記紀をそのまま信じてはならない。真相を知るには、記紀に仕掛けられた錠を手に入れた鍵で開けねばならない。そうしなければ記紀は秘密を絶対に明かさないからである。では、天照大神の正体とは何者なのか? 

 その前に神道の基本は「人が死ぬと神になる」と言う考え方に注目することである。先の太平洋戦争でも特攻で玉砕するパイロットたちは飛び立つ前から生き神様として扱われ、「靖国神社」で神として奉られている。戦国時代でも上杉謙信は「上杉神社」で祭神として奉られ、武田信玄は「武田神社」で祭神として奉られている。つまり、日本人は人が死んで神になるという教えを神道の歴史と共に養ってきた。平安時代には菅原道真の祟りを恐れた朝廷が、道真の霊を鎮魂するために天満宮を全国に建てたり、死んで権現様となった徳川家康を「日光東照宮」で神として奉った。乃木希典将軍を奉る「乃木神社」や明治天皇を奉る「明治神宮」もしかりである。墓所と違う点は、御霊なので時と場所を超越できることである。だから、墓と違い遺骨には縛られない。

 そこで天照大神も、「神になる前に人間だった」と解釈すれば、思わぬ姿が垣間見えてくる。記紀には弟の「須佐之男命」の悪行に耐え切れず、高天原の岩戸に隠れてしまう。その結果、世界中が暗黒に包まれてしまう。困った八百万の神々は岩戸の前に集まり知恵を出し合い、ついに「天宇受売女」が神楽を舞い、何の騒ぎかと天照大神が岩戸を少し開けた瞬間、「天手力男神」が丸い岩の蓋をこじ開けて、中から天照大神を連れ出したとある。さらに「天太玉命」がしめ縄を張り、天照大神が二度と岩戸に戻らぬようにしたとある。こうして天照大神の光が蘇り、天上の高天原と地上の芦原中津国は再び明るくなり、天照大神は二度と岩戸に隠れることがなくなった。

 日本では隠れることは「死」を意味する。天照大神が隠れた岩戸は「竪穴」ではなく「横穴」である。その横穴には丸い蓋があり、天照大神が死ぬことで墓の蓋が閉じられたことになる。殺したのは須佐之男命だが、間接的に天照大神を死に追い込んだ黒幕である。

 記紀が記すような人生を送った人間がこの世にいたのだろうか?

それが存在したのである。今から2000年前のユダヤの地に生誕したイエス・キリストのことである。十字架で亡くなったイエスの様子を「新約聖書」は以下のように記している。

「人々はイエスを木にかけて殺してしまいました」(「使徒言行録」第10章39節)

木にかけることは十字架に吊るすということだが、記紀神話にも同じようなことが象徴として暗示されている。忌部の祖である天太玉命が、天の香具山から掘り出した「榊」に八咫鏡を引っ掛け、それを岩戸の前にかざしたとある。どこが磔刑と同じかと言うと、榊に掛けられた鏡に映った天照大神の目は、木にかけられた自分の姿を見たことになるからである。そのイエスの墓についても「新約聖書」は以下のように記している。

「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、綺麗な亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入口には大きな石を転がしておいて立ち去った」(「マタイによる福音書」第27章59~60節)

このようにイエス・キリストは、人として生きて人として磔刑で亡くなったと記されている。今もイエスの遺骸を納めたという墓穴はイスラエルに残されている。

 次にイエスの蘇りであるが、復活には2人の天使が関わっている。

「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た2人の人がそばに現れた。・・・・・「人の子は必ず罪人の手に渡され、十字架につけられ、3日目に復活することになっている。」と言われたではないか」(「ルカによる福音書」第24章2~7節)

 新約聖書では、イエスが死から蘇り、神と同格になったと記している。日本人は昔から人が死ぬと神になると教えてきたので、それが神道教義の基本でもあった。蘇ったイエス・キリストが最初に出会ったのがマグダラのマリアである。

「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、先ずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに7つの悪霊を追い出していただいた婦人である」(「マルコによる福音書」第16章9節)

 天照大神の岩戸の前で裸で踊ったアメノウズメが、体を売る生活をしていたかもしれないマグダラのマリアと一致してくる。「アメノウズメ」の意味は「イエスの関わる女」と言うことである。さらに言えば、イエス・キリストが十字架上で息絶えたとき、世界に暗闇が襲ったという記述が新約聖書にある。

「既に昼の12時頃であった。全地は暗くなり、それが3時まで続いた。太陽は光を失っていた」(「ルカによる福音書」第23章44~45節)

つまり、イエス・キリストが亡くなると同時に、天地が暗闇になったと新約聖書は伝えている。これは天照大神の岩戸隠れと全く同じであり、闇が続いた時間までが正確に記されている点が重要である。記紀と聖書の一致は偶然ではない。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(24)

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(24)馬小屋で生まれた伝説と聖徳太子

(下つ巻・第5帖 蘇我馬子は「我は蘇り馬小屋の子」=イエス・キリスト)

 戦時中から見た将来、東京に絶対神イエス・キリストの下に人々が集う「宮(神殿)」を建設せねばならない。建設すると言っても絢爛豪華で巨大な構造物ではなく、質素で美しく気品がある建物となり、ある程度の大きさを持って、人の集まりやすい構造になる。それはユダヤの「神の家=神殿」と言ってもいいだろう。そこでは預言の成就の儀式が行われるため、その組織の預言書を見れば、神からの啓示が書き記されているのが分かるだろう。その組織は三位三体を唱える「蘇りの組織=原始キリスト教」となる。この宮で行われる儀式の詳細を外部に漏らして印刷してはならない。言葉で伝え記憶するべきものである。絶対神を讃えるだけにせよ。天使が儀式を数えて書き残すからである。言霊とは、口から出た言葉が後に成就することをいい、先に未来の出来事を語る預言と同じである。だから口を慎まなければならない。言葉は善なるために神が人に与えた賜物だからである。

(解釈資料)

 原始キリスト教の特徴は「三位三体」の教義を持ち、神から与えられた「神権」を持ち、「預言者」がいて「十二使徒」がいることである。それと全く同じ組織が末の世に登場し、東京に神殿を建てるが、この「日月神示」の預言はすでに成就しており、東京都港区の広尾の「有栖川宮記念公園」の側に、その組織の神殿が建っている。

 天皇陛下は神界への階段(梯子)の下にいる預言者を暗示する。

「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことになった。ヤコブはその場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使い達がそれを上がったり下ったりしていた」(「創世記」第28章10~12節)

これを「ヤコブの階段」「ヤコブの梯子」といい、陛下の意味はヤコブであるイスラエルの象徴となっている。そこで天照大神=イエス・キリストについてさらに検証する。

 イエス・キリストが馬小屋で生まれたことは、クリスマス劇でもおなじみの光景だが、そのイエス・キリストが「我は蘇り」と語った言葉が、そのまま記紀に人名となって登場している。「日本書紀」の第33代・推古天皇の項で、「厩戸豊聡耳皇子」が初めて登場するが、略して「厩戸皇子」とも称する。「ウマヤド」とは「馬小屋」を示し、そこで生まれた聖人なので、太子の死後、諡号として聖徳太子と称したとされる。ところが、さらにその上を行く人物が、同じ推古天皇の項に登場する。太子と共に物部守屋を打ち滅ぼした「蘇我馬子」である。

 さらに「守屋」の「モリヤ」はイエス・キリストが磔刑になった「ゴルゴタの丘」の旧名「モリヤ」と同じで、イスラエルの始祖アグラハムが、神の命令で息子のイサクを生贄に捧げようとしたモリヤの延長にある丘である

「あなたの息子、穴との愛する独り子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げものとして捧げなさい」(「創世記」第22章2節)

結果として、アブラハムはイサクを殺すことなく、天使が止めて中断されるが、これが後の神の独り子イエス・キリストの生贄の雛型とされる。

 一方、天照大神の名前の中にもとんでもない秘密が隠されている。天照大神の「天」という字を書くには「一・一・人」ではなく、古来より「工・人」と書くという。工人とは「大工」のことを現す。「漢字破字法」で分解すると、天照大神は「天=工・人」「照=日・召・炎」「大=一・人」「神=ネ・申」となり、全体の意味が、「日に炎に召された唯一の神(ネ=神)の大工と申す」となる。新約聖書によると、イエス・キリストは聖霊の力により処女マリアから生まれたが、マリアの夫ヨセフは大工だった。

「この人は、この知恵とこれらの力あるワザを、どこで習ってきたのか。この人は大工の子ではないか。母はマリアと言い、兄弟達はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、私たちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったいどこで習ってきたのか」(「マタイによる福音書」第13章54~56節)

 聖徳太子も日本では「大工の祖」と唱えられている。世界最古の木造建築物「法隆寺」や「四天王寺」を創建したからである。

 日本人の多くは、イエス・キリストは「金髪碧眼」のイメージであるが、ローマをはじめ西洋諸国がキリスト教化したから白人扱いとなった。最近ではハリウッド映画の影響が大きい。はっきり言うと、イエス・キリストは黄色人種であり、我々日本人と同じ民族である。事実、今のユダヤ系白人種は「アシュケナジー系」と呼ばれるコーカサイドであり、彼らは紀元8世紀頃、コーカサスからカスピ海北岸に「ハザール汗国」を築いていた人々の末裔である。一方の、アジア系の黒い髪と黒い瞳を持つユダヤ人は「スファラディー系」と呼ばれ、血統的ユダヤ人のことである。彼等はセム系人種で、我々と同じアジア人である。「新約聖書」にもイエス・キリストがセムの末裔であると明確に記している。

「セムの系図は次の通りである。セムが百歳になった時、アルパクシャドが生まれた・・・・テラが70歳になった時、アブラム(後のアブラハム)、ナホル、ハランが生まれた」(「創世記」第11章10~26節)

「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代である」(「マタイによる福音書」第1章17節)

一方、白人の祖はヤフェトであり、黒人の祖はハムとあり、セムと共に「ノアの大洪水」とかかわるノアの息子だった。彼らは世界を滅ぼした大洪水を箱舟で乗り切り、父母と多くの動物と一緒に生き延びたとされている。

「箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった」(「創世記」第9章18節)

だから、今の白人系ユダヤ人は混血を除けば血統的ユダヤ人と無縁の人種である。彼らはユダヤ教に改宗したのでユダヤ人となった人々なのである。現在、アジア系ユダヤ人は、パレスチナ人と肌が似ていることから白人系ユダヤ人に差別され、社会の底辺層に置かれている。しかし、彼らこそが血統的ユダヤ人であり、セムの末裔で日本人と同じアジア人なのである。「日ユ同祖論」を唱えると、日本人と白人のユダヤ人のどこが似ているのかという声を聞くが、日本人こそ真のユダヤ人なのである。ハリウッド映画は洗脳のために利用されているのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(25)

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(25)藤原不比等が天照を女神に改ざんした!

(下つ巻・第7帖 藤原不比等が天照を女神に改ざんした)

 「日月神示」の解き明かしを知れば、その嬉しさから近隣に行って知らせたくなるが、あまり過激になると、逆効果なので落ち着くことである。絶対神は信者が多く集まるので喜ぶような存在ではない。集まった者たちの質を重視される。だから、謎を解き明かしたものは、金儲けの宗教を自ら興し、その教祖になってはならない。三柱の神を拝するには、「三礼三拍手一礼」である。明治の国家神道が作り上げた「二礼二拍手一礼」ではない。「天津神」とは天照大神がいる高天原の神で、天孫族の祖とされている。その祝詞である「天津祝詞」は、神社に参拝した際、神主が奏上する祝詞で「祓祝詞」ともいわれる。

現代語訳でいうと次のようになる。

「高天原におられる、カムロギノミコトとカムロミノミコトのご教示によりまして、天皇の御親であらせられる伊邪那岐大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて、黄泉の国の穢れを禊祓った時に生まれた祓戸の大神たち、罪や穢れがありましたら、どうぞお祓いください、お清めてください。このお願いをすることを天津神、国津神、すべての神々様にどうぞお聞き届けくださいと恐れ多くもお願い申し上げます。」 

 これを唱えながら体を清めた時に様々な神が生まれたとある。左目を洗ったときに「天照大神」が、右目を洗ったときに「月読命」が、鼻を洗ったときに「須佐之男命」が生まれ、これを「三貴子」と呼ぶ。

(解釈資料)

「三貴子」は3人の男子のことを言う。貴子は男性を指す言葉で、天照大神が女性なら「子」ではなく「女」で「一貴子」ではなく、「一貴女、二貴子」と表現すべきである。記紀が編纂された時期を見ると、朝廷の権力を握っていたのは、藤原不比等だった。事実、「古事記」は712年に朝廷に献上され、「日本書紀」は720年に献上されているので、不比等の息がかかっている。不比等は中臣鎌足(藤原鎌足)の第2子とされている。不比等は、「大宝律令」を完成させ、708年には右大臣となって権力の段階を上り詰める。その後、長女・宮子を、第42代・文武天皇に嫁がせ、第45代・聖武天皇を産ませ、次女・光明子をその聖武天皇に嫁がせるという離れ業を行って、さらなる権力を掌握した。こうして不比等は第41代・持統天皇、第43代・元明天皇、第44代・天正天皇へと続く女帝の下で実権を握り続け、717年には名実ともに不比等政権を確立した。特に持統天皇の軟弱な政権基盤を強固にするために、女帝の下で統合される必要が出てきたとされ、そこで皇祖神である天照大神を男神から女神へと強制的に入れ替える策に出た。その策略は徹底しており、「伊勢神宮」の祭祀全般を受け持っていた禰宜に降格させ、代わって中臣氏系の荒木田氏を内宮の禰宜に任命している。さらに、「籠神社」から、豊受大神のご神体を運び出し、そこを「伊勢神宮」に鎮座させて外宮としたとされる。この頃から20年に一度ずつ社殿を立て直す「式年遷宮」も開始されている。不比等はある神命を受けていて記紀に仕掛けを行っていたのである。事実、記紀には真相を隠すよう仕組まれており、鍵を使えばバリヤーが外れるようになっている。最高神をたぶらかし、国史のを改ざんしたにしては、本筋のところで羽目を外していないのである。ただ、徹底してカモフラージュで隠されているだけである。また、秘密を明らかにできる仕掛けも残している以上、不比等を悪人として扱うのは間違いである。

 間違いなく不比等について言えることは、イエス・キリストである天照大神を女神に変え、記紀に存在する「新・旧約聖書」を仕掛けで隠したのは、神道と皇室の基礎にイスラエルが関わることを、諸外国を含む国民の目から隠そうとしたからである。それは世界の至宝が日本に隠され「伊勢神宮」に封印されていることを異国に知られないためである。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(26)

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(26)預言書としての「日月神示」

(下つ巻・第8帖 日本とイスラエルを結ぶスキタイ騎馬民族)

 「日月神示」の難解な内容が解き明かされる時が来たら、少しでも多くの人に、その内容を告げ知らせてほしい。たとえ足を止める者が一人もいなくても、諦めずに伝えてほしい。人々ばかりか、神界の三神に聞いてもらうつもりで話してほしい。神の力を受け、それを証として述べ伝えてほしい。

(解釈資料)

「日月神示」は数ある預言書に過ぎないが、神の預言書の体系を成している。その行き着く先に奥義があり、人々はそこを経て救いへと導かれる。日本人はどこから来たかを知れば、祖先を知ることができ、祖先の出所から神の存在に気付くことになる。

 スキタイ族がユーラシア大陸を駆け巡っていたころ、パレスチナ地方に、一つの王国が存在した。その王国の名は「古代イスラエル王国」である。ソロモン大王が治めるヘブライ人の古代王国である。紀元前1290年、モーセによって、エジプト脱出を果たした古代イスラエルの民は、その後シナイ半島の荒野を40年間もさまようことになる。紀元前1250年、モーセの後を引き継いだヨシュアによるカナン征服が始まり、ヨルダン川を越え「契約の地カナン」を得る。ヨシュアはその土地を、イスラエル12支族に分け与え、紀元前1025年まで続く士師が国を治める制度を作った。

 イスラエル12支族とは、紀元前1800年頃にいた預言者ヤコブに、12人の息子がいたことに由来する。長男から順にルベン、シオメン、レビ、ダン、ナフタリ、ガド、アシュル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンである。レビ族だけは神殿で祭祀をつかさどる職に従事する為、支族に加えなかった。そこで代わりに、ヨセフの息子マナセとエフライムを支族に加え、イスラエル12支族とした。しばらく士師の時代が続き、預言者サムエルは初代イスラエル王としてサウルを選ぶことになる。初めは正しかったサウル王は、やがて変貌し、絶対神への儀式を汚してしまう罪を犯す。そこで絶対神ヤハウェは、サウル王の代わりにダビデを王に選ぶようにサムエルに命ずる。

 王に予任されたダビデは、ぺリシテ人の巨人ゴリアテを石投げ器で倒し、英雄として初陣を飾るが、サウル王はダビデを殺そうとする。だが、サウル王と3人の息子が戦死し、ダビデが王としてイスラエルに君臨し、ダビデ王朝が築かれイスラエルが統一される。そのダビデの後を引き継いだのが息子のソロモンであり、彼の時代が最もイスラエルが繁栄し、幕屋も石と材木で築かれることになる。これが世にいう「ソロモン第1神殿」である。

 しかし、ソロモン王の死後、息子のレハベアムの時代に、「北朝イスラエル王国」と「南朝ユダ王国」に分裂する。紀元前721年、北イスラエル王国がアッシリアに攻め込まれ補因される事件が起こる。その後、北イスラエル王国にいた10支族の姿が、忽然と歴史の表舞台から消えてしまう。彼らを「失われたイスラエル10支族」と言う。

 南ユダ王国もバビロンのネブガドネザルに補因され、ペルシャ王のクロス王が解放するまでバビロン宗教の影響を受け、強烈な選民思想を取り込んだ「タルムード」を作り上げる。

 「失われたイスラエル10支族」は、何故再びパレスチナへ戻らなかったのか? それは、スキタイ騎馬民族に捕らえられたと考えるべきである。スキタイ騎馬民族もヘブライ人も同じ遊牧民だった。アッシリア帝国を滅ぼしたのも騎馬民族のスキタイだったことは世界史の事実である。ヘブライ人は国家の重要なポストに就くことが非常に多い。エジプトの司になったヨセフ、エジプト王族の中で指導的立場にいたモーセ、アケメネス朝ペルシャの宰相になったモルデカイ、新バビロニアで3人の司の一人として君臨したダニエル等々。つまり、スキタイ騎馬民族の中にあっても、ヘブライ人は重要なポストに就いた。このスキタイ民族が日本とイスラエルを結ぶ重要な橋渡しをした可能性がある。

 スキタイ騎馬民族の「積石塚」は、古極東アジアでも発見されている円形の墳墓のことである。中国の墓でないことは、中国の史書で、人の頭ほどの川原石を積んで塚とする風習を、驚きの言葉で記述していることでも分かる。日本でも謎の古墳と言われる「四隅突出型墳丘墓」の原型となる「方形積石古墳」も同時に発見されている。そのことから、騎馬民族の大きな流れが、ユーラシア大陸から朝鮮半島を経由し、日本列島に至るまでを見て取れるのである。それは、北方ユーラシアの草原を駆け抜けた「扶余系騎馬民族」が、間違いなく日本に渡ってきたことを認めた証拠ともいえる。

 日本独特の前方後円墳が大陸渡来のものと判明した以上、騎馬民族がユーラシア大陸から持ち込んだと考えて間違いない。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(27)

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(27)「仏」とは「私は有る」の意味である!

(下つ巻・第9帖 神も仏もすべてがイエス・キリスト)

 「最終戦争(ハルマゲドン)」は全人類の最終戦争でもあるが、神々の最終戦争でもある。神々とは、造物主である絶対神と悪霊の長であるルシフェル(サタン)との闘いである。その様子は、絶対神に仕える天使と言えども、そのすべてが教えられているわけではない。ただ両方が全力で大衝突し、その凄まじさは規模の面でも空前絶後となるだろう。光と闇の拮抗する闘いは、最後の最後の九分九厘の所で絶対神が登場し、悪霊を封じ込めてしまうだろう。その時、日本は世界に冠たる国として認められ、世界中の国々は日本を含めて、神の王国に従うことになる。

 絶対神の光と悪霊の闇の差は無限に大きいが、ある意味で紙一重ともいえる。なぜなら、悪霊も元は天使だからである。だから、悪魔も悔い改めれば、絶対神は許すことになる。それほど天照大神(イエス・キリスト)の懐は大きく、極限の愛に満ちた神なのである。東京に建設される絶対神の神殿は、神を求める者なら誰でも入れるようにしてほしい。その聖域を管理する者は、神と同じ資質が必要である。その者は、口先だけの指導者ではなく、人の一番最後にいて、汚れた厠を掃除するほどの気構えが無ければならない。踏ん反り返って、傲慢に陥ったら最後、その者は取り換えられるだろう。

(解釈資料)

 神社の「社(ヤシロ)」というが、「ヤ」はヘブライ語で絶対神ヤハウェを示し、「シロ」は臨在の幕屋を建てた場所を示した。つまり、東京に建つ社とは「神殿」である。

「イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた」(「ヨシュア記」第18章1節)

 さらに仏教の「寺(テラ)」はラテン語の「世界・地球」の意味で、漢字破法を使えば寺は「土・寸」で「土の寸法=世界・地球」となりラテン語の意味と一致する。さらに「仏」は「イ=人」「ム=旧字の意味→私有」であり、「私は有る」となれば「ヤハウェ」となり、ヤハウェが受胎して現人神イエス・キリストになったのが仏となる。と言うことは、神も仏もすべてがイエス・キリストとなる。

 ハルマゲドンと共に再降臨するイエス・キリストの姿をヨハネはパトモス島で示現を通して見ていた。

「そして、私は天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義を持って裁き、また戦われる。その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。この方には自分のほかは誰も知らない名が記されていた」(「ヨハネの黙示録」第19章11~12節)

 白い馬にまたがる神は、誠実、真実の象徴であるイエス・キリストであり、真紅の衣を着て神の言葉を吐く。その冠に「誰も知らない名が記されていた」とある以上、当時は誰も、観音菩薩、天照大神、ケツァルコアトル、ククルカン、ブラフマー等々の名は知らなかったはずである。つまり、その頭に冠を載せているブラフマーとは天地創造の神イエス・キリストを指している。白馬にまたがり世を救うために降臨する「馬頭観音」も、その正体はイエス・キリストで、贖罪の血の色の衣で降臨するイエス・キリストの預言から、「紅観音」とも称されている。

「また、血に染まった衣をまとっており、その名は神の言葉と呼ばれた」(「ヨハネの黙示録」第19章13節)

 馬頭観音はヒンズー教のヴィシュヌの変化の一つで、そのヴィシュヌが現人神としてクリシュナになる以上、イエス・キリストと判明する。さらに、世が終わる寸前に白い馬にまたがって悪を滅ぼすヒンズー教のカルキ神も、イエス・キリストである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(28)

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(28)日本はシャンバラと同格である!

(下つ巻・第13帖 日本はシャンバラと同格)

 これは日本人役員に対する厳しい警告である。「役員」とは、正しい教会組織に属する日本人の指導者が、その地位にふさわしくない頑なさと、霊感の不足から、物事を逆さに見て、日本に仕掛けられた天照大神(イエス・キリスト)の仕掛けを無視し、結果として気付くことなく露骨な妨害工作まで行うようになることの警告である。(サンヒドリンを形成する危険性がある) 岩戸開きを邪魔する者は、たとえ神の組織の属する者でも後において行かれる。その者等が官僚主義に陥った場合、本来与えられていない権力をほしいままにし、再びサンヒドリンを形成する危険性がある。組織は正しくとも構成する者がこれでは人々は苦労するだけである。神が人を活かすのは、「物心両面」がそろってのことである。神の国はそういう組織の延長上にあり、神界に通じる道である。神の世が完全になれば、この世の金銭に溺れた拝金主義は消え去り、光の神からの召しが人の心の日常の喜びとなる。末の世に神が大勢の人を真の組織に集めようとしているのに、官僚主義を振りかざす者は、神への妨害行為を働く何物でもない。神の国が近づく寸前、世界は7つのブロックに分けられるが、日本だけは別格となる。今まで慣れ親しんだ社会から、急に神の組織に加わるのは大変だろうが、社会でまじめに働きながら、神の奥義を学べば、徐々に楽になってくる。やがて神の召しを果たすことが喜びとなってくるだろう。

(解釈資料)

 世界が7つに分けられる意味だが、「北アメリカ・カナダ地域」「中南米アメリカ地域」「ロシア地域」「中国地域」「ヨーロッパ地域」東南アジア・オセアニア地域」の7地域に分けられている。南極はオセアニアに入るだろう。

 古代チベットに伝わる「シャンバラ」は、インドの「ヴィシュヌ・プラーナ」に描かれるシャンバラ島の伝説を継承したものとされている。しかし、シャンバラについて最も体系的に書かれているのはチベット密教の「時輪タントラ」である。その「時輪タントラ」では、シャンバラが7つの山に囲まれているとされている。それが世界の7大陸とも対応するが、「日月神示」で言うと日本は、7つの世界に囲まれた中心にあることになり、シャンバラと同格になる暗示となる。

 釈迦は預言者だった。多くの預言を残し、そのほとんどがチベット密教に残されている。日本の大乗仏教はそれが著しく欠如し、仏教が滅亡する「末法」として言い伝えられているの過ぎない。日本に入ってくる神の組織の日本人指導者の多くは、一般的な狭い概念にとらわれ、神道、イスラム教、ヒンズー教などの他宗教を異端と捉え、信者にもそれを押し付けてきた。結果、「日月神示」が人々に広く伝えられても、彼らは過去の自分たちの行いを否定せねばならないため、自尊心、自己防衛、面子にこだわり、大局を見失って圧力をかけ始める。結果、彼らの行為は絶対神と預言者に逆らう行為となる。そうなる原因は、イエス・キリストの時代の律法学者やサンヒドリンと同じで、手引書(律法)に書かれていないことを基本的に禁止、あるいは異端として排除する行為に長けていたからである。手引きに書かれていないことを理由に、全ての良い考えや行い、そして人々を排除してきた。だから、日本に伝わった神の組織は、発展しないで停滞し続けてきた。

 物部氏は徐福が連れてきた。道教を伝えた人間は道士だった徐福以外に考えられない。儒服は秦を発った後、一度帰国している。さらに多くの人民を乗せて船出し、二度と戻って来なかった。徐福が王国を築いたのは日本だった。10世紀に書かれた「義楚六帖」には日本のことを徐福が童男童女を連れてきた地であると紹介しており、今に至るも、子孫はみな秦氏を名乗っていると記してある。

 徐福は中国では伝説上の人物で史実ではないとされてきた。ところが1982年、中国の「中華人民共和国地名辞典」編纂の際、現在の除阜村が清の乾隆帝以前、そこが「徐福村」と呼ばれていたことが判明したというニュースが流された。今では徐福の石像が立ち、日本の観光客でにぎわっている。ところが、80年代以前に、村では明代に先祖がここに移住したと語られたことが判明し、除阜村の話は怪しいと思われる。

 渡来人の秦氏は、4世紀にはユーラシア大陸から朝鮮半島に侵入した後、渡来したことが分かっている。そのため、紀元前3世紀の徐福の子孫ではない。徐福村の信憑性はないという結論になる。とはいえ、徐福が不老不死の妙薬を求めて秦を発ったことは間違いなく、日本各地にも徐福伝説が残されている事実も動かせない。

 最近では中国や韓国、そして日本の学者たちが、徐福をテーマとしたシンポジウムを開き、文化交流が行われている。京都府の丹後半島の一端に伊根の入り江がある。若狭湾に臨む湾内は静かで周囲4キロの海岸には、伊根町独特の舟屋が立ち並ぶ。海の面した家の一階に船を収納している。その東南3キロの新井崎に「新井崎神社」が鎮座する。その岬に「ハコ岩」と呼ばれる四角い岩があり、地元ではそこを目安に徐福が漂着したとされている。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(29)

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(29)漢字はユダヤ人が使った!

(下つ巻・第14帖 「7・8・9・10」はハルマゲドン後の神の王国)

 「日月神示」の解読は、人々だけではなく神界の神々にも伝えられるものなので、召された者の苦労は大変になるだろう。一二三の「三位三体」の神々の存在は永久不変である。三四五の「御世何時」は「御代出づ」となり、「出づ=入づ」となり、その神は両極の「初め=終わり」の存在となる。

「私はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。始めであり、終わりである」(「ヨハネの黙示録」第22章13節)

 神の御代は救世主の力で訪れるが、ゲマトリアの秘数が次々と具現化するのは見ごたえのある出来事である。絶対神イエス・キリストは天照大神を含む世界中の神々の元なので、人々のみならず無数の動植物をも構わねばならない。だから信者にはすべきことが無数にある。

 神の組織に集合する人々は、神の器を持つ人々のはずなので、その数が神の数となる。これは天下泰平の紺碧の空に至る奥義である。人には小さなことから病気を含む数々の難儀があるから、皆一人一人の絶対的存在である神にお願いし、すがるがいい。恥ずかしいことではない。各人が心に思う神の姿は微妙に違うが、唯一の絶対的存在は不動のまま変わることはない。やがて絶対神の命令で動く天使たちが降りてきて、重大な言葉を人々に告げ知らせるようになるが、その先にある神の世界を垣間見ることもあるだろう。「エデンの園」のように美しい世界に戻すというのは、安易な比喩やたとえ話で言うのではない。「審神者」とは、悪霊の神ではない善なる神に心を向ける導き手である。神主が受けた言葉が光から来たものか、闇から来たものかを見極めるが、皆もそのようであってほしい。神の組織に属する日本人の指導者だからと言って、いつも正しいとは限らない。

 「七から八、八から九、九から十」に進むうち、神の御霊はますます激しくなるから、信者や一般の人々が思うようには動かなくなる。逆立ちしている日本人の指導者なら尚のことである。世界中が一度に「キの国」に襲い掛かってくることになる。すべての面で襲う者の国が勝っている為、もはやこれまでと思う事態に追い込まれ、神がこの世にいないと日本人が思うようになるまで、ひどい有様になる。その時は、それだけ神の国が近づいたと思いなさい。

(解釈資料)

 七から八、八から九、九から十とはゲマトリアが仕掛けられている。秘数術では最初から「7+8=15」「8+9=17」「9+10=19」となり、「15は1+5で6」「17は1+7で8」「19は1+9で10となり1+0で1となる」

 次にそれぞれを合計すると、「6+8+1=15で1+5で6となり、「7」になれない「6」は「神の7」に劣る不完全を示し、「この世」を象徴する。

 これを「7・8・9・10」として「7+8+9+10=34」となり「3+4」となって「聖数7」が顔を見せる。これがハルマゲドンの後に到来する神の王国である。この世の「6」が激烈になるのは、不完全な世の断末魔を示し、それを指す「ハルマゲドン」の到来を「7」の「神の王国」の前に起きることを言う。

 日本には「末法」と言うが、仏教でさえ滅亡する最期を意味する。道教は古墳時代以降に日本に導入されたとされている。秦氏よりも古いため、物部氏の神社を秦氏が乗っ取っていったと言える。道教が鬼道と関係するなら、邪馬台国の卑弥呼にまでさかのぼれる。もし、物部氏が大陸からの渡来人であるならば、彼らこそが道教を日本にもたらした可能性が出てくる。不老不死の仙薬である非時香果を求めた「田道間守」だったが、帰国後、天皇は亡くなっており、そのまま嘆き悲しみ死んだという。日本版徐福と言うべき田道間守だが、彼は興味深いことに天之日矛の子孫、つまり秦氏なのである。秦氏はユダヤ人原始キリスト教徒だったので、徐福の子孫を秦氏ではなく、ユダヤ人原始キリスト教徒と読み替えてもよい。

 物部氏は徐福と共に日本に来た。唯一神を信仰する物部氏がユダヤ人だったとすれば、全ては一本の糸でつながっていく。徐福とユダヤ人の両者をつなぐ存在は、秦の始皇帝である。始皇帝はユダヤ人だった。漢字を作ったシンクタンクはユダヤ人、つまり大和民族だったことになる。漢字は漢民族の産物ではなく、ヤハウェの民である大和民族とすれば、殆どの漢字に「聖書」の意味が隠されている理由もわかってくるのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(30)

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(30)平安京は人型構造

(下つ巻・第15帖 「一二七七七七七」は2番目の者、イエス・キリスト)

 「日月神示」を記させる絶対神は唯一の存在だが、この神はさまざまに御霊分けをする神なので、日本では八百万の神々となり、それぞれ祀ることになった。中でも「鎮守様」は鎮守の森と祠さえあればいい神で、鳥居も無ければ注連縄も不要である。この神の事は後からわかる時が来るが、神の国に関わる役目を象徴している。「一二七七七七七」を忘れないようにせねばならない。やがて来る神の世の仕組みだからだ。

(解釈資料)

 「鎮守の森」は日本中にあった。中国の伽藍神に起源があり、日本に仏教が伝わり、平安時代以降に「神仏習合」が進む中、神祇でも祀られるようになり、寺以外の土地でも鎮守様を祀るようになったとされている。しかし、鎮守の森とは、仏教伝来以前の物部神道における「神奈備」と言う神が鎮座する森を差し、「神代・上代」ともいわれ「杜」「社叢」とも称された。物部神道は古神道ともいわれるが、御神体は「神籬」「磐座」信仰が常で、森林、山岳、巨石など神が宿る自然物が御神体になっている。最も知られるのが、「大神神社」の三輪山で、神霊の依り代とされる神社は各地にみられ、自然崇拝から本殿・拝殿さえない神域もある。明治以降、「神仏分離令」と共に「神社合祀令」が下され、集落村ごとに存在した鎮守の森は、その多くが廃され、大きな神社の摂社・末社となった。その結果、多くの神社が廃止され、鎮守の森も次々と伐採された。南方熊楠は、伐採による役人の裏金つくりや、大規模自然破壊を危惧し、神社合祀の反対運動を行って投獄されている。神奈備は「神南備」「神名火」「甘南備」とも表記され、「平安京遷都」のかなめになった山が「甘南備」だった。

 杉山信三氏は長年の発掘調査の結論として、平安京は長方形ではなく「奴形」の「人型構造」だったと公表した。これはアカデミズムの主張を否定したことになる。杉山氏の言う奴形とは、平安京の長方形の左右に奴凧のような腕が突き出している姿を言う。西端の西京極大路と中御門大路が交差する花園付近から西へ2升分、三条大路から西へ2升分突出し、その範囲に囲まれた計4升分が右京側の右腕部分となる。左京側の左腕は、東端の東京極大路と中御門大路が交差する辻から東へ4升分突出し、三条大路の東へ突き出した4升分で囲まれた計8升分となる。やはり、向って右側が左より長く飛び出している。興味深いのは奴形の右腕が秦氏の中心地の太秦を指すことである。

 生命の樹には、重要な表現形態がある。それが人型の「アダムカドモン」である。なぜかアダムカドモンは背中を向けた後ろ姿で表される。アダムカドモンは人類の始祖アダムを言う。(アダムの生命は大天使ミカエルである)

「神はご自分にかたどって人を創造された」(「創世記」第1章27節)

 言い換えれば、カッバーラで設計された平安京は、神の身姿をかたどった構造となる。そこで登場するのが人型構造のT字である。それは左右に両手を広げ、足を一つに組んだ姿で、神木を意味する生命の樹に掛けられた姿となる。それは奴形の姿で、京都の町自体が磔刑を象徴する構造になっている。

 さらに言えば、イエス・キリストをかけた十字架は、「T十字」であり、ロザリオのような「十字架」ではなかった。イエス・キリストは全人類の罪を背負う身代わりで死んでいく。これが贖罪である。日本では「人柱」と言う。平安京を発祥とする「雛人形」も、原型は紙で作ったT形の立雛である。その雛人形に、罪や厄を移して自分の身代わりとした。それが「流し雛」となる。

 一二七七七七七」とは、カッバーラの仕掛けである。「1+2+7+7+7+7+7」を足せば、「38」で、「3+8=11」となり、「1+1=2」となる。「2」は「一二三」の二なので、イエス・キリストが明らかにした神界構造から特定できる。一二三は「最初の者=天の父」「二番目の者=子(イエス・キリスト)」「三番目=聖霊」の三柱なので、来たるべき曙である神の王国の代は、その「2番目」の神の手による永久の世界となる。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(31)

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(31)神と信者の関係を示す「石」

(下つ巻・第16帖 天子様を都に遷さなならん)

 最高学府でいくら知識を学んでも、それが智慧にならなければ死んだ知識である。その知識も間違っていた場合は、世の中の役に立たない。そういう時は、神から導きを受けることである。神は求めれば与えてくださるが、拒絶を繰り返し続けた者は、自ら招いた結果を刈り取らねばならない。その時はいくら金銀を積んでも、神の導きを得ることはできない。

 フリーメーソンは世界中の様々な宗教を信じる者が入会できる慈善団体である。しかし、預言者がおらず、神権も無い状態なので奥義を得られないでいる。だから正しい教会がフリーメーソンにそのことを伝え改宗させねばならない。

 至福の「福千年」の世界は、千年間続く神の王国であるが、それが終わるころ、再び悪魔が放たれ、サタンにつく悪霊どもも出てくる。神の王国は日本だけに建つのではなく、異国にも沢山できるぞ。

 富士山には川が無く地下水となって流れ下り、それが「富士山本宮浅間大社」の境内の池から清水となって湧き出している。自分の名前が書いてある石を拾ってくるとあるが、これらはすべて比喩である。富士山の湧水は富士市をはじめ各所から湧き出していて、「富士山本営浅間大社」だけに起きている現象ではない。これは、本来は、元初三神を祀る「伊勢神宮」を、三神山の「富士山」に引っ掛けた比喩で、富士山や伊勢神宮に行けない者も、そこから河のように流れる神の御霊を受け、己の名を信仰心と言う石に刻んでほしいということである。これから先、東京はどこも焼け野原になるだろう。天皇陛下を京都へ戻さねばならない事態に陥るだろう。やがて東京は復活し世界中から人々が訪れるようになる。しかし、その東京は以前の東京とは全く違っているだろう。

(解釈資料)

 不死の絶対神と、信者の関係を示す石の事は「新約聖書」に記されている。

「耳有る者は霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受けるもののほかには誰にもわからね新しい名が記されている」(「ヨハネの黙示録」第2章17節)

 その新しい名は、アジアで初めて建てられる神殿と言う「お山」で受け取ることができるだろう。この白い石の記述は記紀にも存在する。

 崇神天皇の頃、朝鮮半島の「任那」の王子だった「角額有人」が、新羅の圧力を受けて渡来し、滞在3年目で朝鮮半島へ帰還する物語の中にある。

 角額有人と天之日矛は、ともに牛に関わっていることで知られる「日本書記」には、その名前の由来が以下のように記されている。

「ある日、黄牛を見失った王子は、足跡を追って村に入った。そこであった古老が、「牛はすでに村人に食べられたから、村人とが弁償すると言っても聞くな。その時は神の御神体が欲しいと言いなさい」と言った。そこで王子は村人にそういうと、彼らは王子に御神体の白い石を差し出した。すると、やがて白石は可憐で美しい娘となった。ところが、白石の化身は東の海に消えたので、それを角額有人が追って渡来することになった。だが、結局その娘は、難破に下り、二つの社に祀られたという」 それが「伊勢神宮」の「お白石持行事」となって今でも伝えられている。

 この項にある東京の姿が一変する記述は「両義預言」である。一つは終戦間際に焦土と化した事実と、これから先に起きる天皇陛下の都戻りに関わる「東京破壊」である。共に復興するも、後者の場合は、東京に天皇陛下はいない。京都では昔から天皇陛下を東京に貸していると考えてきた。ラストエンペラーは戻るべき京都に帰還することになる。そうなれば、宮内庁は宮内省に格上げされ、新しい陛下を追って京都に移ることになる。これは「首都機能の移転」を意味する。そうなれば、東京は今までも首都ではなくなる。東京の様相は一変するだろう。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(32)

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(32)官僚主義のサンヒドリン

(下つ巻・第17帖 自分ごころで説くと間違うぞ)

 外国勢の方が人口も多くて力があり、軍事力もあるので勝てると思わない方がいい。やがて絶対神が日本を強大な国家にしてくださる。神に従って正しいことをすれば日本は大きく成長するが、この資源の無い国が調子に乗ってくれば、たちまち世界中から嫌われ、急転直下のダメな国になる。今の日本人は目先と口先ばかりで、到底神の民とは言い難い有様である。岡本天明は絶対神から託された召しを受けて、神界とこの世を取り次いでいるが、もし自分が慢心したら、すぐに代わりの者を神は召されるだろう。神から選ばれた者が、解明された「日月神示」を目にしたら、得も言われぬ感情に心が捕らえられるはずである。そうしたら、少なくとも7人には伝えてほしい。それが選ばれた者の最初の召しである。それ以上の我欲を持ってはならいが、謙虚で謙虚であれば、その望みは生かされるだろう。

(解釈資料)

 時代を動かすのは外向き志向の人間たちである。内向き志向ですべてに否定的な官僚主義者ではない。前例主義に凝り固まった官僚主義者はすべてに後ろ向きで、何もしないし新しい動きに極めて否定的である。その方が、官僚主義者にとって、「特権」と「地位」が守られるからである。官僚主義者は「手引き」と「マニュアル」を持ってしか行動しない。彼らは縦割りで後ろ向きであるため、万が一の失敗を恐れて何もしない。真のリーダーは失敗することを梃に成長するが、小物は出世のために何もしないでトップを狙う。経歴に傷がつかないことが、官僚主義の組織で出世する唯一の方法だからである。彼らはマニュアルと言う憲法が全てで、それを超える者に対して露骨なまでの懐疑心を向ける。彼らはイエス・キリストの時代にも大勢いた。彼らは当時のマニュアルである律法一辺倒の「律法学者」や「大祭司」である。彼らが造った宗教組織が「サンヒドリン」で、マニュアルとう律法を持ってイエス・キリストと対峙しようとした。

 官僚主義者は徒党を組んで自分たちが絶えず正しいと主張する。宗教的官僚組織のサンヒドリンは、結果としてイエス・キリストに対立する位置に自分たちの身を置いた。官僚主義者は神の子たちである「人」を、律法である「マニュアル」と「手引き」で拘束し、人を律法よりも軽視し、人の自由意思を重視しない。こういう官僚主義者に、国家、企業、学校、組織が支配される日本に未来はない。事実、軍の官僚が「大本営」を組織し、中国を勝手に侵略した後、太平洋戦争に突入した。そんな日本に、神は味方せず、日本の勝利は絶対になく、八つ裂きになる。

 彼らが日本を徹底的に硬直化させ、全てを失わせても、官僚主義者が責任を取ることはない。その時、彼らは「特権」「公僕」を持ち出して、責任転嫁に努めてくる。こういう輩が神の王国に入れるとは思えない。

「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。道端にイチジクの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、イチジクの木はたちまち枯れてしまった」(「マタイによる福音書」第21章18~19節)


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(33)

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(33)「出雲大社」の仕掛け

(下つ巻・第18帖 神は土で人を形づくり・・・)

 「日月神示」が預言する「原始キリスト教」の組織は、高天原(神の国)へ通じる唯一の道で、人のために存在する神の組織である。この組織の日本の指導者を神が召す場合もあるが、普通の人も日々遜って働けば、いずれ相応しい指導者になれるし、その選びに対する差別があってはならない。神の組織がある世界中の国々でも同じで、神の組織は世界中の人々の元へ拡大していく。そのうちに絶対神から「土」が出てくる。その土を見たら、神が選ばれた人々にとって良い知らせとなるだろう。絶対神に心を向ければ、神から光を受けて人は必ず幸せになる。

(解釈資料)

 救世主イエス・キリストが約束通りに地上へ再降臨する際、地に属するもっとも古い人間が先に降りてきて、地上を神に奉献する。その男こそ、最初の人間アダムである。アダムは「大天使ミカエル」として降りてくる。アダムの天使名がミカエルだからである。天界で悪魔の軍勢を打ち破った者がアダムとなり、地上に最初に生まれてきた最も古い者なのである。「天界の大戦争」について、記紀では天照大神と須佐之男の戦いで象徴される。記紀には仕掛けがいくつもあり、須佐之男は「聖書学」で言うサタンを象徴するが、一方で、「出雲大社」で祀られる大国主命の別名により、「大国主大神=大物主=須佐之男=ニギハヤヒ」が同一神となる。さらに、ニギハヤヒの本名は、天照大神なので、イエス・キリストと同じになる。だから、須佐之男は神として祀られているわけで、このあたりの仕掛けは複雑で奇奇怪怪である。しかし、須佐之男を含む八百万の神々が全て天照大神の分身と言う基本に沿えば、あとは神々の役割を聖書と対応させればいいだけである。

 「須佐之男=悪魔」についてだが、記紀では須佐之男にその役を押し付けた分、それだけ天照大神と同一神にしてバランスを取ったことになる。事実、「出雲」は「出る雲」であり、これは「雲」が「出て」、「神」が出現する様子を描いた名称である。

「モーセは出て行って、主の言葉を民に告げた。彼は民の長老の中から70人を集め、幕屋の周りに立たせた。主は雲の内にあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、70人の長老にも授けられた」(「民数記」第11章24~25節)

 「雲=神」の図式があり、「出雲大社」の本殿の天井に「八雲之図」が描かれている。大社造りの天井に描かれた極彩色の雲は、「八雲=8」のはずが「7」つの雲しか描かれない。カッバーラによれば、数字は陰陽出の偶数と奇数でなっており、「7・8」も陰陽一対になっている。須佐之男は高天原では悪神だが、地上に降りれば「八俣大蛇」を退治した英雄になってくる。

「我が女は本より八稚女ありしを、この高志の八俣のをろち年ごとに来て喫へり」(「古事記」八俣の大蛇)

 ところが、八俣大蛇には根本的な矛盾がある。八俣は「八股」で、娘8人で帳尻が合うように思えるが、股の数8つは9本首を意味するはずである。ところが多くの場合、八俣大蛇は8本首になっている。実は、直方体や立方体の箱の角は8つで、それぞれの角が縦・横・高さの三股(三本)構造になる。

 つまり、8つの三股で「八股」となる。さらに八俣大蛇の尻尾から出てきたのが「草薙の剣」で、アロンの杖も「契約の聖櫃アーク」に納められていた。

 須佐之男が神殿で「生贄」をささげさせていた契約の聖櫃アーク(八岐大蛇)を退治した意味は、自らをささげたことで生贄を止めさせたイエス・キリストと対応している。

 つまり、須佐之男に、善悪両方の役を怡演じさせた証拠が「7・8」併せ持つ「出雲大社」の仕掛けなのである。その前提としての「大国主命=須佐之男命」だが、八岐大蛇が須佐之男命との闘いに敗れたところが「出雲国」であることからも分かる。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(34)

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(34)籠神社の「多次元同時存在の法則」

(下つ巻・第19帖 心の洗濯第一ぞ)

 多勢に無勢の世に惑わされたら、絶対神の元に来てその悩みを打ち明ければよろしい。それは祈りの事で、神の御魂が貴方を慰めてくれる。しかし、神に逆らえば、それが重荷となって心が苦しみ、闇が迫ってきて覆われるので気を付けてほしい。

(解釈資料)

 2000年に出雲大社で「三本一束」の「心御柱」が出土し、巨大な高層神殿の存在が明らかになった。三柱を一つに組まれた巨大柱高層神殿を支えていたと考えられ、この三本柱は平安時代の48メートルの神殿の遺物と考えられた。「柱」を漢字破字法で分解すると、「木・主」となり、「主の木」は「生命の樹」を意味する。三本の柱は、三柱の神、「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」の元初三神を意味し、三柱が一つにくくられていることから、目的においては一つだが、個別の存在を表し、出雲大社では、「三柱一束」と表している。須佐之男命は母のイザナミが住む「黄泉」に行きたいと言い、大国主命として冥界の根、堅洲国で暮らした。つまり、須佐之男命は高天原から黄泉に落ちたことになる

「イエスは言われた。私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」(「ルカによる福音書」第10章18節)

 日本では、サタンは須佐之男命に該当する。須佐之男命は、天照大神をだまして高天原で傍若無人に暴れまくり、最後に天照大神を死に至らしめた張本人である。後に天照大神は岩戸から復活するが、結果、須佐之男命は八百万の神々によって、高天原から下界に落とされ、根の国(黄泉)の王になってしまう。しかし、須佐之男命は「出雲大社」をはじめ全国で祀られている。それはなぜか?

 ここで「籠神社」の海部光彦宮司の「多次元同時存在の法則」が重要になってくる。上賀茂神社の別名は「賀茂別雷神社」と言い、「籠神社」の「火明命と同じ神である。つまり、「賀茂別雷命=火雷神=火明命」は雷のように荒ぶる神で同一神なのである。そこで、「賀茂神社」である「下鴨神社」の主祭神を見ると、賀茂建角身命とある。賀茂建角身命には娘がいて玉依姫と言う。その姫が賀茂別雷命を生んだと言うが、その父親が火雷神だという。松尾大社にも火雷命が祭神であるとする伝承がある。

 「日本書紀」を見ると、「須佐之男命の別名が大己貴命」とある。次に、「古事記」で大己貴命を「大国主神、またの名を大穴牟遅神」と記されている。つまり、須佐之男命と因幡の白兎の大黒様が同一神で、大物主神とも同一神と指している。そうなると、「天照大神=火明命=ニギハヤヒ命=大物主神=大国主神=賀茂別雷命=火雷神=大己貴命=須佐之男命」となって、高天原で天照大神と争った須佐之男命が、天照大神と同一神になるのである。

 海部光彦宮司は「多次元同時存在の法則」と名付け、最終的には八百万の神々が全て天照大神に集約される仕組みになっている。日本と言う国は表が多神教の顔で、裏が一神教なのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(35)

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(35)「一厘」とは真の原始キリスト教会のことである!

(下つ巻・第21帖 語呂合わせは、五芒星と六芒星)

 この世は唯一神である造物主がいてもダメである。現人神である救世主がいて初めて成立する。宇宙はそのように出来ており、初め(ヤハウェ)と終わり(イエス・キリスト)が合わさった同一神と知らねばならない。日本では天照大神が太陽神である男神と知るべきである。大和民族の国である日本ではヤハウェが重視され、欧米ではイエス・キリストが重視され、どちらも「五」ずつの半分しかない状態にある。欧米のキリスト教会では、三位一体が主流で、「父・子・聖霊」を一緒にした結果、「ヤハウェ=イエス・キリスト」の絶対構造を破壊してしまった。結果どうなったか? ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が相争う結果を産み、最終的には「三位三体の原始キリスト教対三位一体の似非キリスト教」の最終戦争に至る。この戦争は「霊的集合対物質的集合」を引き起こすだろう。世が終わる前に、出てくる「一厘」の組織とはイエス・キリストをヤハウェと同一と宣言し、三位三体の原始キリスト教徒で構成される。終末の組織は「十柱」と「五十九柱」を持っている。その象徴が「伊勢神宮」であり、外宮の豊受大神(ヤハウェ)と、内宮の天照大神(イエス・キリスト)は同一神ゆえ、三位三体を象徴する「三重」の地に祀られている。

(解釈資料)

 「一厘」の意味は、末の世に出てくる真の原始キリスト教会の事であり、徴である「預言者」「神権」「三位三体」があり、「教会」だけでなく「神殿」も持っている。カトリックの法王庁は、パウロから神権を継承したと公言しているが、預言者は間違った真理を教えない。バチカンは中世ヨーロッパで何をしたのか?

 中世暗黒時代を築いたカトリック教徒は、ヨーロッパで何か悪いことが起きると必ずユダヤ人の所為にした。「ペスト」が蔓延すると、イエス・キリストを殺したユダヤ人に下る神罰が、自分たちにも影響したと言って、ユダヤ人の村を焼き払い、大勢のユダヤ人を殺した。ペストの原因は、バチカンが、莫大な資産を得るために「魔女狩り」を奨励し、魔女の使いである猫を殺すことを勧めたからである。結果、猫が減って鼠が激増し、ペスト発生の大きな原因になった。当時、魔女にされた人達は、「魔女裁判」を受けるため、自分で金を払わねばならず、死刑になると財産はすべてバチカンが没収した。その頃、莫大な資金と資産で、現在のバチカンが「黒い銀行」を運営している。つまり、魔女裁判は、バチカンにとって都合のいい収入源だったのである。

 ガリレオがカトリックの「異端審問会」にかけられ、否応無く自説を曲げることになる。バチカンは過去の行為を間違いと認め、ガリレオに謝罪したが、それが行われたのは法王ヨハネ・パウロ2世の頃で、1992年になってからである。ところが、法王ベネディクト16世は、枢機卿の時代にガリレオへの有罪判決が正しかったと公言した。世界天文年を前に、世界中から非難を浴びることを恐れたベネディクト16世は、2008年12月21日にようやく、ガリレオの研究成果を公式に認めた。裏を返せば、21世紀に突入してもなお、法王庁は天動説に終始し、ガリレオを許さずに批判していたことになる。この出来事の最大の問題点は、「聖書」の何処を見ても地球の周りを天体が回っている記述が無い事である。つまり、天動説は、カトリックの聖職者と学者たちが作り上げた創作で偽物であり嘘だったのである。

 そんなところに「神権」などあるはずが無く、そこから生まれたプロテスタント教会も神権の無いキリスト教会となる。これは「預言者」がいないことと直結する。「一厘」だが、日本に限れば、原始キリスト教会に属する者を暗示し、その者が活動を開始する暗示と受け取っていい。末の世に現れる原始キリスト教会が、「十柱」と「五十九柱」を持つ意味は、ゲマトリアで計算すると10は「1+0=1」で、「59」は「5+9=14」になり、「1+4=5」となる。これは「1=人類とかかわる絶対神ヤハウェトイエス・キリスト」と、「5=五芒星」の語呂合わせで、裏に六芒星を隠す組織を示唆している。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(36)

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(36)最後の天皇陛下の使命とは?

(下つ巻・第22帖 セム・メーソンのトップ、天皇家と手を握る)

 真の岩戸開きの仕組みは、今、絶対神から解き明かすことが禁じられている。(1944年7月28日の時点で) 岡本天明が詳細に解き明かしても、戦時下の日本人は寝耳に水だし、語っても信じないだろう。一方で、語らねばならぬため、今こうして苦しい心境で語っており、神も同じように苦しいはずである。やがて日本で「日月神示」が解き明かされるときが来るので、その時まで心の準備をしてほしい。アイカギ、ヤハウェ、原始キリスト教会、イエス・キリスト、コノカギハ、イシヤトシカ手を握ることである。12のイエス・キリスト教会。

(解釈資料)

 アイカギは、「合鍵」で、原始キリスト教会に存在したと同じ「神権」の復活を指す。それも預言者が持つ「大神権」の復活である。ヨッドは一文字だけでも「ヤハウェ」を示す。○は宇宙で「「原始キリスト教会」を示す。原始キリスト教会にいるヤハウェは「イエス・キリスト」の事である。コノカギは「小の鍵」で「小神権」を示している。イシヤは「石屋(フリーメーソ)」を意味する。そのフリーメーソン中のフリーメーソンと手を握ることになる暗示である。蘇った原始キリスト教会では12使徒も再興され「1+2=3」で「三位三体」を明らかにし、「三位一体」とは相容れない組織になる。

 我々の知るフリーメーソンとは、ヤフェト系(白人)の近代フリーメーソンであり、セム系フリーメーソンではない。近代フリーメーソンの起源には謎が多く、様々な仮説が提唱されている。結局、ヨーロッパのヤフェト・メーソンの流れから近代フリーメーソンが誕生したことである。しかし、「日月神示」が言う石屋とは「大工の祖である聖徳太子の末裔」を指し、復活した原始キリスト教会が天孫族と手を握る示唆になっている。つまり、大和民族であり、セム・メーソンのトップである天皇家と手を握ることになる。なぜなら、天皇家は明治以降、南北朝時代から偽物だった北朝系から、正当な南朝系に戻り、レビ族の末裔は今の天皇家だからである。だから、天皇家はレビと同じ神道の長であり、神事を取り仕切る最高位にある。

 天皇家には「失われたレビ神権」が継承されており、復活した「小神権」の主として、末の世に復活した原始キリスト教会から天皇家に返されることになる。なぜなら、旧約聖書の象徴である「三種の神器」と「失われた聖櫃アーク」を保管しているからである。

 最後の天皇陛下は、レビの長として、それらを氏子であるレビ族と共にイスラエルのオリーブ山に運ぶ使命がある。少なくても次の天皇、すなわちラストエンペラーは三種の神器とそれを納める聖櫃アークを「伊勢神宮」から運びだし、イエス・キリストが再臨するオリーブ山に持って行く役目がある。担ぎ手はすべて伊勢神宮の氏子である。彼らは宮大工を含めて一子相伝だからである。アークを1文字で示すと「璽」となる。璽は天皇の徴を示す象徴で、漢字に原型があるなら、璽は箱の上に向かいあって首を垂れる天使(ケルビム)の姿を表している。聖書には、それが置かれているところを、「天の神殿」と書いてあるが、天とは天照大神の社(神殿)を差し、そこは末の世に蘇った原始キリスト教会の神殿と同じ意味を持っている。

 三種の神器と契約の聖櫃アークは、モーセの時代に作られている。モーセはイスラエル人のレビ族の父アムラムとアムラムにとって叔母にあたる母ヨベドとの間に生まれたレビである。「レビ記」はモーセが記している。

「レビの家の出のある男が、同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、3か月の間隠しておいた。しかし、もはや隠し切れなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた」(「出エジプト記」第2章1~3節)

 つまり、最後の天皇陛下はレビ族であり、モーセの直系の末裔となる。だから、元の地エルサレムに、三種の神器と契約の聖櫃アークを戻さねばならないのである。そうせねば、「磐座」であるオリーブ山にイエス・キリストが降臨できない。最後の天皇陛下の使命は、世界を救う意味で極めて重要なものなのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(37)

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(37)東方三博士と10支族

(下つ巻・第23帖 日本の国仕掛けの中心に座る天照=イエス・キリスト)

 今の世界がひっくり返り、神の世界に戻ることは、神界の神々にはわかっていても、人々には理解できない。そこで絶対神は世界中にそれを知らせる人間を送り出すが、この世がいつ終わるのかは絶対神しか分からない。天の父から地上に送られた子である救世主は、父から委任された継承者である。そのためすべてを正しい世に戻して父に返す役目を担っている。そのために正しい人々を集めて救う使命があるのだ。日本では最後の天皇陛下にその責任があり、大和民族を天照大神であるイエス・キリストに返さねばならない。そのための大掃除を、先ずは日本で起こし、その結果、世界最大の奇跡が起きることになる。天皇家が管理する神社が、「天照大神=ヤハウェ=イエス・キリスト」と解き明かされる結果、原始キリスト教会と融合した社(神殿)となるからである。その数は凄まじい規模で、それまでに立てられた原始キリスト教会の神殿数をはるかに上回ることになる。この戦争(太平洋戦争)が終わったら、一刻も早く東京に神殿を建ててほしい。日本人は頑なにならず、真の原始キリスト教会に目覚めてもらわねばならない。これが日本に仕掛けられた「国仕掛け」であり、その中心に座るのが天照大神であるイエス・キリストである。天照大神は自分の囲いに羊を集め、山羊と区分けされる。それを冬が来る前の秋に成し遂げられるだろう。神は善人たちがこの世の最終戦争で滅亡しないよう、急いで戻ってこようとしておられる。

(解釈資料)

 「神社本庁」は「「伊勢神宮」を本宗とする日本各地の神社を包括する宗教法人である。が、その実態は天皇家の代理組織である。戦後、GHQによる「政教分離」から「神道指令」が発布され、神社を国家から分離することを命じた。「伊勢神宮」を中心に全国約7万9000社を包括し管理するが、歴史的にも文化的にも天皇家が実質的な持ち主であることは変わりはない。

 ところで、イエス・キリストが不思議な話をしている箇所がある。

「私には、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊も導かねばならない」(「ヨハネによる福音書」第10章16節)

 これには「失われたイスラエル10支族」が含まれている。なぜなら、彼らも昔は同じ囲いにいた羊だったからである。同時に今から2000年ほど前に現在のイスラエルの地に救世主が誕生した。その様子を以下のように記している。

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(「マタイによる福音書」第2章1~2節)

 イエス・キリストの誕生を知らしめた天の徴は「ベツレヘムの星」だった。その星は、東から移動した謎の天体で、出現と動きに誘われるように三博士たちがベツレヘムにやって来た。しかし、実際は聖書の何処にも三博士とは記されていない。救世主に差し出した贈り物が、「黄金」「乳香」「没薬」とあることから、後年、三博士と呼んだだけである。

 三博士は東方から来た以上、「失われたイスラエル10支族」と考えるのが妥当である。彼らはソロモン大王の死後、アッシリアに補因され、北イスラエル王国から連れ去られた人々で、アッシリア滅亡後、ユーラシアの奥地へと姿を消した。つまり、10支族全てが集まる日本から、各地の長たちがイスラエルに来た可能性がある。救世主生誕の頃のイスラエルには、南ユダ王国の2支族とレビ族がいたので、極東のイスラエル10支族の計12支族とレビ族で、救世主誕生を祝ったのである。

 東方の三博士が捧げた「乳香」は、「フランキンセンス」から分泌される樹脂で、古代エジプトでも神にささげるための神聖な香だった。「没薬」は「ミルラ」の樹木から分泌される赤褐色の植物性ゴム樹脂で、殺菌作用を持ち、鎮静薬、鎮痛薬として使用される。最後の「黄金」であるが、それは黄金ではなく「リキッド・ゴールド」と言うオイルだった可能性がある。リキッド・ゴールドはバルサムファーと言う木から摂取されるオイルである。そうなれば、贈られた三品はすべて「樹木」で構成された「生命の樹」を象徴し、「神界の三神」の三位三体を解き明かす者となる暗示になっていた。 

 皇太子が天皇陛下になる「大嘗祭」があるが、その儀式で欠かせない「アラタエ」と言う神御衣を献上するのが四国の忌部である。その忌部の当主が「三木家」であり、「三つの樹」を示唆する姓名になる。

 天照大神であるイエス・キリストは、地上を天の戻すため、羊と山羊を分けるとされている。

「人の子は、輝きに輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その輝きの座につく。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く」(「マタイによる福音書」第25章31~33節)

神に似た心根の羊と、悪魔に従った山羊を分ける意味である。このことから中世ヨーロッパではサタンの絵の象徴として黒い山羊が使われるようになったが、別に山羊が悪魔の創造物という意味ではない。羊と似ているが非なる物の象徴として使われているだけである。

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